INDECでは毎週火曜の夜にオープン・セミナーというものを開いて、その折々に会員諸君が抱えている悩みに即したトピックに関して拙論を説く機会を設けております。忙しい社会人ばかりの英語塾ですから、ほんの数名の有志が集まるだけですが、アットホームな環境で普段のクラスでは触れる時間がない問題を深く掘り下げるように努めています。
そのセミナーで現在進行中なのが、「映画『東京裁判』に学ぶ」というプロジェクトです。1983年製作の小林正樹監督によるドキュメンタリー映画を4回に分けて大画面で見ては、討論するという内容です。(いまのところ2回終わっています。)
昨今日本を取り巻く極東情勢は、東京裁判と靖国神社そして歴史教科書に対する誤解と迷走から好からぬ方向に進んでいる感があります。
INDECとしては、自国の歴史くらいきちんと知ってもらわないと、とてもよその国に送り出すわけにはいきません。この企画もその願いから生まれたものです。堂々と日本の立場を主張できてこそのINDEC会員ですから。
その一助として、他にも、INDECの会員諸君には、1年の節目である年末・年始に高校の日本史の教科書を通読することを奨めています。出版社は特にこだわりません。ゴウ先生も、話題の扶桑社のものではありませんが、毎年山川出版社の教科書を読むようにしています。歴史は流れの中で理解しないと分からないことが多いですし、基本的な事柄が頭から抜け落ちている場合が多いですから。
もちろん、会員諸君は時間がありませんので、正月休暇を使っても最初から最後まで全部を読めないことが多いとしたものです。そこで好きな時代を選択してもらえればいいと申し添えます。ただし、明治維新以降を選んでくれと強くプッシュしてはおりますが(?!)。
今回もこの企画にあわせて、山川日本史を読み返してみました。該当箇所は、主に「第10章 近代日本とアジア」の「5.第二次世界大戦」です。
そしたらば、期待していなかったのに、山川も意外とちゃんと書いてくれているのに気づきました。
たとえば、戦後「太平洋戦争」と言い換えられ、マスコミ等では使われなくなった「大東亜戦争」という用語についても、p. 330の注3で「開戦ののち、政府は戦争の名称を『支那事変』をふくめて『大東亜戦争』とすることに決定し、敗戦に至るまでこの名称が用いられた」と記しています。
ソ連の開戦についても「8月8日、ソ連はまだ有効期限内にあった日ソ中立条約を無視して宣戦布告し、満州・挑戦に侵入した」(p. 335)と述べ、注2で「侵入するソ連軍の前に、関東軍はあえなく壊滅し、開拓団として満州に移住した人びとをはじめ多くの日本人が悲惨な最期をとげた。また生き残った人びとも、引揚げにさいし、きびしい苦難を味わい、多数の中国残留孤児をうむ結果となった」と書いているのです。悪くありません。
もちろん、「南京事件」問題(p. 324、注2)や「従軍慰安婦」問題(p. 332、注 2)と一般に言われているものに対する記述には眉をひそめるものもあります。しかし、高校の社会の教員免許状も持っているゴウ先生としては、教える日本史教員によってはきちんと対処できる範囲の記述であるような気がします。そうしたことをきちんと学んで発言できる先生がどれだけいるか、疑問ではありますが・・・。
それでは、問題の敗戦処理に関してはどうでしょうか。
山川日本史はまずポツダム宣言の4条(6、10、12、13)を枠入りで引用しています(p. 334)。その上で「7月には、ベルリン郊外でポツダム会談を行い、その機会にアメリカは対日政策をイギリスに提案し、中国を加えて3国の名で、日本の戦後処理方針と日本軍隊の無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発表した」(p. 335)と記します。
これは素晴らしいことです。教える教員さえきちんとした日本語が分かるならば、「日本は、ドイツと違って、無条件降伏はしていない」と教えられるからです。無条件降伏をしたのは「日本国軍隊」であると読めます。
事実、これはポツダム宣言第13条に述べられていることなのです。(山川ではここを読みにくいカタカナ表記の旧仮名遣いで掲載してありますから、それを現代仮名遣いに改めて引用します。)
「われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意につき、適当かつ十分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す、右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」(強調ゴウ先生)
この13条を読む限り、「全日本国軍隊」が無条件降伏することをポツダム宣言は求めているだけであり、「日本」ならびに「日本国政府」が無条件降伏することを要求していないのは明白なのであります。
それなのに、なぜわれわれフツーの日本人は「日本は無条件降伏をした」と誤解してきたのでしょう?
