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山頭火の直筆未発表句、発見

2012年03月26日 07時28分56秒 | 時事放談: 国内編

種田山頭火が好きなもので、ちょっとワクワクしたニュースです。

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山頭火:直筆の未発表句 句会仲間の子孫宅に 大分

 放浪の俳人・種田山頭火(1882~1940年)の未発表作品を含む直筆俳句3句が、大分県中津市の俳人・松垣昧々(まいまい)=本名・重敬、1892~1977年=の長男(故人)宅に保存されていることがわかった。1万2000句余りを収めた「山頭火全句集」(春陽堂書店)にない句もあり、研究者らの注目を集めそうだ。

 山頭火は1929(昭和4)年に初めて昧々宅を訪ね、「雨の山茶花(さざんか)のちるてもなく」を詠んだほか、2度目の訪問で「またあへた山茶花も咲いてゐる」を残した。この2句は全句集にあるが、3回目に来た時の「おもいての山茶花の咲かうとしている」はこれまで知られていなかった。いずれも「山茶花」を詠み、庭に鮮やかに咲くさまが印象的だったらしい。3句とも上質紙に書かれ、昧々が後から3句一緒に表装し、掛け軸にしたらしい。長男の妻ヨリ子さん(80)が大事に保管していた。

 山頭火は昧々の自宅に泊まり、市内に現存する老舗料亭「筑紫亭」で句会を開き、フグちりをつつきながら飲み明かしたことも。「酔っ払いまして失礼を重ねました」としたためたお礼のはがきが、人柄をしのばせる。

 投函(とうかん)は29年11月21日で、現宇佐市の四日市郵便局。これを含め、昧々に宛てたはがき6通も保存されていた。

 「放浪の俳人山頭火」などの著書がある作家の村上護さんは「直筆の句はほとんど残っておらず、山頭火の息遣いが聞こえる。膨大な句作で全句集から漏れたのだろうが、句作の背景に迫れる貴重な発見」と評価している。【大漉実知朗】

 ◇種田山頭火

 本名・正一。山口県防府市生まれ。母の自殺、家業の造り酒屋の没落、離婚、酒びたりの生活など波乱に富んだ人生を経て得度。托鉢(たくはつ)をしながら各地を放浪し、自由律俳句を作り続けた。晩年は熊本や山口などに庵(いおり)を設け、松山で亡くなった。句集に「草木塔」などがある。

毎日新聞 2012年3月25日 10時07分(最終更新 3月25日 10時38分)

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山頭火は、五七五という定型にこだわらない自由律俳句の代表者。高校時代から、「分け入っても分け入っても蒼い山」という句が好きで、折りに触れ山頭火の俳句を読んできました。もちろん、まねたこともありますが、自由律で詠むのは実は、困難。山頭火の才能にただ感心するだけです。

日本中を放浪している山頭火ですから、このような新発見がこれからもあるかもしれません。旧家の方は、古い手紙などをチェックしてもらえると、山頭火ファンとしてありがたいです。


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