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社説くらいきちんと書こう、朝日新聞

2006年03月15日 08時45分33秒 | 時事放談: マスコミ編
朝日の社説だけ、今日の各紙の社説の中で異彩を放っていました。国旗・国歌を強制するなといういつものネタです。しかし、ゴウ先生には首を傾げることが・・・。まずは、ご一読ください。

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国旗・国歌 ここまでやらずとも

 桜のつぼみがふくらむこの時期は、卒業式の季節だ。先生や親に感謝し、新しい出発に胸をふくらませる。それぞれに思い出があるだろう。

 ところが、東京の都立学校ではここ数年、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いている。国旗と国歌をめぐって大勢の教職員が処分されてきたからだ。

 私たちは社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。しかし、東京都教育委員会の姿勢は強硬になるばかりだ。

 先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。

 生徒を1人残らず国旗に向かって立たせ、国歌を斉唱させる。かみくだいて言えば、それが指導の中身だろう。

 見逃せないのは、今回の指示が職務命令にあたる「通達」であることだ。都教委は2年前にも同じような指示をしているが、その時は「通知」だった。いわば、これまでの「指導してください」が「指導せよ」に変わったわけだ。

 通達を受けた校長は教職員の一人ひとりに職務命令書を出さねばならない。起立しない生徒がいれば、先生が責任を問われ、処分されかねない。

 自分が歌わなければ先生が処分される。そう思った生徒は起立する。それが都教委の狙いだろう。

 先生自身は03年に都教委によって起立や斉唱を義務づけられている。それに抵抗した約300人が処分された。

 都教委にとって、残るは生徒だけだ。しかし、ちょっと待ってもらいたい。

 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

 「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、当時の文相はこう答弁した。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

 定時制高校の卒業生たちは、他の生徒の起立や斉唱を妨げたわけではあるまい。それでも新たな通達を出した都教委は、生徒の内心の自由などをはなから考えていないとしか思えない。

 昨年、ある都立高校の卒業式で、生徒たちが「これ以上、先生たちをいじめないでほしい」と発言した。その高校では今年、保護者が要望した2階からのビデオ撮影を代表1人に限り、録画テープを学校に預けさせた。学校は「外部へ流出する恐れがある」と説明した。

 学校は何を恐れているのだろうか。保護者がわが子の記録も自由に撮れないとは、なんとも異常なことだ。

 卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。

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どのようなお考えをおもちでしょうか。二つほど、私見を述べさせてもらいます。

第一に、国歌斉唱ならびに国旗掲揚に対する起立・脱帽は、世界中のマナーです(中国という、そのマナーが通じない国があることはありますが)。したがって、法律があろうがなかろうが、そのマナーを指導するのが学校というところではないでしょうか。それは食事のマナーを教えるのと同じことです。

ゆえに、マナーをきちんと指導できない教諭が処分されても仕方ありません。なぜなら、数学や英語を水準以上に教えられず、日常の生徒の生活指導を決められた基準できなければ、懲戒の対象になるのと同じだからです。

したがって、国旗・国歌に対してだけに教育委員会が異常介入しているような上記の社説は、真実を伝えていません。

第二に、朝日の社説によくあることではありますが、情報源が実に曖昧です。ゴウ先生が問いたいのは、次の箇所がいつ・どこで・だれによって発言されたかです。

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 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

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この引用だけを見たら、国旗・国歌に対する態度は、児童や生徒の判断に任せられるという風に見えますが、ゴウ先生にはそのような発言が実際に行われていたかよく知りません。

6年前の文部大臣は、中曽根弘文参議院議員。その文部大臣が平成12年3月14日の参議院の文教・科学委員会において民主党の小宮山洋子議員の質問に次のような答弁をしてはいます。

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 児童の権利に関する条約の十二条一項では、児童個人に関する事項につきまして児童がみずからの意見を述べることができることとされております。学校におきましては、例えば、先ほど委員もおっしゃいましたけれども、校則等の制定とかあるいは見直しに当たって、児童生徒がみずからの課題としてこれらの問題を学級やまた生徒会の活動などを通じて討議する場を設けるなど、必要に応じて児童生徒の意見が反映されるよう考慮されているところでございます。

 お尋ねの国旗と国歌の指導でございますけれども、これは、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させて、これをまた尊重させる、そういう態度を育てるとともに、諸外国の国旗・国歌も同様に尊重してもらう、そういう態度を育てるために行われるものでありまして、従来どおりこの国旗・国歌の指導につきましては学習指導要領に基づいて適切に指導が行われるべきだ、そういうふうに思っております。

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つまり、児童・生徒には個人的な問題で個人の考えを述べる権利は保障されているが、国旗・国歌に対する態度はそのようなものではないと大臣は述べているわけです。

ゆえに、朝日の指摘のような発言が繰り返されたかどうか、勉強不足のゴウ先生、存じ上げませんが、政府が「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と答えるのも当然だと考えます。もともと、上記の発言から解釈できるように、国旗・国歌は内心に立ち入るものではないという法解釈なのですから。

さらに、次の箇所はいつのやり取りなのでしょう。ゴウ先生の調べが悪いのかもしれませんが、このような議論があったのかどうかよく分からないのです。

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 「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、当時の文相はこう答弁した。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

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ゴウ先生、これが捏造だとか申し上げるつもりは毛頭ありません。しかし、引用するならば、6年も前のことですから、その情報源を明らかにすべきです。いまは「国会会議録検索システム」が完備されています。議事録は簡単にインターネットで入手できるのです。検証可能な形で引用してこそ、フェアな批判というものでしょう。

しかも、この箇所ヘンな引用です。「起立しなかったらどうする?」と訊かれて、「歌わないことはありうる」と文相は答えているのです。つまり、これって、歌わなくてもよいから、少なくとも立てと言っていることでしょう。起立しなかった高校生がいたという話の社説の文脈と合いません。

引用したくても、自分に都合の良い文言が見つからないために、相当な我田引水をしていると言わざるを得ないのです。いやしくも、社説。引用に関しては、慎重な取り扱いを求めます。

というわけで、根拠が曖昧なままで、ただ国旗・国家法を国民に押し付けるのはけしからんと叫んでいるように見えるこの社説。どうせ議論するならば、きちんとした法律議論にならねば、恥ずかしい限りです。

都立高校の先生方にも申し上げたいことがあるにはありますが、今日は朝日の社説に対する疑問点を指摘させてもらうにとどめさせていただきます。

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1 コメント

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Unknown (Moon)
2006-03-19 15:30:57
国旗に敬意を払うことは当たり前のことだと思います。当たり前のことを、当たり前に教えることが大切なのではないでしょうか。
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