山川日本史は、枠入りで「戦犯問題」としてはいますが、「この裁判には、勝者による敗者に対する一方的裁判という批判もあった」(p. 337)ということ以外何も語りません。山川は発言を控えて、日本の誇りが著しく汚された暗黒裁判に対しひるんでいる感があります。
こういう場合に頼りになるのが、東京裁判に老いて東条英機の弁護人を務められた清瀬一郎さんの『秘録 東京裁判』です。これは昭和42年に読売新聞に連載された文章をまとめられたものです。
清瀬さんは、一刀両断します。
「あたかも日本国が無条件降伏をしいられたかのごとくみせかけているのである」(p. 37)
その本の該当箇所を読めば、この戦勝国側の傲慢さが淡々と述べられていて、ゴウ先生、納得です。教科書がここまで踏み込むのを越権行為と言うのであるならば、高校の先生には『秘録 東京裁判』を副読本に指定して欲しいと願わずにはいられません。(おそらく、実際の授業はこの時代までカバーできなくて終わるのではありましょうが・・・。)
ともかく、この本の史料的価値は、その場にいなければ書けなかった当事者の重みから発生しています。
たとえば、裁判所の便所はアメリカ人専用のものと日本人弁護士のものとが区別されていたりだとか、裁判所の建物内で物が紛失した場合にも日本人弁護士のカバンをあけさせて調査されたというのです(p. 46)。裁判そのものも噴飯物ですが、法廷以外の場所で展開される人種差別とも日本人被告ならびに弁護士は闘わなければならなかった姿が正確に描かれていて、ゴウ先生は胸がつまります。
しかしあの戦後の混乱時に日本の名誉を守るために闘った方がおられたことは、紛うことなき事実です。映画『東京裁判』でも清瀬さんの姿を拝見することができます。しかも当時、日本国民からも軽蔑されていた感のある東条英機の弁護には、生活の困難さも伴って、この本には語りきれぬ辛さがあったのではないかと想像するわけです。
そして、英語教師としてさすがだと思わせられたのが、清瀬さんの英語力です。アメリカのロー・スクールなどを出ておられるわけではないのに、これだけの国際裁判を日本側弁護士としてある意味しきられていたのですからたいしたものです。
ご本人は、次のようにご自分の英語力を評価されています。
**********
おことわりしておくが、私の英語はまことにブロークンであり、ことに発音やアクセントが成っておらぬ。その代わり日本人にはよくわかる。
かつてウエッブ裁判長が清瀬博士の言うことはまったくわからぬといった時、伊藤清弁護士は控え所へ引きあげて、ウエッブは、けしからぬ男だ。この法廷で清瀬君ぐらいハッキリした英語はないではないか、ウエッブを不信任しようと発議された。むろん笑い話であって、私の英語が日本人だけにわかり、肝じんの英米人にはわからぬという意味である。(p. 150)
**********
ゴウ先生、この言葉をストレートに取る気はありません。ウエッブがわからないと言ったとすれば、それは清瀬さんの英語が下手だからではなくて、論証が巧みすぎたからでしょう。発音やアクセントは悪かったかもしれませんが、それを超えた知性と度胸が狡猾なウエッブに拒絶反応を起こさせたと想像しています。
やはり国難を救う人には、外国語の一つや二つ、できてもらわねばなりません!ハーバード・ロー・スクールを出た小村寿太郎の例まで遡るつもりはありませんが、大東亜戦争中の政府のトップには英語が堪能な方がずいぶんおられたようです。さもなければ、アメリカ相手に戦争などできはしません。大東亜戦争の是非はともかく、こうした高水準の語学力を使って活躍されていた方を知ると、英語教師として「頑張らねば」と喝が入るのです。(『東京裁判』では、松岡洋祐元外相が英語で罪状認否をしている場面を見ることができます。)
ともかく、この本は東京裁判の本質を鋭く抉り出す素晴らしいものです。それでいて、文庫本で275ページのコンパクトさです。すべての日本人に読んでもらいたい気がします。
ゴウ先生ランキング:A+
文庫本にしては、857円+税(現在900円)というわけで幾分お高くなっておりますが、ぜひ買って書き込みをしながら、じっくり読んでください。
(まだ書き足らないことがいっぱいありますので、項を改めてこの本について触れさせてもらうかもしれません。その際はお許しを。)
そのセミナーで現在進行中なのが、「映画『東京裁判』に学ぶ」というプロジェクトです。1983年製作の小林正樹監督によるドキュメンタリー映画を4回に分けて大画面で見ては、討論するという内容です。(いまのところ2回終わっています。)
