*公式サイトはこちら 歌舞伎座 26日まで
「秀山」とは、初代中村吉右衛門の俳号である。毎年9月の秀山祭は、初代の芸を顕彰し、その志を継ぐものの研鑽の場、お披露目の場として、初代の生誕120年にあたる平成18年に始まったものである。亡くなった俳優への敬意と継承の決意のこもる「追善興行」とはまた別の味わいがあり、9月の訪れるのを毎年楽しみにしているお客さまは多いことだろう。座頭の当代・中村吉右衛門みずからも「秀山祭は私の生き甲斐なんてものではなく、生きている理由になりました」と語るほどである。夜の部を観劇した。
【松寿操り三番叟】
何度か見ているはずの演目だが、まるで初見のように新鮮な気持ちで(つまり覚えていないということなのだが!)、十代目松本幸四郎の軽やかな踊りに見入った。とくに足の動き。床の上をすべるようだ。『櫓のお七』の人形振りとはまた違った旨みがあり、ユーモラスで楽しい一幕。
【平家女護島より『俊寛』鬼界ケ島の場】
近松門左衛門作。これも何度か見ており、「知っている話」のはずであった。しかし物語の流れが二転三転すること、それによって俊寛はじめ人々の心がどれほど乱れるか、心がずたずたになるほどの愁嘆場があること、殺人の場もあり、都に残した妻が悲惨な最期、ひとり島に残された俊寛の発狂せんばかりのすさまじい悲嘆…。流人仲間と夫婦となった女の悲しみを見かね、「俊寛が乗る船は弘誓の船」と決意し、断崖絶壁から船を見送る幕切れ、俊寛の形相はこの世の人とは思われぬほどで、それがぴたり鎮まった瞬間の様相を、わたしはことばにできない。初代は「(あの場面は)石のようになるんだよ」と語ったそうである。写実的な要素が強い作品であるが、これを現代劇のリアリズムで見せられると辛すぎるかもしれない。亡くなった十八代目中村勘三郎が、鹿児島の硫黄島で、島の海岸を使って俊寛を演じている。映像で一部を見たが、これを「リアル」と捉えることにはためらいがあり、今後の課題である。いずれにしても二代目中村吉右衛門渾身の『俊寛』、今回をもって初見と心を改めます。
【新作歌舞伎舞踊 幽玄】
能楽の「羽衣」「石橋」「道成寺」の3作品に着想を得て、坂東玉三郎はじめとする歌舞伎俳優の舞踊と、太鼓芸能集団・鼓童の演奏で構成される二幕三場である。初演は2017年だが、秀山祭に向けて演出・構成を練り上げ、新作としてお披露目となった。
鼓童のメンバーは単に音曲としてではなく、演者として堂々と歌舞伎座の舞台に立ち、素晴らしい演奏を聴かせる。紋付き袴の衣裳も違和感なく、さまざまな種類の太鼓を見事に奏するさまに息をのむ。このステージを完成させるのに、いったいどのような練習をどれほど積んだのだろうか。
坂東玉三郎と鼓童のコラボレーション、歌舞伎舞踊と打楽器の融合と受けとめたが、まさか20分の休憩をはさんで2時間の上演とは思わず、少なからず戸惑いがあったことは否めない。正直に言うと、長い。もっと言えば、玉三郎の踊りをもっと堪能したい。「道成寺」などは、どうしても「京鹿子娘道成寺」のイメージがあって、白拍子花子がさまざまな楽器を使う場や、衣裳の見事な引き抜きの場などを「見たいなあ」と思ってしまうのである。幕切れにあの耳に馴染んだお囃子が鳴ると、「おお、道成寺だ」とようやく安堵した次第。
興行の最後の1本は、むずかしいものだと思う。心温まる世話物であれ、華やかな舞踊であれ、たとえ『女殺油地獄』のような殺人劇であっても、気持ちよく帰路に着けるものであれば嬉しい。いや、今回そうでなかったというのわけではないが、うっかりすると前幕の『俊寛』の余韻が消え入り、坂東玉三郎と鼓童の素晴らしいコラボに、『操り三番叟』と『俊寛』もあったかな…となりかねないのである。ずっと以前から鼓童のステージを見たいと願っていたので、その夢が叶ったことは幸せなのだが。
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