「不器用ですから・・・」
これは健さんが1980年代前半にニッセイ(日本生命)のCMに出演した時のセリフです。映画の中で使われてヒットした言葉ではありません。ゴウ先生が知る限り、健さんにこんなひどいセリフを言わせた映画の脚本家は一人もいません。その辺を誤解している一般の人が多いのには、ゴウ先生も口がアングリです。
では、健さんには不器用な男のイメージがあるのに、倉本聡を始めとした錚々たる脚本家たちがなぜ上の言葉を言わせないできたのか?
答は簡単です。健さんは、決して不器用ではないからです!
健さんのすごいところは――よく言われることですが――「高倉健」を演じることができるところです。「不器用ですから」というセリフを直接言わせなくても、そういう雰囲気をうまく演じるのはわけがない役者さんなのです。
不器用な「高倉健」を最高に演じられる健さんのどこが不器用でしょうか!
その健さんの演技者として一番器用な部分が生きているのが、この『駅 STATION』という映画だとゴウ先生は考えます。
実は、ゴウ先生、とうとうINDECに「高倉健ファンクラブINDEC支部」なるものを作ってしまったわけです。
活動目標は、高倉健出演の映画を見ることで日本人としての誇りと感性を取り戻し、正しき任侠の道を歩むことであります。
その目標に向かって邁進する記念すべき第1回例会(これをオモテの定期上映会に対して「ウラ上映会」と申します)の上映作品を、ゴウ先生が選ぶ健さん映画Best of Bestの『駅 STATION』で行くことにし、この日曜2005年3月20日夕刻に開催したのでありました。
この映画の前に、健さんは『八甲田山』(1977年)や『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)でそれまでの着流しやくざスターのイメージを変え、徐々に国民的大スターの道を歩み始めていましたが、その頂点がこの作品なのです。
そしてこの作品から得られたイメージが、冒頭のセリフを含んだCMに直接つながったことは間違いありません。(その意味では、健さんに対する偏ったイメージを植えつけた罪な映画だと言うこともできるのです。)
『駅 STATION』は、1968年の冬から1979年の正月までのたたき上げの警察官三上英次の人生をたどるのが主軸です。
健さんは倉本聡とよく組みます。この映画の前は『冬の華』。そしてTVドラマに『あにき』。この映画の後に『海へ―See You―』。特に健さん唯一のTVドラマを倉本に書かせているわけですから、相当な信頼感があったと思われます。
その信頼感に応えて、倉本はすばらしい脚本を作り上げました。
一言でいえば、倉本はこの映画において北海道の四季のような人生を描こうとしています。つまり短い夏と長くて厳しい冬から出来上がる四季です。
冒頭1968年の冬の駅における妻直子(いしだあゆみ)との別れが描かれ、信頼していた先輩(大滝秀治)の死を描きます。辛くて悲しい冬から英次の人生=季節が始まるのです。
そしてシナリオは英次の妹(古手川裕子)の幸せな結婚と殺人犯(根津甚八)の妹すず子(烏丸せつ子)の哀れな恋を対比して描くことで、短い夏を感じさせます。
そしてクライマックスは1979年の暮れから1980年の正月です。
つまりこの映画には、春もなければ秋もありません。しかも夏は、シナリオでは1976年の6月となってはいますが、描かれ方はあくまで寂しい晩夏です。木村大作のカメラが捉える北海道の自然と宇崎竜童の美しい音楽が、見るものにこれから英次に訪れるであろう苛烈な冬の季節を夏の短さから理解させるのを助けています。
