*唐十郎作 金守珍演出 公式サイトはこちら(1,2,3)新宿・花園神社境内特設紫テント 26日で終了
本作の初演は1975年、42年前である。李礼仙(現・李麗仙)、根津甚八、麿赤兒、不破万作等々、状況劇場オールキャスト。上演時間は5時間を超えたという。それを梁山泊の金守珍が2回の休憩を挟んで3時間20分に編みなおした。昨年秋から芝居砦・満天星に通いはじめたばかりの「梁山泊ビギナー」の自分は、ほんとうに遅ればせながら、これが特設紫テントで初の観劇となった。
「時間を忘れるほど、あっという間だった」とは決して言えない。椅子席だったからどうにかなったものの、それでもきつかった。しかし終幕のなだれ込むような勢い、中央花道にキャッチャーボートが現れ、捕鯨砲から1本の銛が放たれるとテント奥の幕が開く。そこには巨大な尾ひれの鯨が出現し、美しい人魚たちがしなやかな肢体を見せる。床からは激しく水が吹き上げ、長い髪を濡らした「おぼろ」が頭上に銛を掲げてすっくと立つ。これを見た時の自分の心の様相を言葉にするのは難しい。身体的な疲労も何も、もうぶっ飛んでしまうのである。
亡くなった十八代目中村勘三郎のエピソードを思い出す。何の本だったか、もしかすると勘三郎が出演した公演のパンフレットか、雑誌の対談だったのかもしれない。ともかくまだ彼が若い勘九郎時代のことだ。上野不忍池(ここもあいまい)で状況劇場の舞台(『唐版 風の又三郎』か?)を見た彼は衝撃を受け、父親の十七代目勘三郎に、「ああいう芝居がやりたい!」と訴えた。が、十七代目は「そんな暇があったら鏡獅子を100ぺん踊れ」と一喝したとのこと。
今回の「腰巻おぼろ」で味わった高揚感は、以前にも味わったことがある。まさしく十八代目による「怪談乳房榎」で本水の吹き出る大立ち回りや、「夏祭浪花鑑」終幕で梯子を使って「これでもか」と盛り上げる大捕り物などを見ていると、日ごろ「このあたりが自分の頭であり、心だ」と認識している枠が壊れ、どうかなってしまいそうな感覚に陥るのである。
観客は舞台を見に劇場へ行く。俳優のすがた、台詞、舞台美術や音響や照明など、五感すべてで味わい、感じ取ろうとする。しかしもしかすると、「自分でもよく知らない自分」に会いに行くのではないだろうか。舞台をみて、こんなにも高揚している自分がいる。驚きながら困惑し、自分の心の奥底をのぞきこんでみる。もう一人の自分との出会いなのだ。
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