大阪市と米サンフランシスコ市の姉妹都市提携60周年を記念し、来阪中のサ市代表団の歓迎会が23日、大阪市内で催された。吉村洋文市長はあいさつで友好の大切さを訴えながらも、中国系の民間団体がサ市内の私有地に設置した慰安婦像と碑が土地ごとサ市に寄贈され「公共物」となることへの懸念を改めて伝えた。

 碑文は、慰安婦を「性奴隷」と表記。「ほとんどが戦時中のとらわれの身のまま亡くなった」などと日本政府の見解と異なる主張が一方的に書かれている

 吉村市長は同日午前にサ市代表団が大阪市役所を表敬訪問した際にも「日本人として受け入れられない」と表明。サ市のエドウィン・M・リー市長宛ての再検討を促す書簡を代表団に託したいと要望していた。

 夜の歓迎会には、かれん・ケリー駐大阪・神戸米国総領事も出席。代表団のアレン・オカモト氏は「両市の友好関係が今後も末永く続いていくことを期待したい」とあいさつし、関係者が談笑する和やかな雰囲気で進んだ。ただ、オカモト氏は慰安婦像と碑の扱いに言及せず、日系米国人の社会においても繊細な問題であることをうかがわせた。

 米西海岸にあるサ市はアジアからの玄関口ということもあり、市民約85万人には日系人や中国、韓国系も多い。大阪市とサ市の関係は世界7カ国8都市に及ぶ大阪市の姉妹都市・友好都市の中で最も古く、昭和32年にスタート。5年ごとの節目の年を中心に市長や市議会、有志の市民らによる代表団が相互訪問してきた。

 34年に坂の街として知られるサ市から大阪市へケーブルカーが寄贈されたほか、50周年の平成19年にはサ市の道路に「OSAKA WAY(大阪通り)」という名前が付けられ、大阪市役所にほど近い中之島公園(北区)には記念プレートが設置された。草の根レベルではサ市の日系人らでつくる姉妹都市協会の主催で毎年、両市の高校生による交流が行われている。

 今回の騒動の発端は27年に中国系民間団体が慰安婦像と碑の設置をサ市に申請し、同年7月の市議会で設置を支持する決議案が審議されたことだ。当時の橋下徹市長は「日本の事例のみを取り上げる矮(わい)小(しょう)化は世界の問題解決にならない」と書簡で懸念を伝えた。

 吉村市長は昨年8月、サ市を訪問し「(先の大戦当時は)慰安婦制度が必要だったということは誰にだって分かる」という橋下氏の発言で悪化していた関係修復を図った。しかし、今年2月には、サ市の関係機関が慰安婦像のデザインと碑文の内容を承認。9月にはサ市内の私有地に慰安婦像と碑文が設置され、吉村市長は土地ごとサ市が寄贈を受けることがあれば姉妹都市を解消すると断言した。

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大東亜戦争時の慰安婦は、あくまで当時の「売春婦」です。時代の中で翻弄された可哀そうな女性たちではありますが、「性奴隷」ではありません。

その慰安婦像をサンフランシスコ市が中国・韓国のデマゴーグに躍らされて受け入れるというのは、最悪のこと。大阪市だけでなく、日本政府自体がその愚行を非難し、撤回させるべきです。

ある意味、こういう日本の品格を奪うような問題は、憲法改正よりも重要です。安倍政権の本気度を問います。