そのアンバランスな芝居構成に、普通の役者さんが主演していたならば、潰されてしまっていたかもしれませんが、器用な健さんは倉本の期待に見事に応えたのでした。夏のない男を重厚に演じきっているのです。
そして、クライマックスでは、倍賞千恵子が演じる桐子との出会いと別れから、この映画が「駅」という名前のタイトルを持っていたことを痛感させます。
増毛(ましけ)は、すず子が働く風待食堂がある場所であり、3年前にその兄を逮捕するために滞在した場所です。そしてこの町は、陸の孤島であるふるさと雄冬(おふゆ)に向かう連絡船に乗るための中継地でもありました。
その増毛で足止めを食らった英次が居酒屋を営む桐子と出会うわけです。二人は恋に落ちます。
話は微妙に変わりますが、ゴウ先生はいつもこの映画の英次は何歳なのだろうと考えます。倉本のシナリオには年齢は書き込まれていません。ただし手がかりはあります。
離婚した直子との息子義高は1968年のとき4歳でした。英次はたたき上げの刑事という設定ですから、大学を出ていないと考える方が普通です。しかもメキシコ・オリンピックの射撃選手として選ばれていという設定ですから、それほど若くもないはずです。なぜなら射撃において好成績を挙げるには人間としての成熟が何より必要だからです。そして決め手となるのは、英次が1972年のミュンヘン・オリンピックまで現役でいて、1979年の時点ではそれから10年以上経っているというセリフがあることです。
以上のことから1979年暮現在の英次はどう見ても42歳より若くはない気がします。そうすると、高卒で警察官になったとすれば、24年の勤務歴があり、そろそろ自分の老後を考え始める時と重なるわけです。(ちなみに撮影当時の健さんは50歳です。)
そうなると、そこで出会った桐子は、30代後半というところでしょうか。増毛という船町で閉塞した毎日を送っている寂しい女という役どころを健さんと3度目のそして最後の共演となる倍賞千恵子が一世一代の演技で訴えます。
特に最初に英次が桐子の店に入ってくるシーンでは、温厚な演出をする降旗康男監督が相当過激なことを要求します。二人の長い掛け合いをノーカットで撮影するのです。そしてこのベテランの男優と女優はその期待に見事に応えています。短い恋が激しく燃えるキッカケとなるシーンですから、やはりこの演出法は正解でしょう。見る側にもハラハラドキドキ感が伝わるわけです。
3分以上のこのシーンをノーカットでこなす健さんのどこが不器用なのでしょうか。健さん=不器用な男と決め付ける人は、映画を見ていないノータリンであります。
このシーンにどれだけのNGがあったかゴウ先生は知りませんが、ゴウ先生の推測では一発OKだった気がします。それだけ初めて出会った男女の緊張感がしっかりと描かれているけれども、何度も撮り直した結果生じる不自然さがどこにもないからです。
そして悲劇的な結末へと向かいます。
時系列で並べるとこうです。
1979年12月30日 桐子と出会う
1979年12月31日 桐子と肉体関係を結び、紅白歌合戦を一緒に見る
1980年1月1日 桐子と初詣に行き、雄冬に帰省
1980年1月3日 雄冬から札幌に戻る途中の増毛で桐子と再会そして・・・
約束として具体的な結末は書きませんが、とにかく桐子との恋はたった5日間で終了するのです。切なすぎます。
そして英次がやはり一人になるところで映画は終わります。そしてラスト・シーンは夜の増毛駅です。同じ列車で増毛を離れ札幌に向かうすず子と同じ列車です。
