見たいですね。都合が悪くて、行けそうにないのが残念です。
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戦犯救った奇跡の歌姫 反戦語り継ぐ舞台、横浜で再演へ
朝日新聞 2015年1月20日02時03分
戦後、100人を超える日本人戦犯を収容していたフィリピンの「モンテンルパ刑務所」。同国政府に減刑と釈放を嘆願した歌手渡辺はま子と戦犯の交流を描く舞台が今月、横浜市で上演される。終戦から70年。元戦犯の子どもも「戦争の記憶を風化させたくない」と心待ちにしている。
横浜生まれのはま子は1933年に歌手となり、戦前は「夜来香(イエライシャン)」、戦後も「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」など多くのヒット曲を歌い、1999年に89歳で亡くなった。
敗戦後の52年、モンテンルパ刑務所に収容されていた日本人死刑囚が、望郷の思いを込めて作詞・作曲した譜面をはま子に送った。はま子はこの曲を「ああモンテンルパの夜は更けて」として発表し、大ヒットした。
この年の暮れ、はま子は刑務所を訪れてこの曲を歌い、戦犯の減刑と釈放をフィリピン政府に嘆願。翌53年に特赦で全員が日本に送還された。
この逸話をもとに、横浜在住の作家山崎洋子さんが舞台脚本を書き下ろし、女優五大路子さんが率いる「横浜夢座」が2001年、「奇跡の歌姫 渡辺はま子」として初上演した。
はま子役を演じる五大さんは初演にあたり、元戦犯たちから刑務所の生活を聞き、日本の家族との手紙を見せてもらった。その後も元戦犯で作る「モンテンルパの会」の旅行や定例会に顔を出してきた。
だが、ここ数年でメンバーが次々と亡くなり、「消えゆく声を聞かせてもらった者の使命として、戦後70年の節目にモンテンルパをよみがえらせよう」と02年以来の再上演を決めた。
元戦犯の子どもも上演を心待ちにする。横浜市鶴見区の尾畑慶子さん(75)は元死刑囚の前川治助(じすけ)さんの長女。1943年、4歳の時に父が出征。戦後、「レイテ島で死亡した」との知らせを受け、慶子さんは葬式の遺影で顔を覚えたという。
その後、父の収容が判明。53年7月22日、釈放された父たちが乗った船の到着を横浜港で待った。デッキから下りてきた父は、14歳になった慶子さんの姿を見つけ、真っ先にこう聞いてきた。「左手は大丈夫か?」。慶子さんが赤ちゃんの頃に負った左腕のやけどを心配しての言葉だった。「父の笑顔に、また家族みんなで暮らせるんだと心から安心しました」
治助さんは巣鴨プリズンでの収容を経て、電気工事会社を立ち上げ、夫婦で仕事に打ち込んだ。90年に76歳で亡くなるまで、戦地やモンテンルパでの日々を語ることはなかったという。
父の死後、慶子さんは「モンテンルパの会」で刑務所で暮らした人たちの体験を聞いた。「父は戦犯としての重荷を死ぬまで背負っていたのだと思う。黙々と仕事に励んだ父の胸の内がほんの少し分かった気がした」。再上演を前に「一人でも多くの人に舞台を見てもらい、戦争が残した傷の深さ、悲しさを語り継いでいってほしい」と願う。
公演は24~31日、横浜市西区の「ランドマークホール」で。一般6千円、学生4千円。問い合わせは平日午前10時~午後5時、横浜夢座事務局(045・661・0623)。(宮嶋加菜子)
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〈モンテンルパ刑務所〉 フィリピン・マニラ近郊にあり日本人戦犯が収容されていた刑務所で、17人の日本人が処刑された。1953年7月、当時のキリノ大統領の特赦により、108人の受刑者全員が帰国した。
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■ああモンテンルパの夜は更けて
作詞:代田銀太郎
作曲:伊藤正康
モンテンルパの夜は更けて
つのる思いにやるせない
遠い故郷しのびつつ
涙に曇る月影に
優しい母の夢を見る
燕はまたも来たけれど
恋しわが子はいつ帰る
母の心はひとすじに
南の空へ飛んでゆく
さだめは悲し呼子鳥
モンテンルパに朝が来りゃ
昇る心の太陽を
胸に抱いて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは
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泣けますよ、この歌。YouTubeでも聴けますから、ぜひ聴いてください。
五大路子さんの舞台も、すばらしそうです。
公式サイト:http://y-offside.co.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E3%81%AF%E3%81%BE%E5%AD%90/
歴史を風化させないためにも、こういう上演はずっとやってほしいものです。日本の犠牲になった人が、たくさんいらっしゃるのですから。
なお、2009年9月12日にフジテレビで放送された『戦場のメロディ』というドラマでは、同趣旨の内容のドラマを薬師丸ひろ子さん主演で作られています。いま現在DVD化もされておらず、見たくても自由に見られないのが悔しいところです。一日も早いBlu-ray Disc/DVD化を望みます。
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