因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

朗読劇『女の一生』

2007-09-13 | 舞台
*森本薫作 北村和夫演出 朗読劇「女の一生」を上演する会主宰公式サイトはこちら 四谷区民ホール 公演は9日で終了
 日程が調整できず諦めていたところ、友人から思いがけないお誘いがあった。行くしかない。これはきっと杉村春子先生のお導きなり。走れ新宿御苑へ。

 北村和夫の声かけで集まった俳優有志による朗読劇である。淡島千景、白石奈緒美を中心に、アマチュアも含めたさまざまな人々が『女の一生』を読む。自分のみた回は布引けいを白石、堤しずを淡島が演じた。文学座公演の『女の一生』は何度かみているし、戯曲も繰り返し読んだ。知った話なのに、みに行くといつのまにかからだが前のめりになっている。同じ台詞が前回と違った聴こえ方をすることがあるからなのだ。違う言い方をすると、前は聞き流していた台詞が、今回は心に響く。そんなことがみるたびに、読むごとにあって、毎回新鮮なのである。はじめてみたときは「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの」にガツンとやられた。しかし次はそのあとの台詞、「間違っていたと知ったら、間違いでないようにしなくちゃ」に躓いた。その次には叔父章介の「人間という奴は、何かやると必ず間違いをしないでいられないらしいな。まるで間違いをする為に何かするみたいだ」という台詞にしみじみしたり。

 あるインタビュー番組で杉村春子が次のようなことを言っていた。「やっぱり芝居っていうのは、やってやってやらないと」。稽古を繰り返し、上演を重ね、試行錯誤しながらひたすらに精進する。それが俳優の道であると。北村和夫は杉村春子からその俳優の道を邁進することを心身に刻みつけるように教わった人であろう。その北村の演出は、やってやってそれでもやり足らなかったことも含めて、自分が得たものを出演者に必死に伝えることだったのではないかと想像する。芸、技術だけではない、俳優としての心意気のようなものであろう。

 残暑疲れや食事もとらずに会場に駆込んだ慌ただしさがいつのまにか鎮まって、今回も『女の一生』に前のめり。この作品が生まれた背景、文学座の財産演目として上演が続いていること、戯曲そのものについてなど、考え始めるとさまざまな問題点や疑問もある。引き続き考えたい。また願わくは、今回のような朗読劇という形もあるのだったら、もっといろいろな女優さんに布引けいを演じてもらえたらと思う。
 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新進翻訳家トライアル・リー... | トップ | らくだ工務店『戦争にはいき... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事