因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群『だるまさんがころんだ』

2005-09-05 | 舞台
*坂手洋二作・演出 下北沢ザ・スズナリ
   三演めの今回は見送るつもりだったのだが、黒服の女の配役が平栗あつみ(演劇集団円)の病気降板により、佐古真弓(文学座)に代わったと知って、すぐにチケットを予約した。
 彼女には言葉では言い尽くせない思い入れがあり、それはあまりに個人的なことなので書きませんが、ともかく燐光群公演に役者目当てで行くのはこれが初めてではなかろうか。
 親分の命令で大学の地雷研究会に潜り込んだ子分(大西孝洋)と研究会のメンバーである黒服の女のやりとりの場面は、イラクに赴いた自衛官や地雷に苦しめられるかの国の人々の場面に比べると、しんと静かである。二人がかわす会話はどこかちぐはぐだ。結構いいトシの男女にしては微笑ましいし、何より魅力的なのは二人の関係にほのかなエロスが漂うところである。これは演じている俳優自身に色気があることとは少し違うと思う。
 今回は残念ながら女の子が親戚のお兄ちゃんとお話しているように見えた。
 女が「ふふ」と笑うところが何回かある。佐古真弓ははっきりと「ふふ」と発語していたが、このあたりが本役の難しさではないだろうか。文字に置き換えるには難しい、複雑な笑いである。地雷撤去作業で手足を失い、義足義手でからだじゅう脳までも継ぎはぎだらけだという女が唯一人間らしい声を発する箇所なのだ。俳優によって持ち味が違うのだから、と思い直しても、初演、再演で宮島千栄が聞かせた、ぞくっとするようなあの声がどうしても蘇ってくる。
 佐古真弓はこの役をどんなふうに捉え、どう演じたかったのだろうか。演じようによっては作品を壊してしまうし、逆に作品にも自分にも新しい一面を開拓することもできる。一生懸命頑張っているのはよくわかったが、作品ぜんたいの中での本役の掴み方、彼女の資質がどう活かされているか、活かそうとしているかがいまひとつ伝わってこなかったことが残念である。また今回は俳優がアドリブ的な演技をみせるところがいくつかあり、それに対して相手役が笑ってしまう箇所があって、あれはあまり気持ちのよいものではなかった。(8月28日観劇)

 
 
 

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