「私はアメリカン・エキスプレスで息子の火葬の料金を支払っているのだ、とサチは思った。それは彼女にはずいぶん非現実的なことに思えた。息子が鮫に襲われて死んだというのと同じくらい、現実味を欠いていた。」『東京奇譚集』所収「ハナレイ・ベイ」より
ゴウ先生、村上春樹の古くからのファンです。大学の同級生の女の子に教えてもらって最初に読んだ『風の歌を聴け』がその始まりです。『羊をめぐる冒険』で鳥肌を立たされ、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でノックアウトされました。そして、今日に至るまで出版されたすべての小説をその折々に読んでは、少しずつ遠ざかる青春の足跡を確認してきたのでした(嗚呼、切ない!)。
先週金曜日に彼の新作『東京奇譚集』を書店で見つけた時には、当然迷わず購入しました。そして一気に読み終わりました。
結論から言います。いいです!前作の『アフター・ダーク』を軽く凌ぎます。いままで村上春樹の作品を読んだことがない方でも十分に楽しめるはずです。
この本は短編集です。次の5つの短編から成立しています。
偶然の旅人
ハナレイ・ベイ
どこであれそれが見つかりそうな場所で
日々移動する腎臓のかたちをした石
品川猿
前4編が今年雑誌『新潮』に掲載されたもので、「品川猿」だけが書下ろしです。
その中で個人的に一番気に入ったのが、冒頭引用した文章を含んだ「ハナレイ・ベイ」でした。
引用でもその雰囲気の一片を分かってもらえるかもしれません。ゴウ先生にとって、村上春樹の魅力は「少しずれた皮肉さ」にあります。
たとえば、この「ハナレイ・ベイ」。ハワイでサーフィン中に鮫に襲われ亡くなった息子の遺体を引き取りに、その母サチが日本からやってくるところから物語が始まります。息子の遺体の始末を考えた結果、サチは火葬を選びます。その費用をどのように払うかで戸惑っているのが引用箇所です。
アメリカなのですから、支払いにアメックスのカードを使うのは当たり前。しかし自分の息子の火葬費用をそれで支払うのは――だれが考えても――どこか違う気がします。翌月あたりに送られてくる請求書には何と書いてあるのだろうと、読み手は笑うに笑えぬ当惑に包まれてしまうのです。
こうした題材の選び方もミョウですが、その語り口も十分にヘンです。
しかし、この軽いズレを生み出す力がある限り、村上春樹ワールドは健在だと安心できます。このヘンな世界を体験したくて彼の小説を読むのですから。
そしてその達者な筆力は、彼独特の会話体に現れます。
日本からハワイに来た二人組の若者と彼らを自分の車に乗せてあげたサチとの会話がひとつの典型です。
**********
「おばさん、ひょっとしてダンカイでしょう?」と長身が言った。
「なに、ダンカイって?」
「団塊の世代」
「なんの世代でもない。私は私として生きているだけ。簡単にひとくくりしないでほしいな」
「ほらね、そういうとこ、やっぱダンカイっすよ」とずんぐりが言った。「すぐにムキになるとこなんか、うちの母親そっくりだもんな」
「言っとくけど、あんたのろくでもない母親といっしょにされたくないわね」とサチ入った。
**********
皮肉屋のサチに投影される「団塊の世代」の村上の本音。それを受け止めきれない現代の若者の姿。深い主題がこうした軽快なリズムをもった会話の中に何気なく生きています。
「ハナレイ・ベイ」はそうした村上の実力が余すところなく凝縮した作品です。時にニヤリと笑いながら、時に真剣なまなざしで読んでください。
「ハナレイ・ベイ」だけでなく、あとの4編も光り輝いています。いつものことながら、読み終わるのがもったいなくなる短編集です。
普段は小説を読まない人も手に取ってもらえれば、なんとも言えない暖かい読後感に包まれて少し幸せになれるはずです。映画もテレビもよいけれど、たまにはのんびり小説を読むのも悪くはないですよ。
お薦めします。