最後に映し出される列車の中の健さんの顔は42歳の男の顔ではありません。5日間の激しい恋を悲劇で終わらせた老人の顔になります。役者だなあと感じ入るゴウ先生です。あの人のことだからこのシーンを撮るために前日から寝ずに目の下の隈を深くしたのだろうと想像できます。役者バカという言葉を使いたくなる瞬間です。
こうして終わるこの映画には、人生の終着駅はありません。駅はあくまで通過点なのです。増毛駅はそれから先がないどん詰まりの駅ではあるのですが、健さんはその増毛で桐子と暮らすのではなく、増毛から出て行き札幌で再び暮らす決断をします。
ところが、札幌駅はこの映画では一度も出てきません。出てきた駅は、銭函駅であれ、上砂川駅であれ、増毛駅であれ、すべて出ていくための駅なのです。それはあたかも英次の人生に穏やかな春と秋が単なる通過点としての意味しかなかったことを暗示する流れなのです。
この意味で倉本の脚本と降旗の演出は見事な融合を果たしているのでした。
ところが、ここで少しウンチクを述べさせてもらうと、倉本のオリジナル脚本では、映画のエンディングの先があるのです。
そこには早朝の札幌駅が描かれていて、列車を降り立つ英次をナント直子が待っているという設定だったのです。やっぱり人生の終着駅を描こうという意図が倉本にはあったのです。
そのエンディングを降旗が撮っていたかどうか、ゴウ先生は知りません。しかしそのエンディングがあったならば、上で述べたような深みのある映画はできなかったはずです。個人的には見たい気もしますが、ない方がよいと考えますし、撮影されなかったと想像する次第です。
ともあれ、ゴウ先生が20歳の秋にいまはなき中野駅南口前の名画座で見た映画を当時よりもおそらくよりよい画像と音質でいまは楽しめました。技術の進歩とは怖いものです。映画史上最高の挿入歌「舟歌」がドキっと迫ってきますから。
120インチの大画面をかぶりつきで味わえたINDEC会員は幸せ者です。
しかし、その会員諸君もゴウ先生からこっぴどく怒られました。感想文において、『駅 STATION』という映画を見ずして、偏見に満ち溢れた「高倉健」を語ったからです。映画を語らないのは、INDECではルール違反なのです。
どうか健さんの映画を見られる方は、健さんのシブさが健さんの卓越した演技力から生まれていることとを理解してください。そうでなければ、健さんが可哀相です。
まだまだこの映画については語りたいことがありますが、今日はこの辺で・・・。
見てくださいね。堂々のゴウ先生ランキング:A+作品ですから。
(それにしても、健さんだと力が入って、こんなに長くなってしまいました。恥ずかしい!)
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これは健さんが1980年代前半にニッセイ(日本生命)のCMに出演した時のセリフです。映画の中で使われてヒットした言葉ではありません。ゴウ先生が知る限り、健さんにこんなひどいセリフを言わせた映画の脚本家は一人もいません。その辺を誤解している一般の人が多いのには、ゴウ先生も口がアングリです。
では、健さんには不器用な男のイメージがあるのに、倉本聡を始めとした錚々たる脚本家たちがなぜ上の言葉を言わせないできたのか?
答は簡単です。健さんは、決して不器用ではないからです!
健さんのすごいところは――よく言われることですが――「高倉健」を演じることができるところです。「不器用ですから」というセリフを直接言わせなくても、そういう雰囲気をうまく演じるのはわけがない役者さんなのです。
不器用な「高倉健」を最高に演じられる健さんのどこが不器用でしょうか!
