民主党の新しい代表が前原誠司氏に決まりました。ゴウ先生よりも若い政党党首が誕生するとは思いもしませんでしたが、(ゴウ先生も歳を取ったということでしょうか、トホホ)、ご活躍をお祈り申し上げます。
しかし、若かろうが、年寄りだろうが、忘れてはいけないことがあります。それは先達たちの苦労と努力によってこの国が出来上がってきたということです。そのことに関して前原代表の立場をお聞きしたいと考えます。
そうした先人の苦労の中には、まったく理不尽な他国による国際法違反も含まれるわけです。その代表的事例が、大東亜戦争終結後旧ソ連によって行われたシベリア抑留であることは言うまでもありません。60万人にも及ぶという強制連行の結果、5万5千人の方が尊い命をなくされてしまったのです。
異国の丘で亡くなられた方の名簿を作られたというニュースをまずはお読みください。
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シベリア抑留兵4万5千人の名簿、元教師がネット公開 (読売新聞) - goo ニュース
2005年 9月17日 (土) 14:50
新潟県糸魚川市の元中学教師・村山常雄さん(79)が、終戦後シベリアに抑留されて亡くなった日本兵約4万5000人の名簿を作成し、インターネットのホームページで公開を始めた。
村山さんは「亡くなった一人一人の名前を見ることで、犠牲の重みをより実感できるはずだ」と話している。
シベリアでは約60万人が抑留され、約5万5000人が死亡したと推定される。厚生労働省は1991年からこれまでに約4万人分の名簿を公開したが、旧ソ連の資料を音訳したものが多く、すべてがカタカナ表記で、名前の重複や間違いも多いという。
村山さんは同省の資料のほか、直接ロシアに出かけて墓碑に刻まれた名前を書き写したり、抑留者や遺族に聞き取ったりして、10年がかりで名簿を集めた。約3万人分は漢字でも表記し、発音上の誤りとみられる名前も修正した。
今年6月には教え子の協力を得てホームページも開設。五十音順に死者の名前、生年・死亡年月日、階級、収容所、埋葬地などを記してある。
自身もハバロフスクなどの収容所で約4年間抑留された村山さんは、教職の傍ら、抑留体験記を書き続けたが、名簿を集めようとしたきっかけは1969年のシベリア再訪だった。
鉄道敷設などの重労働を課せられ、衰弱と飢えで息絶えた何人もの仲間たち。その墓地は草に覆われ、あまりにも粗末に扱われていた。「自分の抑留記を書くより、この人たちのことを書いて弔わなければ」と、心に決めた。
定年退職後、独学でパソコンを覚えて本格的に取り組み、戦後60年の節目にあたる今年中の完成を目指した。名簿は来年にも自費出版し、全国の主要図書館に送る予定だ。
村山さんは「戦争で心ならずも亡くなった死者たちに思いをはせ、しのぶ機会になればありがたい」と話し、全国抑留者補償協議会は「漢字にしたことで、遺族が確認できる場合も出てくるはずで、大変貴重だ」と評価している。
ホームページのアドレスはhttp://yokuryu.huu.cc/
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早速このHPを閲覧させてもらいました。母の兄が抑留されていたこともあって、他人事とは思えません。他の親戚縁者には抑留された者はいないということを知ってはいるのですが、自然と自分の苗字の箇所を探してしまいました。
ゴウ先生の苗字は、そうそうお目にかかれるものではないのですが、それでも4名の方が亡くなられておりました。悲しい現実です。あの寒さの中、ひもじさの中、どのような思いで亡くなられたのかと考えると、胸が痛むだけではすみません。
にもかかわらず、現ロシアも旧ソ連同様、そのことに対する正式な謝罪も補償も行っていないのです。それどころか、日本の国連の常任理事国入りに中国と並んで強硬に反対しております。何たることでしょうか!
