因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

日本のラジオ『ツヤマジケン』

2018-06-10 | 舞台

*屋代秀樹作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 10日で終了1,2,3,4,5,6,7,8,9,10 
 
公演チラシには、「日本猟奇事件史のトップランナー『津山三十人殺し』を借景に女子高演劇部の夏合宿を舞台にして、少女たちの友情、鬱屈、愛、純真を沈鬱かつユーモラスな世界観で描いた佐藤佐吉演劇賞最優秀脚本賞受賞の『さわやかな惨劇』再び」と控えめに記されている。2014年の初演は見逃してしまい、再演の今回がはじめてとなった。

 さらに当日リーフレットには、「今作は内容的にも実際の事件とはほとんど関係ありません。ありませんが、犯人都井睦雄の遺書冒頭を以て代表挨拶に替えさせていただきます」とあり、神妙なのか、こちらを試しているのか。都井の遺書はまことに痛ましく、しかしながらその文体には流麗な調べがあって格調高い。これほどの遺書の書ける人物がこのような事件を起こしてしまったことに、改めて戦慄を覚えるのである。

  冒頭、刀と猟銃を持った男が客席通路を駆け抜け、舞台上手奥に身を潜める。この人物のいでたちは、実際の津山事件における都井睦雄のものと同じであり、事件とほとんど関係ないそうだが、冒頭から相当に関係がありそうである。

 ある女子高の演劇部が、夏合宿のために山中深い「ツヤマ青年文化の家」を訪れたが、部員の一人である「都井」のすがたが見えない。実際の津山事件の犯人と同じ名前の女生徒がなぜいないのか、彼女は見つかるのかが、まず観客に投げかけられた課題である。そして物陰に身を潜めた男は「ムツオ」であり、数十年も前に凶悪事件を起こした男と、現在の女子高校生たちの引き起こす大小の問題がどのように絡み、双方の関係がどう変容していくのかが次なる課題となる。

 秋の大会に向けての夏合宿であるのに、部員たちは行方不明の女生徒1名をめぐって右往左往するばかりだ。顧問の男性教師はまるでやる気がなく、しかし部員である女生徒たち複数ともやもやした関係にあるようだ。施設の男性職員も相当に危ない男らしい。つまり信頼できる大人が誰もいない。

 演劇の稽古は一向に始まる気配がない。倉庫らしき場所の中央には平台が積み上げられ、両脇には照明器具や舞台に使うさまざまなものが雑然と置かれている。これだけのものを舞台美術として設置するだけでも大層な作業であったと想像するが、それが全く有機的に機能していない。作者は「『津山三十人殺し』借景とした」と記すが、これはもはや演劇自体が「借景」になっているということではないか。

 女子高生たちは可愛い顔して互いのエゴをむき出しに自分の都合と欲望だけを言いつのり、相手を責め立てる。わりあい良識的であっても歪みがあり、一人ひとりが作者の意図を誠実、緻密に反映したみごとな造形だ。親のコネで教師になり、演劇はもちろん、生徒のことにもまるで関心がなく、なのに複数の女生徒ともやもやしている顧問教師は、久々に「クズ」と呼びたくなるほどであるし、風体からして胡散臭く、不法行為を知られまいと女生徒を手に掛けようとする施設職員は「ゲス」である。これほど嫌な人物ばかりが次々に登場するなかにあって、物語のなかですら、居どころのない「ムツオ」のほうに、むしろ品格が感じられるのである。

  日本のラジオ公演の楽しみは、観劇当日に素敵なパンフレットになった上演戯曲を読めること、さらにそこにしるされた各登場人物のプロフィールである。しかし今回はそこに書かれていない重要な情報が劇中でのみ明かされる場面があり、屋代秀樹は油断がならない。

 女子高生役の俳優は皆グレーのセーラー服を可愛らしく着こなしており、ソックスに上履きスタイルにも違和感がなく、台詞の発語や仕草などにも無理がない。それでも芝居の内容からして、たとえば平田オリザの『転校生』のように、現役の女子高生を配役することはできないだろう。映像なら可能かもしれないが、これは実際は女子高生でない俳優が演じる女子高生であるところに芝居を構成する要素が潜んでおり、つまり前述のように演劇自体が「借景」とされている一方で、演劇だからこそ成立する世界なのである。

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