公演チラシには「雨天決行!換気充分!合羽必須!」の文字が躍る。状況劇場から受け継いだ初代紅テントが、下北沢に登場した。天幕だけを使い、周囲は板などで囲われてはいるが、いつものような横幕はない。天幕と囲いのあいだから外が見え、雨風が容赦なく吹き込む「半野外劇場」である。紅テントが紅天幕劇場となり、唐十郎が状況劇場を解散し、新しい門出としてバブル絶頂期の1988年に上演した下町唐座の舞台が蘇った。観劇当夜も雨となり、紅天幕のあちこちが雨漏りしている。風も強く、気温も低い。合羽は雨除けというより防寒着である。それでも天幕内は1年ぶりの舞台を待ち受ける高揚感に溢れた。
本作の主たるモチーフはポール・ギャリコの小説『さすらいのジェニー』だが、これがもう、滅法おもしろい。読み進めていくのが楽しみで、しかし終りに近づくのが惜しい、前のめりで読みながら、このままだと徹夜になるからやめておこうとページを閉じるといった体験は久しぶりである。8歳の少年ピーターは交通事故で意識を失い、気がつくと猫になっており、美しい雌猫ジェニーに助けられる。人間の心を持った猫の視点で描かれる冒険譚であり、痛烈な人間社会への風刺、切ないファンタジー、愛の物語でもある。
唐十郎の『さすらいのジェニー』は、猫から再び人間に戻った少年ピタ郎が愛しいジェニーと再会し、また別れる物語である。初演は緑魔子、石橋蓮司、柄本明、そして唐自身も出演した。それから30年余を経て、ピタ郎を福本雄樹、ジェニーを藤井由紀、人工舌を持つ捜索者ベロ丸を久保井研、ジュース会社の研究員ワタナベを稲荷卓央の布陣に加え、若手や常連の客演陣もいよいよ充実している。雨風の悪条件になればなるほど、舞台にはエネルギーが増し加わり、テントの熱気は高まるばかりだ。
舞台の印象を思い起こしながら、唐十郎が小説『さすらいのジェニー』を読んでどのように創作の情熱を燃え立たせ、不思議な登場人物たち、手の込んだ大道具小道具、惜しげもなく使う本水、目まぐるしく奇想天外な展開と、抒情あふれる終幕まで言葉を書き記したのかを想像した。眼の輝きやペンの走る音までもが頭に浮かぶ。舞台『さすらいのジェニー』は、文学作品に設定を借りることに留まらず、文学の世界と生身の人間の世界が激しく交錯する。テントの壁を開いて半野外からほんとうの野外へジェニーが去ってゆく終幕は、劇世界と日常が溶け合って、自分の心身がどこかに持ってゆかれそうな不安と恍惚感を与えてくれるのである。
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