*ダニエル・ジェイミソン作 鈴木アツト翻訳・演出 公式サイトはこちら 下北沢・シアター711 22日まで(1,2,3,45,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24)
画家マルク・シャガール(Wikipedia)の半生を舞台化した作品で、2016年ロンドンでの初演が絶賛を浴びた。鈴木がロンドン在外研修の際、劇作家にインタヴューしたことをきっかけに今回の公演が実現の運びとなったとのこと。さまざまな偶然が必然に結実しての公演だ。画家とその最愛の妻ベラとの半生を描いた作品にふさわしく、アフタートークのゲストも三菱一号館美術館長の高橋明也氏、東京ステーションギャラリー館長の冨田章氏、ポーラ美術館学芸員の東海林洋氏と、素敵な顔ぶれ。
客席は対面式に設置され、中央が演技エリアとなる。俳優は左右の扉や客席後方からも出入りし、年老いたマルク(村島智之)がフランツ(小日向星一)の電話で、妻のベラ(山村茉梨乃)の出会った青春時代、戦争による迫害を生き抜くなかで、現実の生活と芸術に献身することの両立の困難や妻との衝突も赤裸々に描く。物語の舞台も生まれ故郷のヴィテブスクにはじまり、絵の修行をしたパリ、ロシア、ベルリンを経て、亡命先のアメリカまで目まぐるしく変わってゆく。田代晶子(パフォーマンスユニット・Crankybox)によるヴァイオリン演奏が出過ぎず引き過ぎず、よいバランスで舞台を支える。
さまざまな衣裳や小道具が場所の動き、年月の経過を鮮やかに示す。とくにベラの衣裳!マルクと出会ったときの白衿のワンピースは、赤いタイツのコーディネイトが可愛らしい。案外地味なウェディングドレス、晩年にはカーディガンとロングスカートで、眼鏡も良く似合っている。俳優が椅子や大時計、銅像などを出し入れしたり、出入り口から時折差し込まれる手紙も効果的だ。シャガール夫妻には歌やダンスの場面もあり、村島、山本ともに生き生きとした演技を見せる。3人めの俳優である小日向星一は、複数の役を演じ継ぎながら、夫妻の半生の傍らに寄り添う重要な役割を果たす。
シャガールについては、柔らかで幻想的な不思議な雰囲気をもつ絵画の数々と、その多くに妻ベラが描かれていることが夙に知られているが、彼がユダヤ人であること、それゆえの苦悩やロシア革命、続くナチスの迫害など、歴史に翻弄された人生であったことなどについてはまことに不勉強であった。前述のように歌やダンスを盛り込み、趣向に富んだ舞台であるにも関わらず、舞台の弾むような楽しさや、疾風のような人生の流転などを、客席が十分に受けとめかねていたのではないか。作品に向き合う姿勢として自分自身残念であり、反省しきりである。
翻訳面から、台詞を削る、あるいはもう少し説明する必要はあるかもしれない。といって、すべてを日本人にわかりやすくかみ砕かずとも、硬いまま、長いままのところがあっても構わないのではないか。わからなくとも、まずはそのまま受け取る。それが時間を経て受け手の心の中で芽を出す可能性もあるからだ。本作はゆっくり時間をかけて歩んでほしいと思う。それが可能な強さと柔軟性、時間をかけることによって新しい発見を生む意外性を持っていると感じられるからである。
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