昨今日本を取り巻く極東情勢は、東京裁判と靖国神社そして歴史教科書に対する誤解と迷走から好からぬ方向に進んでいる感があります。
INDECとしては、自国の歴史くらいきちんと知ってもらわないと、とてもよその国に送り出すわけにはいきません。この企画もその願いから生まれたものです。堂々と日本の立場を主張できてこそのINDEC会員ですから。
その一助として、他にも、INDECの会員諸君には、1年の節目である年末・年始に高校の日本史の教科書を通読することを奨めています。出版社は特にこだわりません。ゴウ先生も、話題の扶桑社のものではありませんが、毎年山川出版社の教科書を読むようにしています。歴史は流れの中で理解しないと分からないことが多いですし、基本的な事柄が頭から抜け落ちている場合が多いですから。
もちろん、会員諸君は時間がありませんので、正月休暇を使っても最初から最後まで全部を読めないことが多いとしたものです。そこで好きな時代を選択してもらえればいいと申し添えます。ただし、明治維新以降を選んでくれと強くプッシュしてはおりますが(?!)。
今回もこの企画にあわせて、山川日本史を読み返してみました。該当箇所は、主に「第10章 近代日本とアジア」の「5.第二次世界大戦」です。
そしたらば、期待していなかったのに、山川も意外とちゃんと書いてくれているのに気づきました。
たとえば、戦後「太平洋戦争」と言い換えられ、マスコミ等では使われなくなった「大東亜戦争」という用語についても、p. 330の注3で「開戦ののち、政府は戦争の名称を『支那事変』をふくめて『大東亜戦争』とすることに決定し、敗戦に至るまでこの名称が用いられた」と記しています。
ソ連の開戦についても「8月8日、ソ連はまだ有効期限内にあった日ソ中立条約を無視して宣戦布告し、満州・挑戦に侵入した」(p. 335)と述べ、注2で「侵入するソ連軍の前に、関東軍はあえなく壊滅し、開拓団として満州に移住した人びとをはじめ多くの日本人が悲惨な最期をとげた。また生き残った人びとも、引揚げにさいし、きびしい苦難を味わい、多数の中国残留孤児をうむ結果となった」と書いているのです。悪くありません。
もちろん、「南京事件」問題(p. 324、注2)や「従軍慰安婦」問題(p. 332、注 2)と一般に言われているものに対する記述には眉をひそめるものもあります。しかし、高校の社会の教員免許状も持っているゴウ先生としては、教える日本史教員によってはきちんと対処できる範囲の記述であるような気がします。そうしたことをきちんと学んで発言できる先生がどれだけいるか、疑問ではありますが・・・。
それでは、問題の敗戦処理に関してはどうでしょうか。
山川日本史はまずポツダム宣言の4条(6、10、12、13)を枠入りで引用しています(p. 334)。その上で「7月には、ベルリン郊外でポツダム会談を行い、その機会にアメリカは対日政策をイギリスに提案し、中国を加えて3国の名で、日本の戦後処理方針と日本軍隊の無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発表した」(p. 335)と記します。
これは素晴らしいことです。教える教員さえきちんとした日本語が分かるならば、「日本は、ドイツと違って、無条件降伏はしていない」と教えられるからです。無条件降伏をしたのは「日本国軍隊」であると読めます。
事実、これはポツダム宣言第13条に述べられていることなのです。(山川ではここを読みにくいカタカナ表記の旧仮名遣いで掲載してありますから、それを現代仮名遣いに改めて引用します。)
「われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意につき、適当かつ十分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す、右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」(強調ゴウ先生)
この13条を読む限り、「全日本国軍隊」が無条件降伏することをポツダム宣言は求めているだけであり、「日本」ならびに「日本国政府」が無条件降伏することを要求していないのは明白なのであります。
それなのに、なぜわれわれフツーの日本人は「日本は無条件降伏をした」と誤解してきたのでしょう?
