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大学は、3年で学士号を与えるべきかも

2011年07月10日 05時42分16秒 | 時事放談: 海外編

アメリカという国は、経済合理性に関しては実に厳しい国。4年制大学すら時間と金がもったいないという意見が出ています。有力紙The Washington Postなどは、社説で3年で学士号を与えよと主張しています。

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Colleges need to get moving on the three-year degree
By Editorial, Published: July 7

THE U.S. SYSTEM of higher education is widely considered the world’s best. A college education confers substantial benefits, both intangible and monetary — about $20,000 per year in extra earnings over the course of a lifetime. Yet, according to a recent survey by the Pew Research Center, 57 percent of Americans think higher education is not a good value, even though they know how much it boosts earning power. Three-quarters say that college is too expensive for most people. And with the cost of many state universities skyrocketing — next fall, the University of California’s in-state tuition may be double what it was just six years ago — those perceptions are understandable.

Clearly, higher education officials must think harder about affordability — including not only more scholarship money but also lower costs and higher efficiency. One promising idea is the three-year degree, which would enable U.S. students to get their bachelor’s in the same period that students in other countries, notably England, get theirs, rather than in the four-year span that has gone more or less unquestioned since Harvard decreed it back in 1652. Students would have to spend (and borrow) less, and they would have an extra year of work to defray the costs of education.

There are many potential approaches to the three-year degree: Schools can make it easier for students to apply college credit earned in high school; they can fashion programs that pack nearly four years of credits into three years, making use of summer and online learning; they can consider a more focused and streamlined curriculum. What all such ideas assume is that universities and colleges could make more intensive use of resources that often lie idle for much of the year under the existing paradigm.

So it’s disappointing to learn, from reporting in The Post by Daniel De Vise, that three-year degree programs are still offered by only a relative handful of schools, most of them small, private institutions, and that student demand remains weak. In part, this reflects the fact that students are in no hurry to exit the halcyon campus life. But another problem is that some colleges offer three-year degrees without cutting tuition to three-quarters of a four-year degree.

Colleges and universities face powerful economic incentives to stick with the four-year model. Most won’t offer a three-year option unless and until those incentives change. That may be starting to happen: The recent budget proposal by Ohio Gov. John Kasich (R) requires the state’s public universities to prepare plans to offer three-year undergraduate degrees for 10 percent of their programs by 2012 and for 60 percent by 2014. It probably will take successful innovation by one or more large state systems to spur change nationwide. Perhaps federal aid to universities or the schools’ participation in the student loan program could be partly conditioned on offering a three-year degree option. Today’s students have the capability to acquire and distribute knowledge faster than any previous generation, thanks to technology. Higher education needs to catch up.

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確かに、カリフォルニアの州立大学が6年前から倍になったとあるように、アメリカの大学の学費は高くなりました。。年間4万ドル要求する大学も普通にあります。

これでは、57パーセントのアメリカ人が大学教育がその学費に見合った教育がなされておらず、75パーセントのアメリカ人が学費が高すぎると思うのも当たり前です。

それでも、4年間のモラトリアム期間は学生にはありがたい限りなので、いまのところ学生側から3年で学位をもらえるようにしてくれという要求は強まっていないとのこと。分からないではありません。

ですが、オハイオ州のように3年で学士号を取れる大学を増やしていこうとする州も出てきているようですし、アメリカの高等教育も変化しています。

それに引き換え、日本。

本当に日本の高等教育は、機能しているのだろうかと首を傾げます。これだけ国際性向上が議論されているのに、英語力ひとつとってみてもまともな大学生はごくわずか。高田馬場駅の周りでは、遊ぶ大学生しかめにつかない悲惨さです。

こんなに遊んでいられるのなら、日本の大学も3年で終わらせて、学生たちを働かせればよいものをと思ってしまいます。

ともあれ、大学教育ひとつにとってみても、もっと日本は議論を深めるべきです。さもないと国際競争力はますます衰えていきます。勉強する大学生を増やすには、どうすればよいか。国民の課題のひとつです。


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official language (noga)
2011-07-29 22:16:35
英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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