因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

加藤健一事務所『ドレッサー』

2018-03-07 | 舞台

*ロナルド・ハーウッド作 松岡和子翻訳 鵜山仁演出 公式サイトはこちら 下北沢・本多劇場 11日で終了
 1942年1月、第二次世界大戦下のイギリス。シェイクスピア劇の上演で旅公演をしている劇団では、年老いて精神的に不安定な座長が主役を務める『リア王』の開幕が迫っている。ドレッサー(衣裳係兼付き人)のノーマンの孤軍奮闘の末、ようやく開幕にこぎつけるも、空襲の爆音が響く。果たして今夜の舞台はどうなるのか?1980年、イギリスはマンチェスターで初演されて以来、映画化もされたバックステージものの傑作である。

 1988年の日本初演は三國連太郎の座長に、加藤健一の付き人(ドレッサー)。自分はとてもおもしろく見たが、初めての外国人演出家(ロナルド・エアー)、通訳を通す稽古など、加藤氏はいたく不完全燃焼だったらしい。30年の時を経て(すごいな)満を持して座長役に挑む。付き人に加納幸和の配役も新鮮だ。懐かしい作品でもあり、喜び勇んで下北沢に向かった。

 何年経っても記憶に残る場面がいくつもある。なかでも駄々っ子のように泣き続ける座長をノーマンが必死になだめすかし、何とかメイクやかつらを整えたところで夫人を呼んでからの場面はいまだに忘れがたい。ようやく平常心を取り戻したかに見える座長が、「闘って生き抜こう」と座右の銘をつぶやいて、夫人にリア王のマントを着せかけられ、正面を向いて堂々と立ったときのその威風あたりを払うさまの迫力といったら、三國版では初演、再演ともにこの場面で観客から大きな拍手が沸き起こった。静かに流れていた音楽が次第に高まって厳かで重厚なファンファーレが響き渡ったとき、思わず背筋がぞくぞくした。この場面だけでも見る価値がある!そう思ったものである。

 しかしト書きには座長と夫人の動作が記されているだけで、拍子抜けするくらいあっさりしている。今回の鵜山演出はそれにのっとったものであり、待ち構えていると肩透かしをくう。となると演出家の役目は何だろうかと思うのである。

 自分が三國版を見ていなかったら。あるいは三國版だけでなく、それ以後の平幹二朗や渡辺哲による座長を見ていたなら、果たしてどんな印象を持ったのか。それはいくら想像してもわからない。

 30年前の初演以来、加藤は外国人演出家との仕事はしていないという。のみならず外部公演への出演はほとんど行っていないのではないのか。加藤健一事務所の座長であれば無理かならぬことかもしれないが、もし可能性があるのならば、加藤にはぜひ他流試合にも臨んでほしいと思う。

 バックステージものと言えば、次々に襲い掛かるアクシデントを、経験値と機転で切り抜け、さらに演劇の神が降臨したかのような奇跡が起こって見事上演が成功するさま、激しく衝突しながらも、芝居への情熱によってひとつにまとまる演劇人の心意気を描いた演劇賛歌的なものが少なくない。観客もそれを期待する。演劇の素晴らしさ、作り手への憧れと尊敬をたっぷりと味わいたいのである。

 本作を「バックステージものの傑作」と書いておきながら、ふと違和感が生じる。演劇に限らず何事も内実はさまざまだが、『ドレッサー』が描く『リア王』の楽屋内は、あまり笑えないどころか、陰惨といってもよいくらいである。劇団員みな疲弊し、互いの信頼関係は希薄である。単純な言い方をすれば、彼らはあまり仲良くないし、いい座組とは言いかねるありさまである。極めつけは、座長の自伝の謝辞に自分の名前が記されていないと知ったノーマンの衝撃と絶望である(謝辞を読み上げる場面のノーマンの演技も、初演、再演に比べると、「ウィリアム・シェイクスピア」まであっさりと読み上げていた)。
 俳優は、相手に認められること、評価されることが不可欠な仕事である。ノーマンが以前は俳優であったということは重要な設定であろう。付き人になるということは表舞台の道が半ば閉ざされるに等しい。彼の葛藤はいかばかりか。それだけに座長に認められたい、今でいうところの承認欲求が強くならざるを得ない。その思いが無残にも打ち砕かれる場面は、まことに痛ましい。この冷厳な終幕が示すものは、ノーマンだけでなく、やりたい放題の座長もまた孤独で報われない人であったこと、400年以上に渡って世界中あまたの演劇人が人生を捧げ続けているその頂点に君臨するシェイクスピアという劇作家の、空恐ろしいまでの存在であろう。座長とノーマンの関係は、リアと道化に例えられるが、座長もまたシェイクスピアという暴君に翻弄される道化であり、生涯その呪縛から逃れられなかったのである。

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