因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

7days Book Cover Challenge

2020-05-07 | 本と雑誌

 「7days Book Cover Challengeは、読書文化の普及に貢献するためのチャレンジです。参加方法は、好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。本の表紙の画像をアップして、毎日1人のFB友達をタグ付けして、招待して参加してもらいます。タグ付けされて招待された人は、自分の好きな本のカバーをアップしても良いし、スルーしても構いません」というコンセプトで、しばらく前からfacebookでどんどん拡散している企画です。「本棚を見れば、その人の性格がわかる」的なことがよく言われますし、断捨離するとき、本はいちばん最後にするとも聞きます。本はただの重たい紙の束ではなく、記した人の心であり、受け取った自分の心の重さも加わった大切なものです。それを誰かに見られるのは抵抗がある一方で、「わたしのことを少しだけ知ってくれたら嬉しい」という気持ちもあって、7冊を選ぶのも、次の方にバトンを手渡すのもなかに複雑でした。しかし改めて本棚を見回し、紐解くこと、その本の出会いや読んでのちの影響や、久しぶりに読み直した感慨など、1冊の本についての来し方行く末を考える作業は非常に楽しいものでした。わたしにバトンを回してくださった方、わたしからのバトンを受け取ってくださった方々への感謝を込めて、このブログにも以下記載いたします。

 初日は別役実戯曲集『メリーさんの羊』(1984年11月三一書房刊)です。『メリーさんの羊』は1984年1月、渋谷ジャンジャンで初演以来、1989年まで5演を重ねました。先月亡くなった劇作家別役実と昭和の名優中村伸郎による最高傑作です。大きなテーブルの上に敷かれた線路を、玩具ながら精巧な作りの汽車が走っています。そこに駅長姿の男1(中村)と、汽車に乗り遅れたという男2(三谷昇)が登場し、煙草やお茶をめぐるやりとりが始まります。戯曲を丹念に読み込むと、一見とりとめのない会話のようで、台詞の一つひとつ、小道具のやりとりなどすべてが緻密に構成されていて、小さな劇空間が次第に変容していく様相が、ぞくぞくするほどおもしろいのです。中村伸郎の最晩年に本作をはじめとする別役実作品の上演を体験できたのは、わたしの演劇人生の大いなる幸福でした(画像右上 89年公演チラシ)。『メリーさんの羊』は、三谷昇が男1役を受け継ぎ、「『メリーさんの羊』を上演する会」(画像右下)によって2000年から毎年上演を続けてきたが、2012年11月をもって活動を休止し、10年間の休眠に入りました。「皆様に再びお会いするのは2022年になります」(上演する会のサイト)って、あら、もう2年後ではないですか!

 2日めは、井上ひさし『イーハトーボの劇列車』です(1980年12月 新潮社刊)。宮沢賢治が故郷の花巻から上京する夜列車を軸に、この世の不幸への憂い、父との確執、創作の悩み、妹への思慕などが、数々の美しくユーモラスな劇中歌に乗せ、賢治の童話を想起させる虚実入り混じる登場人物とともに、まさに「劇列車」の物語が展開します。
将来について迷っていた高校生のとき、土曜日の午後でしたか、何かの舞台がテレビ放映されていました。宮沢賢治を演じていたのは矢崎滋です。途中からの視聴にもかかわらず、心を確と掴まれました。それが本作でした。そのあと中学時代の恩師をたずね、「演劇の勉強がしたい」と打ち明けたことを覚えています。親より先でした。終幕、赤い帽子の車掌が「万感の思いこめて、『思い残し切符』を観客席めがけて、力一杯、撒く」のト書きを読み返すたび、こう思います。自分もあのとき、確かに目に見えない切符を受け取って、今日があるのだと。

