*池田大伍「西郷と豚姫」
幕末の京都の料理屋で仲居をするお玉(中村翫雀)は、その立派な体格から「豚姫」とあだなされるが、明るく気立てのよい働き者で誰からも慕われている。薩摩藩の西郷吉之助(中村獅童)はことさらお玉を贔屓にし、お玉も西郷を慕っている。勤皇派と佐幕派が対立し、藩主の怒りをかって幕政から退けられていた西郷は、不遇な身の上を語るお玉の情にほだされて一緒に死のうと言いだす。そこに薩摩藩が勤皇に決まり、西郷が江戸への密使になることが知らされる。「情死(じんじゅう)はもう変替え(へんがえ)だ」と旅立つ西郷をひとり見送るお玉。
これまで新歌舞伎というと、舞台でテレビ時代劇をみているような感覚があって、やはり歌や踊り、歌舞伎ならではの所作事がないことがものたりなかったのだが、池田大伍が大正6年(1917年)に無名会に書きおろして初演された本作は、しみじみと情のこもった温かい舞台であった。お玉の翫雀、西郷の獅童いずれも今回が初役だそう。人情劇ではあるが、べたついたとことはなく、お玉と西郷の心情が複雑にうつろう様相がそくそくと伝わってきて、歌舞伎における見せ場とは違った、控えめな印象があることが好ましい。
藩から旅費として受け取った百両のうち、一両を懐にいれて残りをお玉に渡してすぐに旅立つ西郷。舞台の中央に佇み、無言で見送るお玉を薄幸とみるか、果報者とみるか。
*近松門左衛門『女殺油地獄』
河内屋のせがれ与兵衛は、放蕩三昧のあげく世話になった人妻を惨殺する。若者の暴走と狂気が炸裂する十五代目片岡仁左衛門の超当たり役に、その教えを一身に受けた片岡愛之助が挑む。東京での公演はこれがはじめてとのことだ。与兵衛に殺される豊嶋屋の女房お吉を演じるのは中村福助、今回が初役ということに少し驚いた。
4月19日朝日新聞で語られている初役に挑む心境が興味深い。お吉は大叔父である六代目中村歌右衛門、父芝翫が演じているがいずれも鬼籍に入っており、直接教わることはできない。しかし「心で問えば今も大叔父の言葉がよみがえり、父の教えが技術的に補ってくれる」のだと。歌右衛門は厳しく、フィーリングで教える。できずに悩んでいると芝翫が足の動かし方ひとつから「翻訳してくれた」。教わった経験が芸の基本にあれば、たとえ教わることができなかった役であっても答が見いだせる。歌舞伎役者の心と肉体に脈々と息づく伝統の芸とは、こういうものなのだろう。
自分はとうとう六代目歌右衛門を一度もみることはなかったし、芝翫のお吉も知らない。しかし福助の演じるお吉のなかに名優の芸が根づいていること、それを読み取り味わう。これがいまの自分の目標であり、願いである。
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