因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

風琴工房『ゼロの柩』

2005-10-02 | 舞台

*詩森ろば作・演出 シアタートラム
 2001年初演の改訂版。劇場内に入ると十字路を思わせる通路が舞台上にあり、中央に一人の男が膝を抱えて座っている。木のベンチ、ちゃぶ台、流しなどが傾いた形で置かれている。固まった布?のようなものが数本、天井からつり下がっていて、抽象的な雰囲気のしつらえである。
 

昭和47年の出来事と61年の出来事が交差しながら物語はすすむ。仙台の拘置所の独房で執行を待つ死刑囚がいる。独房はときに、彼が殺した妻や愛人との過去が描かれる場にもなる。十三年後、父親に一度も抱かれなかった娘が成人し、父親が最後に関わった人、すなわち死刑執行人に会いに、この地へやってくる。十字路の形の舞台が効果的に使われており、過去と現在(といっても昭和61年だが)が交錯しながら人々の思いを紡いでいく。
 

舞台ぜんたいの印象はよかったが、終演後のトークライブが作者の詩森ろばと死刑廃止運動に関わる弁護士による死刑制度を考える時間になったことにはいささか戸惑った。死刑制度については、昨今の凶悪事件の多発を考えると、たとえ今は直接関わりがなくても考えなくてはならない大切な問題であると思う。しかし今回の『ゼロの柩』をそうした社会的、政治的な流れにもっていくのはいかがなものか。折り込みチラシの中にはアムネスティのリーフレットや、法務大臣宛の署名葉書があり、劇場ロビーには関連書籍が平積みになっている。正直「引いて」しまった。舞台を見終わったあとのことは、できれば観客に委ねてほしい。死刑制度について考えようと思った人は、自分で書籍や活動の情報を探しに行くだろう。一方ですれ違う男女の心、家族の思いについて考えたい人もいると思う。わたしは今回後者であった。
 

夫のお弁当のおかずひとつにあれこれと思い悩み、「ひまわりの話をしてもいい?」と聞いてしまう妻と、そんな妻の心情を受け止めきれず、妻の優しゆえに苛立ちを募らせる夫の姿がずっと心に刺さっている。そのことをもう少しゆっくり考えたい(10月1日観劇)。
 
 

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