*宮沢章夫作・演出 シアタートラム
リーフレットには<上演にむけての新作戯曲リーディング>と書かれている。
海外戯曲だけでなく日本の新作のリーディングを、本式の上演にむけて客席の反応や意見も参考にしながら作品を作り上げていきたいという狙いとのこと。もうじき初日の川村毅作・演出の『フクロウの賭け』は、このようなプロセスを経たのだそうだ。
このような今回のリーディングの主旨を聞いたとき、正直なところ違和感を感じた。自分にとってのリーディングは完成した作品である戯曲が読まれるものをみることである。海外の新進劇作家の作品の場合は日本でまだ本式に上演されておらず、それはある意味で「作りかけ」のプロセスであるのだが、戯曲じたいが変化するわけではない。リーディングをみた観客のリアクションや、アフタートークの意見交換で、そう簡単に戯曲が変わっていいものだろうか。
さらに今回の公演では俳優は台本を手にもってはいるものの動きも大きく、台本さえなければ本式の上演と変わらない印象をもった。違う言い方をすれば「台本を持つ」「台詞を言いながら台本を見る」という演出ではないかとすら思えた。
公演の主旨と合わせれば、リーディングというより一種の「プレビュー」「公開稽古」「試演会」では?
アフタートーク(作・演出の宮沢章夫と世田谷パブリックシアター制作の松井憲太郎)では客席からの活発な意見もあり、500円の入場料でここまで勉強させていただいて申し訳ない気分である。ただ前述の違和感はどうしても拭いきれず、融通のきかない自分の性分を実感する夜となった。
国内外を問わず、いろいろな作品に出会いたいと思う。新作だけではなく、これまで何度も上演をみてきた作品を「リーディング」という形で、新鮮な気持ちで味わう体験もしてみたい。
戯曲を、台詞を、言葉そのもので受け取りたいのである。
リーフレットには<上演にむけての新作戯曲リーディング>と書かれている。
海外戯曲だけでなく日本の新作のリーディングを、本式の上演にむけて客席の反応や意見も参考にしながら作品を作り上げていきたいという狙いとのこと。もうじき初日の川村毅作・演出の『フクロウの賭け』は、このようなプロセスを経たのだそうだ。
このような今回のリーディングの主旨を聞いたとき、正直なところ違和感を感じた。自分にとってのリーディングは完成した作品である戯曲が読まれるものをみることである。海外の新進劇作家の作品の場合は日本でまだ本式に上演されておらず、それはある意味で「作りかけ」のプロセスであるのだが、戯曲じたいが変化するわけではない。リーディングをみた観客のリアクションや、アフタートークの意見交換で、そう簡単に戯曲が変わっていいものだろうか。
さらに今回の公演では俳優は台本を手にもってはいるものの動きも大きく、台本さえなければ本式の上演と変わらない印象をもった。違う言い方をすれば「台本を持つ」「台詞を言いながら台本を見る」という演出ではないかとすら思えた。
公演の主旨と合わせれば、リーディングというより一種の「プレビュー」「公開稽古」「試演会」では?
アフタートーク(作・演出の宮沢章夫と世田谷パブリックシアター制作の松井憲太郎)では客席からの活発な意見もあり、500円の入場料でここまで勉強させていただいて申し訳ない気分である。ただ前述の違和感はどうしても拭いきれず、融通のきかない自分の性分を実感する夜となった。
国内外を問わず、いろいろな作品に出会いたいと思う。新作だけではなく、これまで何度も上演をみてきた作品を「リーディング」という形で、新鮮な気持ちで味わう体験もしてみたい。
戯曲を、台詞を、言葉そのもので受け取りたいのである。
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