*ワジディ・ムワワド作 藤井慎太郎翻訳 上村聡史演出 公式サイトはこちら シアタートラム 11日終了
2014年、2017年に上演された『炎 アンサンディ』のルーツともいえる「約束の血四部作」の第1作が、今回の『岸 リトラル』である。紛争の絶えない国に生を受けた人々が血縁という人間の力ではどうしようもない宿命と、殺し殺し合う悲惨な状況に打ちひしがれながら、それでも生きてゆく物語である。『炎~』と同じ翻訳、演出であり、出演者の複数が再び登板する。
父の死を突然知らされた青年(亀田佳明)が、亡骸を埋葬する場所を探すために故郷を訪れる。旅の途上で出会う人々は絶え間ない紛争で筆舌に尽くしがたい体験をし、同じように父を亡くした傷に苦しむ。腐敗が進む遺体。青年は人々とともに海に向かい、故郷の国の電話帳を錨として遺体に結びつけ、海に沈める。
本作にはさまざまな仕掛けがあって、見る者を容易に入り込ませない。青年の心象を映画に撮影中のクルーが登場し、不意に客観的な視点が示されたかと思えば、彼の妄想のなかの騎士が登場したり(映画監督と二役)、亡くなった父(岡本健一)が生きている息子と会話したりする。父と青年役のほかは、俳優は複数の役を演じ継ぐ点にも、観客が単純なリアリズム演劇として捉えることを阻んでいる。
本作にはト書きがほとんどないとのこと、終盤で死者のからだに青い絵の具を塗ることはじめ、演出の担う部分は少なからずある。日常生活をベタに描いた作品ではないのだから、抽象的な舞台美術や趣向を大いに堪能したいところだが、終始言葉にしづらい違和感やもどかしさがあった。
上村が文学座アトリエ公演で演出した『冒した者』の終幕で、全裸の男性の全身が真っ赤に塗られていたこと、寄り添う女性は半裸で、やはり肌に塗料が塗られていたことをどうしても思い起こさせる。これほど強烈な演出を施すことが功を奏していたのかどうか、自分はいまだにわかりかねている。今回死者のからだを青く塗ることにも同様の印象が否めず、来日公演で同じ手法がとられていたのならなおさら、上村聡史の感性と経験値、強力で誠実な俳優陣の献身をもってすれば、可能だったのではないか。
上演時間の長さについて、来日版が160分だったとのこと。外国戯曲の翻訳といういかんともしがたい問題はあるにせよ、3時間30分の上演はやはり苦痛を伴う。ならば休憩を長く、あるいは複数回置けばよいというものでもない。休憩の設置はただ上演時間が長いから、観客の体調や生理のためという面だけでなく、何よりもこの作品をもっともよい状態で提示するにはどうすればよいかを考え抜かれたうえで実施されるものであろう。仮に休憩なしの160分で上演された場合、自分に耐えられるかどうかは即答できない。しかし戯曲に対しての必然性を実感できれば、少々のことは頑張れるのではないだろうか。
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