*河竹黙阿弥作 公式サイトはこちら 歌舞伎座 25日終了
先に観劇した知己から「勘九郎の新三がすごい。ほんとうの悪人に見える」と聞いて、改めてポスター(上記画像)を眺めてみた。
ほんの数回 (十八代目中村勘三郎と当代の尾上菊五郎か)しか観劇していないのは、この「髪結新三」の話じたいがあまり好きになれないためである。思い悩む若者につけこんで唆す、騙す、かどわかす手練手管、乱暴で傍若無人の態度や振る舞いは、五七調の名台詞や切れの良い所作で確かに「粋」ではあるが、「小悪党」の可愛げは感じられない。勘三郎は抑えても抑えても愛嬌が滲み出て、「悪党を演じている勘三郎」と受け止めていた記憶がある。
今回初役の勘九郎には、一片の愛嬌も感じられない。芯から、ほんとうの悪人に見えるのである。このような芸質を持つ人だったのか。とすれば、先日観劇した第三部「狐花」において、登場してしばらくの間、演じているのが勘九郎だとわからなかった作事奉行の上月堅物の極悪非道ぶりも納得がいく。勘九郎は愛嬌を消すことができる俳優なのだ。たとえば将来「伽羅先代萩」の仁木弾正や、「仮名手本忠臣蔵」の高師直も…とぞくぞくする。
もうひとつの収穫は、かどわかしの所業が暴かれ、お熊が助け出される場面である。同時解説イヤホンガイドが、「この様子を見ている新三には、何とも言えない風情がございます」と語るのを聴いて、勘九郎の新三を見ると、ほんとうにその通りだった。過去の観劇を振り返ってもこの場面の記憶がないので、気づいたのは勘九郎の新三が初めてだったのだろう。確かに新三はとんでもない悪人なのだが、この場面で彼が身に纏う風情は色香といってもよく、見とれてしまうほどであった。
イヤホンガイドがなければ、この場面の新三に気づくことはなかったかもしれず、大収穫には違いないのだが、「イヤホンガイド無しでも気づきたかった」という欲が出てしまい、まことに複雑な心持なのである。
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