*加蘭京子戯曲 遠藤トオル構成・演出 神田晋一郎作曲・ピアノ演奏 公式サイトはこちら 16日まで 絵空箱(江戸川橋)
劇団初見。昨年の公演『ベルナルダ・アルバの家』が、劇評サイトwonderlandのクロスレヴュー挑戦編における賛否両論を興味深く読んだ。
「すでに忘れつつある、前近代の関係の在り方や世界観を再度見つめ直し、今生きる人達の物語として再構築していく」のがカンパニーの活動理念とのこと。『ベルナルダ~』、『春を~』いずれも、その理念を客席に納得させる演目である。
「春を忘るな」のタイトルは、源実朝の辞世「出でて去ねば/ぬしなき宿となりぬとも/軒端の梅よ/春を忘るな」からつけたもので、B4二つ折りでオールカラーの立派な当日パンフレットには、源氏三代が滅びた鎌倉幕府の歴史やゆかりの寺などが写真入りで掲載されている。本作はかの時と昭和初期が交錯しながら、鎌倉を舞台に男女4人が繰り広げる愛憎劇を、ピアノやバイオリン、三味線の生演奏で味わうものである。
会場となった「絵空箱」は江戸川橋のビル街にある。演技スペースはわりあいたっぷりしており、客席後方にバーカウンター、上手には楽士と照明、音響ブースがあり、観客はドリンクを手に、「摩訶不思議な幻想奇談」(劇団サイトより)をみる趣向だ。
梅の季節の鎌倉、滅びてしまった源氏三代と聞くだけで、幻想的で儚いイメージを抱いてしまうが、それが昭和初期とどう絡みあいながら劇化されていくのだろうか。
理由は知らされなかったが開場が15分程度遅れ、それにともなって開演も押すことになった。普通なら気を削がれるところであるが、この公演はドリンクつきなので、雰囲気のいいカフェバーでペリエなどを飲みながらであれば気持ちもゆったりして、あまり気にしないですんだのは幸いであった。
床には枯れ葉が敷きつめられ、正面奥に掛けられた布の模様や和紙で作られた照明器具、登場人物の衣装や髪型なども、レトロなムードを濃密に醸しだす。いい雰囲気のすべりだしだ。
しかしながら劇がはじまってすぐ、集中できなくなった。それは俳優の演技に違和感をおぼえたためだ。この感覚は先日のモナカ興業『ファウスト』にも通じるものである。『春を~』は、登場人物が、小説の地の文的な文体も台詞と地続きのように発語する。それが鎌倉時代と昭和初期の時空間と人物が渾然一体に交錯する様相を効果的に示すには、俳優の演技が追いついていない印象をもった。演出意図がどこにあるのだろうか。
せっかくの生演奏つき、俳優は劇中に歌も歌うという盛りだくさんで贅沢な趣向である。
戯曲の特性、俳優の演技、楽器生演奏や歌、会場のもつ空気。それらが相乗効果をみせれば、すばらしい劇空間になるかと想像するが、それぞれがじゅうぶんに融合せず、はっきりした印象をもてないまま終わったこと、また自分の観劇した回が不調だったのかもしれないが、俳優の台詞の呼吸がかみあわないところや、照明のオペレーションミス?などが散見したのが残念であった。
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