因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『ある子供』

2006-02-06 | 映画
*ジャン・ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟 監督・脚本
 偶然だが、この兄弟の作った映画をここ数年ほとんど見ているのである。どの作品にも暗い目をした少年少女が登場し、忘れがたい印象を残す。
 主人公のブリュノは二十歳。盗品の売買でその日暮らしをしている。恋人のソニアは十八歳で、最近二人のあいだには男の子が産まれたばかりである。男性は子供が産まれてもなかなか実感が持てないそうだが、ブリュノの場合は実感も自覚もなく、こともあろうに金のために子供を売ってしまう。ソニアは幼いながら既にしっかりと母親の顔をしており、溢れるような愛情を注いでいる。子供が売られたと知って卒倒するソニアに驚き、ブリュノは子供を売人から買い戻す。しかしソニアには拒絶され、もうけ損なった売買の仲買人に脅されて身ぐるみはがされ、みじめな姿で町をさまよう羽目になる。
 彼は親の愛情を知らずに育ったらしい。知らないこと、教わらないことを自分が行うのは難しい。
 しかし親からの愛情を充分に受けたとしても、それを自分の子供にしっかりと注ぐことが誰にでもできるのだろうか。
 ブリュノたちを取り巻く世界は冷たく厳しい。彼もそれほど強くなったわけではない。ソニアは気丈な女の子だが、それでもどこまでブリュノを受け入れらるか、限界があるだろう。
 だが終幕にはじめて自分から息子の名を口にして泣き出したブリュノの心を信じたい。
 互いの額をくっつけてただただ泣いている幼い二人に、カメラは一気に近寄っていく。
 この二人を見よ、とでも言うように。観客が簡単にもらい泣きするのを拒絶するかのように、画面はすとんと暗くなり、クレジットが流れ出す。一切音楽は流れない。この冷徹さ。
 子供を産み育てることに対して、希望のもちにくい世の中である。
 親子の関係、家族の絆も脆く不安定だ。
 しかしこの映画は「親になれるという希望」を示している。傷ついて打ちひしがれ、自分を嫌悪して後悔する中にこそ、生き直す希望があるということを。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 現代能楽集Ⅲ『鵺/NUE』 | トップ | 『エリ・エリ・レマ・サバク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事