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旗揚げ公演(1)から4か月、約束通りの第2回公演。ステージ数は5回に増えた。前回の印象を大切にしつつ、気持ちを新たにと言い聞かせて観劇に臨む。
開演を控えた公演の楽屋。俳優は三者三様に出番に備えている。とそこへ制作の女性が駆け込んできた。3名だけだったこの日の観客が3名ともキャンセルしたきたという。つまりこのままでは誰もいない客席に向かって芝居を上演することになる。ビデオに録画のための上演がいったん決まるが、実は俳優それぞれ気になることがあり、上演中止になったほうが都合がよい。ならば「アイツを使おう」とアンドロイドに演技させることになった…とここまでのあいだに、公演チケット購入のシステムから、実際にアンドロイド演劇を上演している劇作家を連想させる導入部である。
「だから、これは、ここから先は、ifの話。誰かによって書かれ、時に誰かによって書き直された、『硝子細工のイヴ』というもう一つのお話。一冊の本。いくつもの祈り。if、もしそんな未来が訪れたら、 if、もしものそんな過去だったら…『ウテン結構第2回公演 硝子細工のイヴ』開演」
長くなったが上演台本を引用した。アンドロイドが演じる、一種の劇中劇。もしかしたらこれまでにあったかも、これから先にあるかもしれない舞台についての物語。これが今回の公演の核である。しかし舞台の上演は簡単には進まない。時空を越え、殺された人間のからだをつなぎ合わせて再製する近未来、人形と暮らすかつて人間だった機械などなどが交錯する140分の舞台である。
観劇の最中、視点を定めればよいのかが決められず相当に右往左往し、上演台本を一読しても、人物の配置や作品の構造を把握することは難しい。ところどころに第1回公演『アリス式海岸不思議岬邂逅』の音楽や場面、モチーフが取り入れられており、ウテン結構の第5回までの活動は、ひとつの大きな物語を連ねていくことも、ひとつの目標になっているとも予想される。
劇中劇の台詞を紹介する場面があり、それは「私とは、いたずらにアダムによってイヴと名付けられたあの日から始まり、そのアダムへの憎しみを覚えたことで完成していった一人の人間」である。旧約聖書の創世記には、神は自分に似せて人間のアダムを作り、助け手が必要だと、アダムのあばら骨から女=エバを作ったと記されている。そのエバとアンドロイドを結び付けた発想の独自性を、もっと確かに客席への共感に結び付けられたら、舞台の手応えは変わってくるだろう。
ITだのAIだの、機械が人間の世界を侵食し、駆逐せんとしている今、生身の人間が行う演劇を、生身の観客が見るという根本的な行為の意味、なぜ演劇なのかという問いへの答を求め続ける。これがウテン結構の創造の姿勢であると受け止めた。個々の場面がつながったり離れたりしながら、作り手がどうしても客席に見せたい光景(作り手自身が見たい光景)に持っていく手並みには、まだ創作の余地がある。さて第3回では、わたしたちをどこへ連れて行こうとしているのだろう。心身整えて、10月公演の『奇妙な旅の旅のしおり、この世の果て』に備えたい。
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