ゴウ先生、村上春樹の古くからのファンです。大学の同級生の女の子に教えてもらって最初に読んだ『風の歌を聴け』がその始まりです。『羊をめぐる冒険』で鳥肌を立たされ、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でノックアウトされました。そして、今日に至るまで出版されたすべての小説をその折々に読んでは、少しずつ遠ざかる青春の足跡を確認してきたのでした(嗚呼、切ない!)。
先週金曜日に彼の新作『東京奇譚集』を書店で見つけた時には、当然迷わず購入しました。そして一気に読み終わりました。
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結論から言います。いいです!前作の『アフター・ダーク』を軽く凌ぎます。いままで村上春樹の作品を読んだことがない方でも十分に楽しめるはずです。
この本は短編集です。次の5つの短編から成立しています。
偶然の旅人
ハナレイ・ベイ
どこであれそれが見つかりそうな場所で
日々移動する腎臓のかたちをした石
品川猿
前4編が今年雑誌『新潮』に掲載されたもので、「品川猿」だけが書下ろしです。
その中で個人的に一番気に入ったのが、冒頭引用した文章を含んだ「ハナレイ・ベイ」でした。
引用でもその雰囲気の一片を分かってもらえるかもしれません。ゴウ先生にとって、村上春樹の魅力は「少しずれた皮肉さ」にあります。
たとえば、この「ハナレイ・ベイ」。ハワイでサーフィン中に鮫に襲われ亡くなった息子の遺体を引き取りに、その母サチが日本からやってくるところから物語が始まります。息子の遺体の始末を考えた結果、サチは火葬を選びます。その費用をどのように払うかで戸惑っているのが引用箇所です。
アメリカなのですから、支払いにアメックスのカードを使うのは当たり前。しかし自分の息子の火葬費用をそれで支払うのは――だれが考えても――どこか違う気がします。翌月あたりに送られてくる請求書には何と書いてあるのだろうと、読み手は笑うに笑えぬ当惑に包まれてしまうのです。
こうした題材の選び方もミョウですが、その語り口も十分にヘンです。
しかし、この軽いズレを生み出す力がある限り、村上春樹ワールドは健在だと安心できます。このヘンな世界を体験したくて彼の小説を読むのですから。
そしてその達者な筆力は、彼独特の会話体に現れます。
日本からハワイに来た二人組の若者と彼らを自分の車に乗せてあげたサチとの会話がひとつの典型です。
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「おばさん、ひょっとしてダンカイでしょう?」と長身が言った。
「なに、ダンカイって?」
「団塊の世代」
「なんの世代でもない。私は私として生きているだけ。簡単にひとくくりしないでほしいな」
「ほらね、そういうとこ、やっぱダンカイっすよ」とずんぐりが言った。「すぐにムキになるとこなんか、うちの母親そっくりだもんな」
「言っとくけど、あんたのろくでもない母親といっしょにされたくないわね」とサチ入った。
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皮肉屋のサチに投影される「団塊の世代」の村上の本音。それを受け止めきれない現代の若者の姿。深い主題がこうした軽快なリズムをもった会話の中に何気なく生きています。
「ハナレイ・ベイ」はそうした村上の実力が余すところなく凝縮した作品です。時にニヤリと笑いながら、時に真剣なまなざしで読んでください。
「ハナレイ・ベイ」だけでなく、あとの4編も光り輝いています。いつものことながら、読み終わるのがもったいなくなる短編集です。
普段は小説を読まない人も手に取ってもらえれば、なんとも言えない暖かい読後感に包まれて少し幸せになれるはずです。映画もテレビもよいけれど、たまにはのんびり小説を読むのも悪くはないですよ。
お薦めします。
先生のブログを読ませて頂き、早速注文致しました。昨日手元に届いたので、この3連休に一気に読みます。