*公式サイトはこちら 歌舞伎座で26日まで
まずは1本めは「一谷嫩軍記」の「陣門」と「組打」の二場である。後者では、平敦盛と熊谷直実が海上で一騎打ちをするところを、子役を使った遠見の手法がみどころだ。ほんとうに遠くの海上でふたりの武将が闘っているようにみえる・・・のではなく、明らかに子どもが大人の役を演じており、いくら同じ衣裳を着て鬘や化粧を似せたとしても、菊之助や吉右衛門にみえるわけはなく、それでも「そういったもの」と了解してみるのが歌舞伎の楽しみであろう。
2本めの「神田祭」はほろ酔い機嫌の鳶頭に粋な芸者衆の踊りが華やかで楽しい。
そして3本めが河竹黙阿弥作「水天宮利生深川」(すいてんぐうめぐみのふかがわ)筆屋幸兵衛」である。たぶん今回がはじめての観劇になるが、これが思いのほかしみじみと嬉しい一幕であった。
実を言うと、歌舞伎の舞台で松本幸四郎をみるとき、「何だか不自然だな」と感じることがある。逆にテレビドラマや映画なら、現代劇の場合は無理なく自然であり、それが時代劇ならば、その立ち振る舞いや台詞に「さすが歌舞伎役者!」と感服する。幸四郎丈に申し訳ないのだが、これが正直な感覚であった。
今回の「水天宮利生深川」は、明治初期の風俗を描いた散切物の名作で、明治18年(1885年)に千歳座で初演された河竹黙阿弥の作品である。明治維新の激動のなかで、武士の身分を失い零落した士族・船津幸兵衛が主人公の人情ものだ。筆を商っては細々と暮らしを立てていたが、妻に先立たれ、残されたのは盲目の娘お雪(中村児太郎)と、まだまだ幼いお霜(松本金太郎)、さらに乳飲み子の幸太郎を抱え、金貸しから理不尽な取り立てを受けた幸兵衛はついに一家心中を図る。しかし乳飲み子の笑顔に身の因果を思って狂乱状態になった幸兵衛は、息子を抱えて大川へ身投げ。同じ長屋の住人の車夫三五郎(中村錦之介)に助けられて正気に戻った幸兵衛は、長屋のご近所さんや大家さんの優しさに気づき、生き続けることを決める。
絶望から心中を決意する場は、泣き崩れながら「わたしを先に殺して」と頼む娘たちと、まさに愁嘆場である。それが頑是ない乳飲み子の笑顔に狂乱し、かけつけたご近所の老女たち、大家さんに乱暴狼藉を働くさまは、歌舞伎の世話物というより、近代劇、現代劇での「壊れてしまった人」に近い。しかしそのなかに、音曲に合わせて歌舞伎ならではの所作や台詞でその様子を演じる幸四郎がみごとである。そして川から救い出されて正気にもどり、やってきた大家の頭の包帯は、自分が薪で傷つけてしまったことを忘れて、「あなたさまおつむりはどうなさいました?」と尋ねたり、「それはお危のうございます」と気遣う台詞の上品でおっとりした様子は客席に温かな笑いをもたらす。
歌舞伎役者であり、現代劇の俳優でもある松本幸四郎。その持ち味をとても自然で素直に受けとめることができた。
今後の暮らしを助けてくれるであろう人と出会ったり、お雪の眼がうっすらではあるが見えるようになったり、ご都合主義といえばそうなのだが、当時幸兵衛と似た境遇の人、家族はあまた実在したにちがいなく、その人々が「もしかしたら自分たちの人生にも、こんな奇跡が訪れるかもしれない」とかすかな希望を抱いたり、たとえ「ありえない絵空事だ」とうそぶいたとしても、心の奥底がほんの少しでも柔らかくなったのではないか。
そうであったと思いたい。そう願わせてくれる舞台であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます