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工藤公康、一軍復帰!

2007年05月12日 11時46分52秒 | 時事放談: 国内編
44歳のロジャー・クレメンスがヤンキース入りを発表しました。工藤公康選手にもがんばってもらわねば困ります。

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44歳工藤9年ぶりの救援で復帰(日刊スポーツ) - goo ニュース

2007年5月12日(土)09:58

<横浜8-4広島>◇11日◇横浜

 「ハマのおじさん」が帰ってきた。横浜工藤が4点リードの9回から登板した。4月15日以来の1軍マウンド。場内アナウンスが響くと、大歓声に後押しされた。1球で森笠を二ゴロに仕留めると、続く広瀬、倉も二ゴロ。5日に誕生日を迎えて44歳となっての初登板は、わずか11球の復活劇だった。

 出場選手登録抹消前には速球は140キロも出なかったが、この試合の最速は142キロ。「ホッとしてます。先発以上の緊張感。疲れました~」。アイシングをしながら話す表情は、紅潮していた。救援登板はダイエー時代の98年7月18日以来で、90年以降でも7度しかない。リリーフで試合の最後まで投げたのは、西武時代の89年9月以来だった。工藤は「リリーフの人の大変さがよ~く分かりました」としみじみ振り返った。

 3戦3敗、防御率14・40という不調から、4月16日には2軍落ち。横須賀の2軍練習場ではミニキャンプと称して、走り込み、ウエートトレーニングなどに励んだ。「考えているよりも時間かかった。チームが調子良くて、僕が上がって変なピッチングするわけにはいかないからね。焦り? 正直ありました」と苦悩の日々だった。4歳下の元チームメートのオリックス吉田修が昨オフ、トライアウトを受験している姿が目に焼き付いている。「1年でも長く現役を続けられるように頑張れ」と電話を入れた。そして自身は巨人から横浜へ移籍。「言った手前、オレも頑張らないといけない」と自らを鼓舞し続けている。

 復帰のチャンスを計っていた。デーゲームで結果を残せなかったことから、大矢監督の配慮でナイターに照準を合わせていた。点差、天候などさまざまな条件も考慮し、この日を逃せば週明けの巨人戦まで持ち越す可能性が高かった。同監督は「これで1日2日様子を見ないといけない」と次回の起用法については明言を避けた。ベストはもちろん先発。その階段を1歩上がった。【沢畠功二】

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それにしてもすごい選手です。9年間もリリーフをしたことがない投手など他にいるのでしょうか。それだけコンスタントに先発投手の責任を果たしてきたということでしょう。完全復帰を期待したいものです。

どんな形であれ工藤投手には活躍してもらいたいもの。クローザーとして活躍するのもひとつの手段だと思うのですが、どんなものなのでしょう。

ともあれ、勇気をありがとう、工藤投手!

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