因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『となり町戦争』

2007-05-12 | 舞台
*三崎亜記原作(集英社刊) ケンジ中尾プロデュース・総合演出 中井由梨子演出・潤色 ザムザ阿佐ヶ谷 公式サイトはこちら 13日千秋楽も2回公演あり
 ハイリンドの俳優総出演と聞いて足を運ぶ。原作の小説未読、江口洋介主演の映画も未見のまま。
 ある日突然森見町と舞坂町で戦争が始まった。といっても銃声も聞こえず、爆撃もない。「戦争で地域振興する」ために、議会が決定したことなのだそうだ。平凡なサラリーマン北原(多根周作/ハイリンド)に、特別偵察業務のために、町役場のとなり町戦争推進室勤務の香西(青山千洋)と偽装結婚して、となり町の様子を探る辞令が下る。小さなアパートの一室で新婚夫婦として暮らしながら、「戦争推進室分室」としての業務のほか、家事の分担(夫婦の性生活も含めて)をする。ずっと以前にみたハンガリー映画『コンフィデンス/信頼』を思い出した。これは第二次大戦中、当局の命令で夫婦として暮らすことになった男女がいつのまにかほんとうに愛し合うようになってしまう話だ。
 それに比べると今回の舞台はやや突拍子のない設定で最初は戸惑ったのだが、いつのまにか俳優の演技にぐいぐいと引き込まれて、最後まで気の緩むことがなかった。「SF」「近未来の話」とくくれないひっかかりが感じられたのである。

 今の日本では戦争は起こっていない。平和を願う気持ちは確かにあるが、世界のどこかで絶えることなく人が争い、毎日のように傷ついて死んでいることも、それを実感として恐れ悲しんでいるかというと自信がない。主人公の北原をみていると、自分のその曖昧な立ち位置が次第にはっきり感じられてくる。

 正面から戦争反対のメッセージを発するものではないし、「こんなことは現実にもありうる」と危機感を煽るものでもない。
 しかし「大事な人を失いたくない」という最も強い思いをまっすぐに伝えるラストシーンは心に残る。どうして戦争をしなければならないのかという根本的な問いを、やはりまっすぐ持たなければ。

 終演後おもてに出ると、夕焼けはすでになかったが、空にはまだ明るさが残っていた。さっきまで見ていた舞台がほんとうのような嘘のような。この感覚は「今、となり町と戦争をしているなんて実感できない」という北原の気持ちと近いのではないか。すぐに駅前の書店に行き、原作を購入。帰宅後一気読み。本作を2時間足らずの舞台に作り上げた意欲と手腕に拍手。小さな空間を効果的に使っており、ケンジ中尾のオリジナルも入った音楽もよかった。前半、若い恋人たちが語らう場面の曲が自分は好き。何より主演の多根周作はじめ、北原の職場の主任(伊原農)や派遣社員(はざまみゆき)、アパートの隣人(枝元萌)など、ハイリンドの俳優への期待と思い入れは、今回の舞台でますます強くなった。

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