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タイトルの通り、蛇蝎のごとく憎みあっていた薩摩藩と長州藩が、龍馬の仲立ちで同盟を組む歴史的事件の次第を描いた回。朝日新聞テレビ欄には、「史実を踏まえながらもドラマらしくいささか大げさに、独自の設定、手法で描いていく。作品としても頂点に達した感がある。」と絶賛の記事が。ちょっと褒めすぎでは?と少々構えた。が、悔しいけれども(何に対して悔しいのか、はっきり書けない)、見ごたえがあったことは認めます。「独自の設定」というのは良心的な表現で、薩長同盟が成立する一夜に、龍馬をめぐる人々の行動や思いが交錯するさまざまなエピソードについては賛否両論あると思う。
心に残ったことをいくつか。
以前も書いたが、原田泰造の近藤勇が黒光りするような魅力を発している。肩で風を切って京の町を闊歩している新撰組だが、将軍家直参の見廻組からすればただの人斬り集団。文字通り地べたに頭を押さえつけられ、屈辱的な姿をさらすところは、土佐の上士と下士の関係を思わせる。この人もまた、言葉にしがたい鬱屈を抱えているのだ。龍馬と今後どのようにかかわるのか、「独自の設定、手法」が気になるところである。
龍馬の護衛を命じられた長府藩(この箇所訂正しました:長州藩の志藩)の槍の名手三吉慎蔵。筧利夫が演じている。登場したのは前の回だが、出た瞬間、「この人なら必ず龍馬を守ってくれるだろう」と思わせる。命じられたことを黙々と遂行しているだけにみえるが、心の中にはいろいろな思いがあって、龍馬といっしょにいると、これまで多くの人がそうだったように、つい本心を話してしまうのだろう。薩長同盟が成立したことを龍馬から知らされて、にこりともしない人がからだじゅうに喜びを溢れさせ、ひれ伏して龍馬に礼を言う。龍馬から「三吉さんが自分を守ってくれたおかげだ」と言われて、自分もまたこの大仕事を成し遂げた者の1人であることに驚く。想像してみるに、これまで三吉慎蔵は自己主張などせずに黙々と上からの命に従ってきた人なのではないか。行けと言われれば、そこがどこだろうと、理由も聞かずに(聞けずに)黙って行く。行って感謝もされず、褒められもしない。それがこの日はじめて、自分が歯車のひとつではないことを知るのである。よい仕事ができてほんとうによかった。三吉慎蔵という人物にも、俳優筧利夫にも、そんな思いで胸が熱くなる。
(三吉が龍馬に礼を言う台詞がよく聞き取れなかったが、「ご大儀さまでした」だったのだろうか?)
小松帯刀(滝藤賢一)の屋敷で、西郷(高橋克実)と木戸(谷原章介)が同盟の条件について行き詰まったとき、龍馬が「つぎの条文を入れたらどうか」と提案する。薩摩が長州を一方的に助けるのではなく、対等でなおかつ両者が力をあわせて日本を守ることを約束するという一文だ。このとき、なつかしいあの歌声が低く聞こえてきた。第一部、第二部ではよく流れていたのに、自分の記憶では武市半平太切腹の回から聞かれなくなっていたが、あの歌声によって、薩長同盟成立までに多くの友が志なかばで倒れていったことを忘れまいという龍馬の決意が示されたと思う。龍馬が薩摩藩邸に出向く前に心のなかで武市、岡田以蔵、近藤長次郎に呼びかけ、そしてあの歌声があって、半端な回想シーンなどないのがよかった。
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