 3日めは吉田秀和『音楽の光と翳』1977年3月から1979年末まで、雑誌「マダム」に連載のエッセイが1980年3月『マダム』出版元の鎌倉書房から単行本として刊行ののち、1989年1月中公文庫から発行されたもの。
本書を勧めてくれた友人は、家族で山陰地方の民宿を経営する忙しい日常にあって、月に5冊は本を読むという読書家です。手紙には、本書の「月光ソナタ」の章を「自分が知る限り、最高の音楽評論です」とありました。
高校時代、吉田青年には家を訪ねて何時間も話すほど尊敬する先生がいたこと、奥さんにせがまれて先生がピアノを買うと、先生と話すよりピアノを鳴らすのに夢中になったこと、その奥さんが急逝され、葬儀のあと「何だか悲しくて悲しくて」、「月光ソナタ」の第一楽章を弾いた(その弾き方を表現する言葉の繊細なこと!)。すると書斎から「もう一度弾いてくれないか」という先生の声が聞こえたこと。
彼はこのとき、「月光ソナタ」には、聴く人の心を慰める力が込められていることを知ります。エッセイは「人間の苦悩に語りかけ、悲しみを慰め、それをいやすよう働きかける力こそ、音楽のもつ最高の性質の一つだと信じるようになった」と結ばれました。
1996年文化功労者に選ばれたとき、「どんなことでも言葉にできる、という信念が僕にはあります」と吉田は語りました。自信ではなく、「信念がある」と。専門用語やむずかしい言い回しを使わず、ごく身近なところからはじまる導入部に、読者は自然にその世界に入っていきます。しかし「日々の生活に分かち難く結びついて、さまざまな角度から人生を照らしつづけてきた音楽」(本書裏表紙紹介文)へ確かな足取りで近づく様相に、いつのまにか背筋が伸び、つぎは前のめりになり、最後は見事に締めくくられた文章にため息が出るのです。

 4日めは、喜志哲雄『劇作家ハロルド・ピンター』(2010年3月研究者刊行)をご紹介します。
 惹かれますよね、ハロルド・ピンターの芝居。舞台の作り手は床を八百屋にしたり水を張ったり、登場人物に関西弁をしゃべらせたり、何とかして、この「不条理劇」の不条理たるところを明示しようと悪戦苦闘。受け手も妙に気負ったあげく、「やっぱりわからない。難解だ」と途方に暮れる。それはピンターの作品が不条理劇だからだ!
 本書は、長らく「不条理劇」という安易なレッテルで片づけられてきたハロルド・ピンター戯曲の翻訳をほぼ一手に行ってきた著者が、ピンターとの親交の思い出も交えながら、その全作品を懇切丁寧に読み解き、「不条理と呼ばれている劇のなかの条理」を鮮やかに示したものです。著者は「自らの想像力や読解力の貧しさを棚に上げて、ピンターの戯曲を《不条理劇》として片づけ、それで話が終わったような気でいるのは怠慢以外の何ものでもない」と喝破し、ある台詞の内容が事実であるかどうかはもちろん、それを語る人物の心理状態を考察すること、どんな効果をもたらすかを吟味すること、目で読むテクストよりもサブテクストの方が重要な場合もあるなど、そもそも戯曲を読むという作業が恐ろしく面倒なものであると繰り返し語ります。演劇はリラックスして楽しむのが何よりですが、ピンターは、いや喜志哲雄さんはそうさせてくれない。やれやれ…と思いつつ、どこかでピンター劇がかかるとまずは本書を開いて予習し、観劇が終わるとまた復習するといったと勉強が苦にならないという辺りまではどうにか。

 5日めは、芥川比呂志『決められた以外のせりふ』(1970年新潮社刊 )をご紹介いたします。
 一目でいいから舞台を観たかったのが歌舞伎俳優の六代目尾上菊五郎と十一代目市川團十郎、新劇では芥川比呂志(1920年~1981年)です。せめてあと1年生きてくだされば、わたしの大学進学の上京に間に合ったかもしれないのに…。
 本は亡父の書棚から拝借しました。父は映画好きで、黒澤明監督や小津安二郎監督の作品に出演していた三船敏郎や宮口精二のことなど、いろいろと教わったものです。そのなかで芥川比呂志については、特別な印象を持っていたのでしょうか、逝去が報じられたとき、職場の新聞を失敬して、伝説の『ハムレット』の舞台写真付きの追悼記事を切り抜いてきてくれました。
 第18回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した本書には、著者の幼少時の思い出にはじまり、そこには当然父龍之介の死についての記憶もあり、演劇との出会い、劇団の仲間とのあれこれ(久保田万太郎の思い出も)を綴った味わい深い随筆、俳優、演出家として海外の俳優や戯曲への鋭い批評、演劇講座の講義文まで、さまざまな媒体に発表した100を超える文章が、13章にわたって収められています。各章のはじめに、いろいろな芝居の台詞が引用されているのもおもしろい。 
 題名は、ハムレットが旅の役者たちに演技について注意を与える台詞、「道化役も、決められたせりふ以外に喋ってはいけない」から採ったとのこと。
 せめて銀幕でと渋谷のシネマヴェーラで開催予定の「岡田英次・芥川比呂志生誕100年記念」特集を楽しみにしていたのですが、コロナ事情にて映画館は当面営業をおやすみとなり、残念です。

