因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演『ノア美容室』

2023-02-11 | 舞台
*ナガイヒデミ作 中島裕一郎演出公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 19日まで
 『送り火』(2017年)、『白い花』(2020年)に続くナガイヒデミ3作めの民藝書下ろしは、瀬戸内のとある農村の小さなパーマ屋「ノア美容室」が舞台である。時は2013年夏、美容師の櫟木(くぬぎ)緑(日色ともゑ)と農家の主婦である馴染み客のあかり(船坂博子)が鏡を覗き込みながらのやりとりに始まる。

―初日を迎えたばかりの公演です。これからご覧になる方はご注意を―

 床の掃除やこまごまとした手伝いをしているのは住み込み修行時代からの緑の後輩弓岡麻帆(白石珠江)だ。「新道を使えば車で40分」のところで美容室を経営している。そこへ緑の孫・名越映子(加來梨夏子)が「ただいま」と言ってやってきた。
 
 四国は愛媛のことばはゆったりと温かみがあり、婚礼の花嫁のこしらえからずっとつきあいのある緑とあかりの会話から、美容師と客という関係を越えて、互いの家庭や仕事のことなどもよく知った上で思いやり、遠慮がちに心配し合う間柄であることがわかる。そこに麻帆はやや不協和音的な絡み方をする。映子は大学で民俗学を学んでおり、卒論執筆のための取材として、祖母や麻帆たちの話に熱心に耳を傾ける。やがて現れた映子の父、つまり緑の息子である名越肇(天津民生)は地元銀行の支店長で、緑へある決断を迫る。

 緑は中国戦線で亡くなった父の顔を知らない。一度は結婚したが姑と折り合いが悪く、肇を置いて家を出た過去がある。母と息子の名字が異なる理由である。その肇も妻(映子の母)とは別れて再婚したらしく(やや記憶が曖昧)、店の存続について祖母に味方する娘は父に反発して家に寄り着かないなど、父と娘の関係も複雑だ。

 いつもながら日色ともゑの声は明るく張りがあり、そのなかに時おり長年の苦労や悲しみを滲ませる。声の質というより、声の色が台詞によって微妙に変容する。緑という女性がどれほど厳しい人生を歩んできたか、それでもこの小さな美容室で働くこと、馴染み客との語らいが支えになっているかが伝わるのである。

 第一幕は登場人物の背景や関係性について、さまざまな情報が発せられる。これがどのように発展し、収束してゆくのか。

 第二幕は、緑の幼なじみで戦場カメラマンとして活動している浪江五郎(西川明)と緑の会話である。終幕、背後に故郷を象徴する一本杉とヒマラヤの山並みが映し出されるなか、緑と五郎は寄り添いながら鏡に映った互いを見つめ合う。柔らかな光が二人を包み、美しいが寂寥感のある情景だ。二人はもう会うことはないのではないか。いや、もしかすると五郎はこの世の人ではないか、あるいは世界の紛争地でまさに命を落そうとしていて、魂が緑に会いに来たのではないかとさえ思わせる。

 投げかけた問いや謎を劇中ですべて回収し、答を提示する必要はない。問いかけたものを客席が受け取り、終演後の帰路や数時間経った深夜、あるいは何年も先、何かが不意にストンと心に落ちる可能性もある。今回はどうであろうか。

 第一幕、物語は客席にさまざまな疑問や期待を抱かせる。麻帆があかりに執拗にセールスをしたり、「新道を使えば車で40分」と何度も言うのはなぜか。彼女の性格や背景への踏み込み、深刻な状況を打ちかけたあかりのその後。やや過剰な造形の肇にはもっと事情がありそうだ。祖母に諭されていったん父の家へ行くことにした娘の映子との関係性の変化、そしてノア美容室の行く末は?観客がそれぞれの心の中で想像するのはいささか荷が重く、あともう一息、第三幕を見たいのである。
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