*長谷基弘戯曲・演出・音楽 公式サイトはこちら 座・高円寺1 16日終了(1,2,3,4)
当日リーフレットに掲載の長谷の挨拶文には、ハンセン病を題材に舞台を作ってきた過程、志の強さが誠実に綴られている。これまでに中編を2本作り、2016年には、国立療養所大島青松園を描いた『風が吹いた、帰ろう』を同じ座・高円寺で上演した。本作は4本めになるとのこと。日本社会の暗部とも言えるテーマに寄り添い、多くの困難を乗り越え、舞台作りに取り組む姿勢に、改めて感銘を受けた。
舞台上手寄りに喫茶店らしきスペースがあり、中央から下手側で物語本編が進行する。喫茶店風スペースに出番を待つ、あるいは出番の終わった俳優が出入りするが、全員がそこを必ず通るというわけでもなかったと記憶する。本編は複数の場所、時間が目まぐるしく交錯し、いささか混乱する。喫茶店風スペース設置の意味合い、舞台効果が感じ取れないこともあり、残念ながら舞台の勢いに最後まで心がついていけなかった。それぞれの立場で問題の捉え方は異なり、互いが交わることで考え方も関わり方も変容していくが、個々の人物の造形、物語の展開いずれも駆け足で、どこに視点を向ければよいのか、舞台に対する心の向け方が決まらず、落ち着かないままの観劇になってしまった。
テーマの歴史を紐解きつつ、過去の出来ごととせず現在につなげ、演劇として見せること。過去と今とこれからを舞台で描くこと。むずかしいことだが、倦まず弛まず活動を継続することは素晴らしい。また桃唄の舞台には、「挑戦」という強張った気概よりも、対象に寄り添うしなやかさと優しさがあり、それを受け止めることができればよかったのだが。
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