*清水弥生(1)、瀬戸山美咲(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15)、坂手洋二作 鵜山仁演出 永井愛演出補 公式サイトはこちら スペース・ゼロ 19日まで (1,2)
当日リーフレット掲載の坂手洋二の挨拶文によれば、「あれこれ外から言ったりはしたが、台詞を書いて構成したのは主に清水弥生と瀬戸山美咲の二人であり、私は、題名を考えた以上には、あまり仕事はしていない」とのことだ。注目度上昇中の若手女性劇作家ふたりの共同脚本を、文学座の鵜山仁が演出して永井愛が演出補につくということが、劇現場を知らないものにとっては具体的にどういうことなのか想像もつかないが、新鮮な視点と切り口の作品をベテランががっちり支えている雰囲気を感じとった。
タイトルの「私」は「わん」と読み、~沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの~の副題がつく。沖縄本島北部に位置する高江は、人口およそ160人の小さな集落である。この地方には米軍施設「北部訓練場」があり、付近は昼夜問わず軍用ヘリコプターが上空を飛び交う。
1996年、SACO合意に基づいて、アメリカは北部訓練場のおよそ半分を返還することを約束したが、ある日高江の村を囲むように米軍のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)を増設する工事がはじまり、話し合いを求める住民の声を無視して計画はすすめられていった。
2007年、意を決した高江の人々は工事現場の入口で座り込みをはじめた。運動の輪は少しずつ広がり、今日いま現在も24時間体制でつづいている。公式サイトはこちら。
リーディングの舞台は、劇作家のヤヨイとミサキが村を訪ねる場面にはじまった。
非戦を選ぶ演劇人の会の中心であった井上ひさしが亡くなった一昨年と東日本大震災と福島原発事故直後の昨年は、舞台に得も言われぬ熱気と緊迫感があり、それが舞台をより効果的にしていた部分もあるが、いっぽうで残念ながら舞台が現実に負けている印象があったことは否めない。力のこもったステージもベテラン劇作家と俳優の司会者も、飯館村の酪農家長谷川健一さんの迫力の前にふっとんでしまった・・・。
震災直後の劇現場の困難については多くの演劇人がそれぞれに語っているが、震災から時間が経つにつれて違う困難が生まれてくるのではなかろうか。震災直後から1年くらいであれば、生々しく動揺する心象をぶつけるような作品であっても、みるがわにも同様の感覚があるからわりあい寛容に受け入れられる。しかし1年半、2年、3年と経過していくとき、震災の記憶や感覚が次第に風化していく現状にあって、劇作家が自分の立ち位置をどのように定めるかは極めてむずかしい。
たとえばある劇作家が「被災地を忘れてはならない、原発には反対だ」という考えであるとしよう。その考えをそのまま芝居にできないことはないだろうが、それをどのように舞台にのせるのか。動揺や混乱、怒りや悲しみを示すのに、その劇作家らしく芯の通ったものがみたいのである。舞台をみるとき、劇作家の感覚を共有し、考えに共感することよりも、まず何を言おうとしているのかを知り、それをどのように表現しているかを受けとめたいのである。共有や共感はそのあとのことだ。
沖縄の高江村に焦点をあてた今夏のリーディングは、基地問題はじめ沖縄について多くを知らなかったふたりの劇作家の目を通して、沖縄の過去、現在の重苦しい現実を叩きつけるように描き、やや暗めの終幕ではあったが、未来への展望を示すものであった。
清水弥生と瀬戸山美咲のがんばりに敬意を表したい。ベテラン演出家やたくさんの俳優スタッフともに、劇作家としても今この国に生きる者としても、貴重な体験になったことだろう。
ピースリーディングは、自分にとっても非常に大切ではずすことのできない夏の行事になった。これからもぜひつづけて通いたい。しかしいっぽうでこの「リーディング」という形式や、この公演のもつある種の雰囲気に対して、率直にいって若干の違和感、ものたりなさを感じ始めているのも確かである。
舞台の終幕、ヤヨイとミサキは高江村を去る。ミサキは「ここでみたことや聞いたこと、感じたことを、今度は自分の言葉で表現したい」と語る。そう、劇作家瀬戸山美咲が自分自身のことばで新しい劇世界を構築するのはこれからなのだ。大いに期待している。
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