因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団肋骨蜜柑同好会第12回公演『殊類と成る』

2019-12-05 | 舞台

*フジタタイセイ作・演出 公式サイトはこちら1,2,3,4,5,6,7,8,9,10)下北沢・Geki地下Liberty 10日まで
 中島敦の『狐憑』などいくつかの連作短編、中島自身のエピソードに加え、今回の出演俳優の実際の体験などからも着想を得て、虚実織り交ぜた混沌から生み出した登場人物16名の群像劇。中島敦の『山月記』のようなものかと予想したが、そこから更に、「変身譚であり、破滅譚であり、そして復活譚でもある、一種のモキュメンタリー演劇」(当日リーフレットのフジタ挨拶文より)とある通り、演じる方にも見る方にとっても厄介で、それだけに不思議な魅力を持つ作品だ(モキュメンタリー→解説)。

 物語の主人公を演じる俳優は基本的に2名だが、3名のようでもあり、外見も造形もまるで異なるため、「そうかもしれないが、いや、それにしても」と客席を混乱させ困惑させつつ進行する。すんなりと劇世界に身を委ねられる作品は楽であるが、時空間が激しく交錯すること、時おり劇作家や小学校教師ほかの役で顔を出す作・演出のフジタタイセイが、最後の最後、カーテンコールにあのようなかたちで登場するなど(実際に劇場でお楽しみください)、肋骨蜜柑流、フジタ流の持ち味がいつにも増して満載、炸裂する125分である。

 下北沢のGeki地下Libertyは今回はじめて足を踏み入れた劇場だ。同じ下北沢のザ・スズナリをやや小ぶりにした印象の空間である。大きな台を置いて主な演技スペースとし、その周辺も「演技通路」のように効果的に使う趣向である。台はわりあい高さがあり、飛び降りたり駆け上がったりする俳優には、肉体的負荷もあるだろう。また舞台奥には布の幕が下りているが、そこの切れ目から顔を出す場面もあり、舞台空間のわりに大勢の人物が出入りする作品は、決して楽ではないと想像する。

 劇団員はじめ多くの客演陣は、フジタの作劇を理解し、その心身に落とし込み、馴染ませ、立体化することに、かなりの高レベルで成功していると自分には思われた。それは芸達者や器用等という括りではなく、またいわゆる役作りとも違う、戯曲に対して、喧嘩腰といってもよいくらいの挑戦の姿勢ではないだろうか。本気で喧嘩のできる仲間を得た劇団肋骨蜜柑同好会とフジタタイセイは、大変だろうが幸せだ。肋骨の舞台は、その喧嘩に観客も巻き込もうとする。客席の自分は、舞台から売られた喧嘩に右往左往しつつ、手加減しないこと、されないことが嬉しいのである。

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