高倉健さんのプライベートについてはあまり関心がないので、30年前に交際していたという児島美ゆきさんの告白は無視していました。ですが、健さんに養女がいらしたという事実は(たぶん真実なのでしょう)、ファンとして記録しておくべきことのように思います。健さんが寂しく亡くなったのではないということを知ることができただけでも、うれしいことですから。
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元木昌彦の深読み週刊誌
高倉健「去年5月に養子縁組」50歳の元女優...世話になった人に財産残したい
J-CASTニュース 2014/12/26 11:00
『週刊現代』の児島美ゆきの告白に続いて、『週刊文春』は「高倉健に養女がいた!」というスクープを飛ばしている。彼女はTさん。元女優で現在50歳になるという。健さんが正式に養子縁組をして彼女を養女にしたのは昨年5月(2013年)だ。健さんは「長年世話になった人に財産を残したい」といって弁護士に相談したという。
遺書もある。葬儀は「戒名なし、葬式なし、散骨を希望する」というものだそうだ。Tさんは健さんの食事や洗濯、掃除など身の回りの世話をして、時には相談相手になるなど、健さんに影のように付き添っていた。
<彼女が健さんの『特別な存在』だったことは間違いない。健さんとTさんは年齢差が三十三歳あるが、妻であり、母であり、娘でもあったのかもしれない>と週刊文春は書いている。
11月に再入院後、寝ている高倉の頬にTさんの涙がこぼれたとき、彼はこういった。<「どうして泣いているの? 僕は家に帰るんでしょう。おかしいよ、泣いたりしたら」>
Tさんは<「その会話の後、高倉は私の涙をそっと指で拭ってくれて、ひとこと「ありがとう」と。滅多に聞かれなかった言葉でした」>と声を震わせたという。
文藝春秋に発表した高倉の手記もTさんが病室で口述筆記したものだった。私も行ってみた京都の行きつけの喫茶店「花の木」に掛かっていたジャン・ギャバンの白黒写真を寄贈したのは健さんだった。<「ジャン・ギャバンは亡くなられたとき、フランス海軍によって散骨が叶いました。『憧れるなぁ』という言葉が耳に残っております。
折に触れて、『人は必ず死ぬ。死なない人間はいないんだ』と話しておりました。病気になってからではなく、死後のことは、『Tに任せる。僕のこと、よく知ってるでしょ』と。責任を痛感しております」>
Tさんという人を健さんはとても信頼していたんだろう。なぜかホッとする。
健さんが可愛がった俳優・石倉三郎が結婚したとき、ペンダントが贈られてきたそうだが、そこに書かれていた健さんの言葉がいい。「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし」
Tさんなら遺産相続で揉めることはないだろう。
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『週刊文春』を買わねばなりません。改めて、合掌。
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