*吉水恭子作 南慎介演出 公式サイトはこちら 日暮里d-倉庫 18日まで
劇作家吉水恭子の作品は、5月のJACROW公演『消失点』が記憶に鮮明だ。あれからわずか3カ月で新作、それもまったく毛色のことなる作品の上演である。
タイトルの「きみがみむねに」は、昭和に一世を風靡した李香蘭(山口淑子)が歌った「蘇州夜曲」(Wikipedia)の最初の一節である。当時を象徴する歌曲であり、歌った李香蘭の数奇な生涯を否応なくあぶりだす。本作の主人公は、彼女と同じ「よしこ」の名を持ち、同じくふたつの祖国をもち、時代に翻弄された川島芳子(Wikipedia)である。
舞台中央には大きなテーブルがひとつ、椅子が数脚。中央奥には短い階段があり、そこを上がると立派なソファが置かれた小さな部屋が作られている。上手には古びて狭い和室、下手にも和室があり、こちらはわりあい手入れがされているようだ。
物語は川島芳子(高嶋みあり/JACROW)が戦後に銃殺される場面にはじまり、そこから時間を逆上るかたちで芳子と関わりのあった人々が過去を回想しつつ、進行する。時間も場所も行き来するのだが、混乱することはない。
芝居屋風雷坊のサイトで過去の上演作をみてみると、今回上手の和室に登場した探偵の野崎淳之介(谷仲恵輔/JACROW)と女中のお駒(吉水恭子)は、2012年上演の『今夜此処での一と殷盛り』など何作かに登場しており、おなじみの人物であるらしい。
川島芳子と李香蘭の関係や、ふたりが生きた時代のことなどは、劇団四季の『ミュージカル李香蘭』である程度は知っていたが、本作の切り口、視点は、そうとうに異なるものである。
重要な人物として、小説家の加賀美正一(荒川ユリエル/拘束ピエロ)が登場する。芳子の愛人でもある関東軍の軍人・田中隆吉(菅野貴夫/時間堂)の命で芳子を主人公にした小説「男装の麗人」を執筆する。加賀美と芳子が対峙する場面の緊迫感や、心身をすり減らすようにして執筆する様子、脱稿の喜びについ深酒をしてしまったり、芳子に対して単なる取材対象以上の気持ちを持っていたと思わせるところなど、「書きたい!」というひたすらな願いに突き動かされる人のすがたが強く伝わってくる。前述の野崎は、この時代に隆吉の部下であり、芳子の世話を任されていた。
そして下手には詩人の西條八十(山村鉄平)の家がある。「蘇州夜曲」の作詞者であり、金子みすゞの才能を見いだした人でもある。兄の英治(霧島ロック/ここかしこの風)とはそりが合わず、娘が死んだことは、兄が食べさせた李のせいだと激しく憎悪する。その英治はあやしげな仲介人として中央エリアにも顔を出す。
主人公はまちがいなく川島芳子なのだが、いっぽうで本作は小説家加賀美正一、詩人西條八十の「書く」人々が、書きたいという抑えきれない欲望に苦しみ、また救われる物語でもある。八十は娘を失ってから、何かに憑かれたように詩作に没頭し、かずかずのヒット作を生む。悲嘆の極みにあって、あたかもそれをエネルギーにするかのように詩を書く弟のことを、兄は「はじめて嫌いになった」と言い捨てる。
また精魂込めて執筆した芳子の物語が何のことわりもなく改ざんされて世に出たと知った加賀美の怒りと絶望の様相はすさまじい。群衆たちがその物語を読み、原稿用紙を舞台に撒き散らす。それらはカーテンコールまでずっと撒き散らされたままだ。人々はお構いなしに原稿用紙を踏みつける。床一面に広がった原稿用紙は、加賀美が遂げられなかった思い、彼の存在そのものの、「書く」欲望に取りつかれた人々の屍のようでもある。
ふたりの「よしこ」を題材にした場合、川島芳子にとって、山口淑子=李香蘭がどのような存在であったのか(その逆も)が作品の重要なポイントであるが、本作ではつぎのように独自の構成がなされている。まず前半に芳子の小間使いとして中国人の少女明花(吉水雪乃)が登場する。気立てのよい働きものの明花を芳子は大変に可愛がるが、彼女は悲惨な死を遂げ、芳子に深い傷を残す。吉水雪乃は、ほかにも芳子の少女時代、後半ではデヴューしたての山口淑子の3役を演じる。短い生涯を終えた明花、義父(祥野獣一)との関係に苦しんだ自身の少女時代、自分と似た運命を予感させる山口淑子をひとりの俳優が演じることで、運命の連動性というのか、見えない何かに導かれた出会いや別れがあることを示す。ここでの山口淑子はまだほんの子どもとして登場し、それだけにこのあとの運命の濁流が彼女をどのように呑みこみ、そこからどうやって生き延びていくのかを想像するとき、胸が痛む。
細かいことを言えば、舞台上手の<あずまや>で、お駒がたくさんの座布団を抱えて野崎の部屋に押し入ってくるところである。居候で家賃も滞納している野崎をお駒は邪険に扱うが、座布団を彼の部屋に持ってくるのはなぜだろう。座布団を押し込んだと思ったらすぐに芳子の妹である川島廉子(森田あや)の来訪が告げられる。今度は野崎が持ち込まれた座布団をどんどん廊下に放り投げる。たったそれだけのことなのだが、置き場所に困った座布団を、野崎の部屋にいっとき入れておこうとしたのか、前後のつながりや行動の意図がよくわからない。本作を鑑賞するのに大きな妨げにはならないが、谷仲、吉水の常連キャラが登場する場面であるから、もったいないと思うのだ。また野崎役の谷仲がずっと長髪であることも、気になりはじめると見るほうとしてはなかなか辛い。金田一耕助ばりの探偵の場面ではまだしも、過去の場面で長髪を束ねて軍帽、軍服というのはいかにも急ごしらえの感あり、ここもまたもったいないと思う。
男装の麗人、東洋のマタ・ハリと呼ばれ、歴史の荒波に翻弄された川島芳子は時代のメタファーである。彼女を通して何かを書きたい、書き残したい、書くことによっておのれが生きている証を立てたいと願う人々と、戦争に人生を支配された暗い時代の悲しい物語だ。にもかかわらず、終演後は実にさわやかでよい心持ちであった。加賀美正一、西條八十は、おのれの「書きたい」欲望と、彼らを襲う運命に苦悩した。劇作家吉水恭子は彼らの心象に寄り添いながら、みずからの「書きたい」という気持ちを冷静にみつめ、大胆に表現したのではないだろうか。
今夏も芝居屋風雷紡にご来場いただき誠にありがとうございます。
ブログ記事を参考に精進致します。
これからも芝居屋風雷紡をよろしくお願い致します。
来夏も是非足をお運び下さいませ。
当ぶろぐへのお越しならびにコメントをありがとうございました。拙稿お読みくださいまして、恐縮しております。
よい千秋楽を迎えられ、よかったですね。
またぜひ拝見させてくださいませ。
遅ればせながらご来場ありがとうございました。
そして、このようなありがたい劇評を頂きまして、大変励みになります。
芝居をやる度に、自分の至らなさが浮き彫りになり、それがまた次への力となっています。
ブログなどでのお客様からのこういった声も、原動力です。
今後もどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。
ブログの拙稿お読みくださいまして、まことにありがとうございました。ことばの足らないところ、表現の浅いところなど多々ありまして、お恥ずかしいです。
けれども「何かを書きたい」という気持ちが掻きたてられる舞台に出会えたことが何よりの喜びです。
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。