自分たちが犯した国際法違反を棚に上げるどころか、日本の莫大な国連拠出金やこれまでの貢献をまったく無視した態度には、われわれ日本人は怒らなければなりません。
しかも日本はまだ国連憲章において「敵国」扱いをされているのです(旧敵国条項の削除なお時間 国連憲章改正には道筋参照)。
さらには、隣の国の大統領は異例な日本批判を国連総会でやってのけてもいます(【潮流】盧大統領が反米・反日演説 異例国連で帝国主義批判 (産経新聞) - goo ニュース参照)。
前原新民主党代表は、元民主党影の内閣防衛庁長官として、このような問題に対して、きちんとした手を打つ対策をお持ちなのでしょうか。
A級戦犯が祀られている靖国神社には参拝しないという程度の歴史認識で真っ当な外交がやれるのでしょうか。
ましていわんや、昨日の朝日の社説に書かれていたような民主党所属の西村眞悟議員のような強硬な右翼政治家を束ねる力をお持ちなのでしょうか。
小泉自民党に対抗する健全野党としての責務をきちんとはたされんことを願いたいと思います。
しかし、若かろうが、年寄りだろうが、忘れてはいけないことがあります。それは先達たちの苦労と努力によってこの国が出来上がってきたということです。そのことに関して前原代表の立場をお聞きしたいと考えます。
そうした先人の苦労の中には、まったく理不尽な他国による国際法違反も含まれるわけです。その代表的事例が、大東亜戦争終結後旧ソ連によって行われたシベリア抑留であることは言うまでもありません。60万人にも及ぶという強制連行の結果、5万5千人の方が尊い命をなくされてしまったのです。
異国の丘で亡くなられた方の名簿を作られたというニュースをまずはお読みください。
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シベリア抑留兵4万5千人の名簿、元教師がネット公開 (読売新聞) - goo ニュース
2005年 9月17日 (土) 14:50
新潟県糸魚川市の元中学教師・村山常雄さん(79)が、終戦後シベリアに抑留されて亡くなった日本兵約4万5000人の名簿を作成し、インターネットのホームページで公開を始めた。
村山さんは「亡くなった一人一人の名前を見ることで、犠牲の重みをより実感できるはずだ」と話している。
シベリアでは約60万人が抑留され、約5万5000人が死亡したと推定される。厚生労働省は1991年からこれまでに約4万人分の名簿を公開したが、旧ソ連の資料を音訳したものが多く、すべてがカタカナ表記で、名前の重複や間違いも多いという。
村山さんは同省の資料のほか、直接ロシアに出かけて墓碑に刻まれた名前を書き写したり、抑留者や遺族に聞き取ったりして、10年がかりで名簿を集めた。約3万人分は漢字でも表記し、発音上の誤りとみられる名前も修正した。
今年6月には教え子の協力を得てホームページも開設。五十音順に死者の名前、生年・死亡年月日、階級、収容所、埋葬地などを記してある。
自身もハバロフスクなどの収容所で約4年間抑留された村山さんは、教職の傍ら、抑留体験記を書き続けたが、名簿を集めようとしたきっかけは1969年のシベリア再訪だった。
鉄道敷設などの重労働を課せられ、衰弱と飢えで息絶えた何人もの仲間たち。その墓地は草に覆われ、あまりにも粗末に扱われていた。「自分の抑留記を書くより、この人たちのことを書いて弔わなければ」と、心に決めた。
定年退職後、独学でパソコンを覚えて本格的に取り組み、戦後60年の節目にあたる今年中の完成を目指した。名簿は来年にも自費出版し、全国の主要図書館に送る予定だ。
村山さんは「戦争で心ならずも亡くなった死者たちに思いをはせ、しのぶ機会になればありがたい」と話し、全国抑留者補償協議会は「漢字にしたことで、遺族が確認できる場合も出てくるはずで、大変貴重だ」と評価している。
ホームページのアドレスはhttp://yokuryu.huu.cc/
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早速このHPを閲覧させてもらいました。母の兄が抑留されていたこともあって、他人事とは思えません。他の親戚縁者には抑留された者はいないということを知ってはいるのですが、自然と自分の苗字の箇所を探してしまいました。
ゴウ先生の苗字は、そうそうお目にかかれるものではないのですが、それでも4名の方が亡くなられておりました。悲しい現実です。あの寒さの中、ひもじさの中、どのような思いで亡くなられたのかと考えると、胸が痛むだけではすみません。
にもかかわらず、現ロシアも旧ソ連同様、そのことに対する正式な謝罪も補償も行っていないのです。それどころか、日本の国連の常任理事国入りに中国と並んで強硬に反対しております。何たることでしょうか!
自分たちが犯した国際法違反を棚に上げるどころか、日本の莫大な国連拠出金やこれまでの貢献をまったく無視した態度には、われわれ日本人は怒らなければなりません。
しかも日本はまだ国連憲章において「敵国」扱いをされているのです(旧敵国条項の削除なお時間 国連憲章改正には道筋参照)。
さらには、隣の国の大統領は異例な日本批判を国連総会でやってのけてもいます(【潮流】盧大統領が反米・反日演説 異例国連で帝国主義批判 (産経新聞) - goo ニュース参照)。
前原新民主党代表は、元民主党影の内閣防衛庁長官として、このような問題に対して、きちんとした手を打つ対策をお持ちなのでしょうか。
A級戦犯が祀られている靖国神社には参拝しないという程度の歴史認識で真っ当な外交がやれるのでしょうか。
ましていわんや、昨日の朝日の社説に書かれていたような民主党所属の西村眞悟議員のような強硬な右翼政治家を束ねる力をお持ちなのでしょうか。
小泉自民党に対抗する健全野党としての責務をきちんとはたされんことを願いたいと思います。
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