*イナダ作・演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 27日まで
札幌を拠点に活動するイナダ組は旗揚げして20年、市内のアマチュア劇団として驚異的な観客動員数を記録し、札幌だけでなく北海道内の複数の都市はじめ、福岡や東京でも公演を行っているとのこと。今回はイナダ組自主企画でサザンシアターに進出した。客席にはこまつ座や新劇系の劇団の公演とは明らかに違う雰囲気が溢れており、ほぼ満席の盛況である。
古ぼけたアパート「柿沼荘」の住人たち。父親が失職中、関西から流れてきたタクシー運転手の父親と2人の娘、夜逃げした親に取り残された少年、在日韓国人にシングルマザーと貧困と格差社会の縮図のような面々である。2階の空き部屋に日本企業研修にやってきた中国人男性ワンが入居することになった。「あの部屋に?」住人たちは妙な反応をする。ワンが部屋のドアを開けると、そこには亡くなったはずの老女光恵さんが立っていた。
休憩なしの2時間弱、とにかく賑やかでけたたましく、住人たちの事情やふりかかる災難が次々に描かれる。光恵さんが亡くなったことについて、住人たちはある秘密を共有している。これが物語のひとつの軸であり、その秘密が明かされていく過程がみどころになる。自分たちも貧乏でかつかつなのに、他人のことを本気で心配し、世話を焼く。みなが底抜けの善人というわけではなくて、それぞれ後ろ暗いところや傷を抱えており、あけすけで乱暴な口をききながらも互いにかばい合う。光恵さんの姿がみえるのは中国人のワンだけで、タクシー運転手の長女由里子は、光恵さんの死がきっかけで口をきけなくなった。ほかの住人にはみえない光恵さんと言葉を話せない由里子の存在が物語の重要な鍵である。
正直なところ、個性的な人物が賑やかに出入りする貧乏長屋の人情噺ふうに展開する前半は集中してみることがむずかしかった。物語の設定にも人物の造形にも既視感があり、俳優の演技もいささか過剰でかえって入りこめない。しかしさすがに札幌でも屈指の人気劇団である。終幕近くに強烈なカタルシスをもたらす場面が現れた。帰国が決まったワンが住人たちに手品を披露しようとするのだが、うまくいかない。それをみていた光恵さんが由里子のうしろにまわり、その両腕をとってゆるゆると踊らせる。その踊りは言葉を話せない由里子が何かを訴えているようでもあり、なかなか成仏できない光恵さんが由里子のからだを通して住人たちのことを必死で祈る姿のようでもあって、静かだが身震いしそうな迫力を持つ。
もうひとつはいよいよの終幕である。決心して手術の日を迎えたタクシー運転手がベッドの上から拡声器で住人たちに呼びかける。アパート各室のドアが開いて姿をあらわす住人たちは、もはやこの世のものとは思われないような形相で、タイトルの「特攻隊」の意味がここでわかるのである。彼らが体当たりしようとしている相手は自分を解雇した会社の社長、不実な夫、融通がきかず冷たい行政か。
2階だてのアパートという設定上、ある程度天井の高い劇場が必要になるが、物語のボリュームがサザンシアターのサイズにぴったりかどうかは疑問が残るし、前述のとおり俳優の演技にはもう少し抑制がほしい。ワンだけにみえる光恵の存在(後半は重篤な病になったタクシー運転手にもその姿が見え始めるのだが)や、時おりアパートを訪れる行政側の人物の絡み方が思ったより平凡であったり、「特攻隊」のごとく体当たりするかもしれない住人たちのその後こそ描いてほしいのだが、結局そこまでのことができない哀しさを示したかったのかと考えたり、もどかしい感覚は少なからず残ったが、観劇後の印象はすっきりと気持ちのよいもので、多くの観客の支持と応援を受けるのも道理と得心した。
ただ東京圏の小劇場の舞台と比べても引けを取らないというプラスの印象と、少しきつい表現になるが、北海道の劇団ということをまったく知らずに観劇しても、それと気づかないのではないかとも思った。演劇は東京が基準というわけでは決してなく、その土地のというより、劇団それぞれに個性があるはず。もっとそれを強烈に発する舞台をみたいと思うのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます