因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

elePHANTMoon#8『ブロークン・セッション』

2009-11-18 | 舞台

*マキタカズオミ作・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 23日まで
 前回公演『成れの果て』の印象がちょっとどうかと思うほど強烈で、今回も迷うことなく足を運んだ。ディープ、キワモノ、へヴィー、毒、針。どんな言葉なら、あの感覚を表現することができるのだろう。

 どこかのうちのダイニングキッチンが舞台である。テーブルと椅子が数脚、下手にソファ、上手に流し台や冷蔵庫があり、インスタントコーヒーや洗剤、食器洗いのスポンジなどが「作り込む」というほどの強さではなく、ほんとうに自然な感じで置かれている。

 明転すると男性と女性がいて会話が始まる。2人の関係は何なのか、女性はこの家の主婦のようだが、ではこの男性は何なのか。奥の部屋からビニール袋を被って出てきたもう1人の女性は誰なのだろう、奥には誰がいて、何が起こっているのか?。これらのことがだんだんわかってくる。もしかしてそうなのか、いやまさかそんなことが?

  取り返しのつかない罪を犯してしまった人とその家族、いわゆる加害者と、大切なものを奪われた被害者とその家族の話である。罪を償い、罪を赦す術を知らぬ者同士が傷つけあい、暴走し、壊れていく。作・演出のマキタカズオミがどこからこの作品の着想を得たのかはわからないが、猟奇的な事件が頻発する今、「似たような話が現実にあってもおかしくはないかも」と思わせる。劇団メンバー、客演含め、配役が絶妙で、単純なキャラクター、捨て役が存在しない。一見普通に見えるが内面は想像がつかないくらい暗かったり複雑だったり、「この人はこんな性格」と安易に決めつけられないのである。

 マキタの作品をみるのは今回でまだ2度なので、「こんな作風の劇作家」とイメージを固めるのはやめておこう。願わくは筆がキワモノ方向へ走り過ぎないことを。舞台の詳細を書けないもどかしさと同時に、初日をみた今夜、何をどこまでどのように書けるかを考え、味わっている。

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