因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シス・カンパニー『人形の家』

2008-09-19 | 舞台
*ヘンリック・イプセン作 フランク・マクギネス英訳版 徐賀世子翻訳 デヴィッド・ルヴォー演出
 公式サイトはこちら シアターコクーン 30日まで

 自分の演劇歴を振り返ると、90年代に最も強い影響を受けた演出家がデヴィッド・ルヴォーである。ルヴォーによって自分はさまざまな戯曲に出会った。いや出会い直したといったほうがいい。若手、中堅、ベテラン、多くの俳優がルヴォーの演出によって、まさに「演技開眼」する瞬間に立ち会えた。そして劇場ぜんたいが幸福な空気に包まれることを体験したのである。あれから軽く十数年の月日が流れたことに愕然とする。

 と同時に、日本の新劇が数十年に渡ってやろうとしているのにできないことを、ルヴォーはしている。老舗の劇団で研鑽を積んだ佐藤オリエが「こんなに新鮮な体験は初めて」と目を輝かせ、堤真一は「俳優として基本的なことはすべて彼に教わった」と言う。喜びながらも「なぜだろう、どこが違うのだろう」と思う。ルヴォーの舞台に出会えた幸福に酔いながら、そこから自分が何を考えられるのか、それを批評という形で表現できないもどかしさに絶えず歯がゆく、落ち込むのだった。

 満を持して今回の『人形の家』である。ノラを演じた宮沢りえの頑張りは素晴らしく、夫役の堤真一はじめリンデ夫人の神野美鈴、クロクスタの山崎一、ドクターランクの千葉哲也と、気心の知れた常連メンバーも今回が初めての人も隙のないアンサンブルをみせる。終幕、ノラが出て行きヘルメルが一人舞台に取り残される。カーテンコールで、脇の人物は皆現代のラフな服装で軽やかに舞台に現れる。そしてノラの宮沢りえは黒のカットソーに白いパンツ姿で颯爽と客席通路を駆け下り、舞台に並ぶ。100年以上も前に書かれた『人形の家』に、現代の風が吹き抜けた瞬間である。そこに一人だけ舞台衣装のままのヘルメルは、古い考えに囚われて取り残された現代の男を象徴するものなのだろうか。

 100年以上も前にこの物語が書かれたことに、改めて驚く。夫婦の在り方は、夫婦の数だけある。端からみてどれだけ奇妙であっても本人たちがよければ構わないと思う。先生と生徒、患者と看護婦、雇用主と労働者。ピッチャーとキャッチャー。いろいろあるだろう。ノラとヘルメルにしても、ひとさまの話である。比較したり批判することはおこがましい。しかしこれが戯曲に書かれ、舞台で上演されることは、劇作家から観客に対しての挑戦であり、強く答を求める質問状なのだ。この夫婦をどう思うか、あなたはどう生きたいのか。100年以上の年月を経て、イプセンはなおも自分に問いかけるのだ。

 

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