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降旗康男監督、高倉健を語る

2015年04月28日 07時05分21秒 | 高倉健

降旗康男監督が、高倉健さんについて語っています。記録しておきましょう。

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「まだまだ健さんを追い続けたかった」 降旗監督が語る
朝日新聞 2015年4月27日21時02分

 昨年11月に旅立った映画俳優、高倉健。享年83。その出演作のうち20本のメガホンを取り、最も信頼されていたのが降旗康男監督(80)だった。亡くなった時には「残念の一語に尽きる」と短いコメントを出しただけで、沈黙を貫いてきた降旗監督が今、その出会いから別れまでを語る。

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 昨秋、健さんとの新作が具体化し始めた時、入院の話を聞きました。10月末に「病気がうまくいかない」という手紙をもらい、「回復するまで待っています」と返事をしました。

 それから間もなくです、訃報(ふほう)が届いたのは。きちんとお別れを言えていれば、コメント出来たのかもしれません。その時はただ「え?」としか思えなかった。新作の脚本ですか? 細断してもらいました。

 健さんと出会ったのは1957年、僕が東映で最初に助監督に付いた美空ひばりさんの映画です。横浜ロケの後、ひばりさんが健さんを自宅に呼んでね。取り巻きの連中は酒を飲んで盛り上がっちゃった。でもこれから東京で撮影の続きがあり、僕は健さんを連れ帰る役でした。一方、宴席が苦手な健さんも逃げたがっていて、2人で目配せをして抜け出したんです。

 以来、撮影所で顔を合わせると「おう、やってるかい」と健さんは声をかけてくれました。僕は助監督をしながら、健さん主演の企画を会社に出していました。そのうちの1本が「地獄の掟に明日はない」でした。

 健さんが演じた暴力団員は長崎で原爆に遭っていて、独特のニヒリズムを秘めています。当時奥さんだった江利チエミさんが健さんに「あなたには、こういう映画が合っている」と言ってくれたと聞いてね、すごくうれしかったです。

 その後、東映時代に「新網走番外地」シリーズを6本撮りましたが、どれもワンパターン。健さんと僕は、いつも俊藤浩滋プロデューサーに「この企画、もっと面白く練ってから撮影しましょうよ」と訴えました。そんなところから気心が通じていったんでしょうね。

 東映を辞めた後、しばらくテレビドラマの演出をしていましたが、「冬の華」で劇場映画に復帰しました。健さんが僕を呼んでくれたんじゃないかな。

 僕にとって、健さんの作品で最も印象深いのが特攻隊を描いた「ホタル」です。鹿児島・知覧基地の近くで食堂を営んでいた鳥浜トメさんの番組を健さんが見て、「特攻とは何だったのかを問う映画を作りたい」と言ってきたのが始まりでした。

 これはまた随分面倒な話を持ってきたな、と感じました。しかし同時に、絶対にやらなきゃいけないテーマだとも思いました。これは高倉健がいなければ実現しなかった映画なんです。

 健さんは東映で特攻隊の映画にいくつか出ていてね。でも忠君愛国を信じて飛び立つ映画の中の若者と、トメさんの話は全然違っていた。本当のことを伝えずにギャラをもらい、そのまま死んでいくのは嫌だ、と。

 知覧に行くと、朝鮮出身の特攻隊員の碑がありました。植民地の若者が出撃する話を中心に据えようと思い付き、韓国ロケもすることになりました。すると、健さんが「韓国に行くのなら『アリラン』を歌わなきゃいけませんね」と言ったんです。その言葉から脚本が出来上がっていきました。

 健さんが亡くなった時、「ホタル」はほとんど取り上げられなかった。韓国とぎくしゃくしている今の時代にふさわしくないと判断されたんでしょうか。

 結局、「あなたへ」が最後の作品になりました。この映画のクランクアップは、健さんが門司港の岸壁を歩く長回しのラストシーンでした。今になって、健さんがどこか遠くへ去ってしまうように見えると言われますが、僕自身、あれが健さんの最後のシーンになってもいいように、との思いで撮ったんです。

 道がもっと長かったら、まだまだ健さんをカメラで追い続けていきたかった終わってほしくなかった健さんのラストショットにしては、決して100点じゃなく、80点でもないけれど、72点くらいにはなったかなと、今は思っています。(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

■高倉健出演の降旗康男監督作品

1966「地獄の掟に明日はない」

1968「獄中の顔役」

1969「新網走番外地 流人岬の血斗」

1970「日本女俠伝 真赤な度胸花」

1970「捨て身のならず者」

1970「新網走番外地 大森林の決斗」

1970「新網走番外地 吹雪のはぐれ狼」

1971「ごろつき無宿」

1971「新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬」

1971「新網走番外地 吹雪の大脱走」

1972「新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義」

1978「冬の華」

1981「駅 STATION」

1983「居酒屋兆治」

1985「夜叉」

1989「あ・うん」

1999「鉄道員〈ぽっぽや〉」

2001「ホタル」

2006「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウ〈張芸謀〉と共同監督)

2012「あなたへ」

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1957年の美空ひばり主演作といえば、『青い海原』です。

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それから、2014年まで57年間つきあったのですから、健さんが監督をどれだけ信頼していたか驚かされます。すべて、Blu-ray DiscもしくはDVDで見られます。貧乏英語塾長は、すべて見ています。

個人的に、この20本から好きな3本を選べば、『駅 STATION』(1981)、『冬の華』(1978)、『居酒屋兆治』(1983)となります。

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正直なところ、いい人になりすぎた「高倉健」は、好みから外れてしまうのです。やっぱり健さんは、野生的恐ろしさがあってこそ、優しさが引き立つ俳優でした。ゆえに、後者がメインになっていく晩年の作品は、どこか違うという気がいまでもしています。

ともあれ、ふたりの57年に乾杯。そして、改めて、高倉健さんに合掌。


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