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『文藝春秋』に掲載された高倉健さんの最期の手記は、ファン必読

2014年12月10日 05時35分59秒 | 高倉健

病床で最後の力を振り絞って綴られた高倉健さんの最後の手記」と題された健さんの文章が月刊『文藝春秋』に掲載されています。

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健さん「最期の手記」死の4日前に完成
日刊スポーツ 2014年12月9日22時47分

 11月に83歳で亡くなった俳優高倉健さんが、自身の戦後と映画人生を振り返った内容の原稿を死の4日前に完成させていたことが9日分かった。「最期の手記」として、10日発売の月刊誌「文芸春秋」新年号に掲載される。

 手記は「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」という比叡山「大阿闍梨(あじゃり)」の故酒井雄哉さんから贈られた言葉で終わっており、死を前にした静かな心境が伝わってくる。

 高倉プロモーションなどによると、高倉さんは同誌の戦後70年企画の依頼に応じ、原稿が完成したのは東京都内の病院に入院中の11月6日。原稿が同誌編集部に送られてきたのは死の当日の同10日で、最後の仕事になった。

 手記は原稿用紙16枚分。終戦を迎えて「人生が変わる一瞬。諸行無常」を、初めて味わった経験から始まり、これまであまり語らなかった映画現場での苦労話なども書かれている。

 「網走番外地」シリーズなどがヒットし、異常な忙しさで精神的にも肉体的にも限界だった高倉さんが、撮影所を抜け出した「数十日間の孤独なストライキ」や、「自分を変えた一本」である「八甲田山」の故森谷司郎監督との熱い交流などの秘話もある。

 「往く道は-」の言葉は、「南極物語」の出演を迷っていたときに酒井さんから受けた言葉という。「僕に一つの道を示し続けて下さっている」。手記は、こう締めくくられている。

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早く読みたかったので、Kindle版を購入しました。

昭和20年8月15日に12歳で味わった「諸行無常」の話から、東映入社にいたる経緯、めちゃくちゃな忙しさのなかで消耗してきっていたこと、酒井雄哉大阿闍梨との出会い、『八甲田山』の撮影の思い出にいたるまで、読み応え十分です。

しかも、この手記のあとに沢木耕太郎氏が健さんとの思い出をまとめた「深い海の底に――高倉さんの死」という文章が、これまで語られることのなかった健さんの姿をいきいきと描写してくれて、一気に読めました。

それによると、氏の最新刊『波の音が消えるまで』に登場する老人は、健さんに映画で演じてもらいたくて書かれたものだとか。読まねばなりません。

改めて、健さんを亡くした喪失感に襲われます。合掌。

波の音が消えるまで 上巻
沢木 耕太郎
新潮社
波の音が消えるまで 下巻
沢木 耕太郎
新潮社
文藝春秋 2015年 01月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
文藝春秋

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