山川日本史は、枠入りで「戦犯問題」としてはいますが、「この裁判には、勝者による敗者に対する一方的裁判という批判もあった」(p. 337)ということ以外何も語りません。山川は発言を控えて、日本の誇りが著しく汚された暗黒裁判に対しひるんでいる感があります。
こういう場合に頼りになるのが、東京裁判に老いて東条英機の弁護人を務められた清瀬一郎さんの『秘録 東京裁判』です。これは昭和42年に読売新聞に連載された文章をまとめられたものです。
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清瀬さんは、一刀両断します。
「あたかも日本国が無条件降伏をしいられたかのごとくみせかけているのである」(p. 37)
その本の該当箇所を読めば、この戦勝国側の傲慢さが淡々と述べられていて、ゴウ先生、納得です。教科書がここまで踏み込むのを越権行為と言うのであるならば、高校の先生には『秘録 東京裁判』を副読本に指定して欲しいと願わずにはいられません。(おそらく、実際の授業はこの時代までカバーできなくて終わるのではありましょうが・・・。)
ともかく、この本の史料的価値は、その場にいなければ書けなかった当事者の重みから発生しています。
たとえば、裁判所の便所はアメリカ人専用のものと日本人弁護士のものとが区別されていたりだとか、裁判所の建物内で物が紛失した場合にも日本人弁護士のカバンをあけさせて調査されたというのです(p. 46)。裁判そのものも噴飯物ですが、法廷以外の場所で展開される人種差別とも日本人被告ならびに弁護士は闘わなければならなかった姿が正確に描かれていて、ゴウ先生は胸がつまります。
しかしあの戦後の混乱時に日本の名誉を守るために闘った方がおられたことは、紛うことなき事実です。映画『東京裁判』でも清瀬さんの姿を拝見することができます。しかも当時、日本国民からも軽蔑されていた感のある東条英機の弁護には、生活の困難さも伴って、この本には語りきれぬ辛さがあったのではないかと想像するわけです。
そして、英語教師としてさすがだと思わせられたのが、清瀬さんの英語力です。アメリカのロー・スクールなどを出ておられるわけではないのに、これだけの国際裁判を日本側弁護士としてある意味しきられていたのですからたいしたものです。
ご本人は、次のようにご自分の英語力を評価されています。
**********
おことわりしておくが、私の英語はまことにブロークンであり、ことに発音やアクセントが成っておらぬ。その代わり日本人にはよくわかる。
かつてウエッブ裁判長が清瀬博士の言うことはまったくわからぬといった時、伊藤清弁護士は控え所へ引きあげて、ウエッブは、けしからぬ男だ。この法廷で清瀬君ぐらいハッキリした英語はないではないか、ウエッブを不信任しようと発議された。むろん笑い話であって、私の英語が日本人だけにわかり、肝じんの英米人にはわからぬという意味である。(p. 150)
**********
ゴウ先生、この言葉をストレートに取る気はありません。ウエッブがわからないと言ったとすれば、それは清瀬さんの英語が下手だからではなくて、論証が巧みすぎたからでしょう。発音やアクセントは悪かったかもしれませんが、それを超えた知性と度胸が狡猾なウエッブに拒絶反応を起こさせたと想像しています。
やはり国難を救う人には、外国語の一つや二つ、できてもらわねばなりません!ハーバード・ロー・スクールを出た小村寿太郎の例まで遡るつもりはありませんが、大東亜戦争中の政府のトップには英語が堪能な方がずいぶんおられたようです。さもなければ、アメリカ相手に戦争などできはしません。大東亜戦争の是非はともかく、こうした高水準の語学力を使って活躍されていた方を知ると、英語教師として「頑張らねば」と喝が入るのです。(『東京裁判』では、松岡洋祐元外相が英語で罪状認否をしている場面を見ることができます。)
ともかく、この本は東京裁判の本質を鋭く抉り出す素晴らしいものです。それでいて、文庫本で275ページのコンパクトさです。すべての日本人に読んでもらいたい気がします。
ゴウ先生ランキング:A+
文庫本にしては、857円+税(現在900円)というわけで幾分お高くなっておりますが、ぜひ買って書き込みをしながら、じっくり読んでください。
(まだ書き足らないことがいっぱいありますので、項を改めてこの本について触れさせてもらうかもしれません。その際はお許しを。)
前回の『秘録 東京裁判』は、先日のオープンセミナーでご紹介いただき、早速購入しました。昨日Amazonから届きましたので、週末でじっくりと勉強いたします。
次回以降もよろしくお願いいたします。
連合国によって初めから作られた感のある裁判において、東条英機の弁護人である清瀬一郎氏が、どのように考え、その任に当たっておられたかを知りたいです。『秘録 東京裁判』、すぐに注文してすぐに読み始めます。