 6日めは、龍岡晋『切山椒 附 久保田万太郎作品用語解』をご紹介します。龍岡晋は文学座の俳優、演出家で、久保田万太郎の番頭的存在の人でした。自分はとうとう舞台を観ることはできませんでしたが、ラジオドラマや朗読のCDなどで声を聞きますと、小手先の技術ではなく、おなかの底から台詞を解しているせいでしょう、まるで呼吸のように自然な口ぶりで、「まったく神様みてえだなぁ、おめえって女は」なんて、惚れぼれするほどです。
 本書はがん検診のために入院した万太郎のもとに日参した著者による師の病床日記と、『久保田万太郎全集』全15巻の作品中の言葉の意味、謂れなどの解説を1冊にまとめたものです。前者は俳誌「春燈」に、後者は俳優の宮口精二が発行した雑誌「俳優館」に連載されたものを、龍岡の死後、文学座経理部の岩田初子、演劇評論家の戸板康二など多くの人の尽力により、「慶應義塾大学三田文学ライブラリー」から1冊の書籍として刊行されました。龍岡の死から3年後の1986年のことです。
 久保田万太郎作品の傍らに番頭のごとく寄り添い、「その台詞の言い方はちがうな」というつぶやきが聞こえてきそうな、厳しくも楽しい本です。

 最終日は、唐十郎『特権的肉体論』でどうだ!!
「演劇はどこから始まるか?おそらく、それはあらゆる空間へ広がっていく役者体から始まる。役者体とは、ひよわな演出家や演劇学者の当てにならない脳味噌ではなく、常にさらされ、瞬間毎に死んでゆく、劇を創る実体だ」
「まず、戯曲があるのではなく、演出プランがあるのでもなく、バリッとそろった役者体があるべきなのです」
 という演劇身体論を以て、当時の(いや現在でも)演劇界に殴り込みをかけた書であります。
 画像の書籍は1997年に白水社から刊行されたものですが、最終章の著者と澤野雅樹との対談によると、『特権的肉体論』を書物として世に出したのは1968年5月、『腰巻きお仙』の刊行を機に著者が二十代半ばの頃から書き貯めていたものを集めたとのこと。調べてみますと、まず1968年に『腰巻お仙』刊行。1969年にも『腰巻お仙』、1970年に『特権的肉体論』(『腰巻お仙』所収)、1977年『腰巻お仙 特権的肉体論』、さらに1983年「新装版 腰巻お仙 特権的肉体論」が続いています(ここまですべて現代思潮社刊行)。
 1997年版は、1970年版の『特権的肉体論』をもとに、著者が70年代から80年代発表した文章を「新・特権的肉体論」、1992年の劇団唐組「ビンローの封印」台北公演の始末記に、前述の対談を合わせた「超・特権的肉体論」の2章を加えたさらなる新装版ということになりましょうか。これには『腰巻お仙』は収められていません。
 実は今回の「7日間ブックカバーチャレンジ」のために本棚からあれこれ探すうち、ひょいと出てきたのです。本を買ったときは、いつも奥付の手前のページに購入した年月日をメモしておくのですが、本書にはそれもなく、いつどうして買ったのか全く記憶にない。誰かから借りてそのままにしているのか、けれど何か所かアンダーラインが引いてあるということは、やはり自分が買ったのか…。最後になって、最も読んでいない本を選んでしまいました。

 

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