その健さんの演技者として一番器用な部分が生きているのが、この『駅 STATION』という映画だとゴウ先生は考えます。
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実は、ゴウ先生、とうとうINDECに「高倉健ファンクラブINDEC支部」なるものを作ってしまったわけです。
活動目標は、高倉健出演の映画を見ることで日本人としての誇りと感性を取り戻し、正しき任侠の道を歩むことであります。
その目標に向かって邁進する記念すべき第1回例会(これをオモテの定期上映会に対して「ウラ上映会」と申します)の上映作品を、ゴウ先生が選ぶ健さん映画Best of Bestの『駅 STATION』で行くことにし、この日曜2005年3月20日夕刻に開催したのでありました。
この映画の前に、健さんは『八甲田山』(1977年)や『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)でそれまでの着流しやくざスターのイメージを変え、徐々に国民的大スターの道を歩み始めていましたが、その頂点がこの作品なのです。
そしてこの作品から得られたイメージが、冒頭のセリフを含んだCMに直接つながったことは間違いありません。(その意味では、健さんに対する偏ったイメージを植えつけた罪な映画だと言うこともできるのです。)
『駅 STATION』は、1968年の冬から1979年の正月までのたたき上げの警察官三上英次の人生をたどるのが主軸です。
健さんは倉本聡とよく組みます。この映画の前は『冬の華』。そしてTVドラマに『あにき』。この映画の後に『海へ―See You―』。特に健さん唯一のTVドラマを倉本に書かせているわけですから、相当な信頼感があったと思われます。
その信頼感に応えて、倉本はすばらしい脚本を作り上げました。
一言でいえば、倉本はこの映画において北海道の四季のような人生を描こうとしています。つまり短い夏と長くて厳しい冬から出来上がる四季です。
冒頭1968年の冬の駅における妻直子(いしだあゆみ)との別れが描かれ、信頼していた先輩(大滝秀治)の死を描きます。辛くて悲しい冬から英次の人生=季節が始まるのです。
そしてシナリオは英次の妹(古手川裕子)の幸せな結婚と殺人犯(根津甚八)の妹すず子(烏丸せつ子)の哀れな恋を対比して描くことで、短い夏を感じさせます。
そしてクライマックスは1979年の暮れから1980年の正月です。
つまりこの映画には、春もなければ秋もありません。しかも夏は、シナリオでは1976年の6月となってはいますが、描かれ方はあくまで寂しい晩夏です。木村大作のカメラが捉える北海道の自然と宇崎竜童の美しい音楽が、見るものにこれから英次に訪れるであろう苛烈な冬の季節を夏の短さから理解させるのを助けています。
そのアンバランスな芝居構成に、普通の役者さんが主演していたならば、潰されてしまっていたかもしれませんが、器用な健さんは倉本の期待に見事に応えたのでした。夏のない男を重厚に演じきっているのです。
そして、クライマックスでは、倍賞千恵子が演じる桐子との出会いと別れから、この映画が「駅」という名前のタイトルを持っていたことを痛感させます。
増毛(ましけ)は、すず子が働く風待食堂がある場所であり、3年前にその兄を逮捕するために滞在した場所です。そしてこの町は、陸の孤島であるふるさと雄冬(おふゆ)に向かう連絡船に乗るための中継地でもありました。
その増毛で足止めを食らった英次が居酒屋を営む桐子と出会うわけです。二人は恋に落ちます。
話は微妙に変わりますが、ゴウ先生はいつもこの映画の英次は何歳なのだろうと考えます。倉本のシナリオには年齢は書き込まれていません。ただし手がかりはあります。
離婚した直子との息子義高は1968年のとき4歳でした。英次はたたき上げの刑事という設定ですから、大学を出ていないと考える方が普通です。しかもメキシコ・オリンピックの射撃選手として選ばれていという設定ですから、それほど若くもないはずです。なぜなら射撃において好成績を挙げるには人間としての成熟が何より必要だからです。そして決め手となるのは、英次が1972年のミュンヘン・オリンピックまで現役でいて、1979年の時点ではそれから10年以上経っているというセリフがあることです。
以上のことから1979年暮現在の英次はどう見ても42歳より若くはない気がします。そうすると、高卒で警察官になったとすれば、24年の勤務歴があり、そろそろ自分の老後を考え始める時と重なるわけです。(ちなみに撮影当時の健さんは50歳です。)
そうなると、そこで出会った桐子は、30代後半というところでしょうか。増毛という船町で閉塞した毎日を送っている寂しい女という役どころを健さんと3度目のそして最後の共演となる倍賞千恵子が一世一代の演技で訴えます。
特に最初に英次が桐子の店に入ってくるシーンでは、温厚な演出をする降旗康男監督が相当過激なことを要求します。二人の長い掛け合いをノーカットで撮影するのです。そしてこのベテランの男優と女優はその期待に見事に応えています。短い恋が激しく燃えるキッカケとなるシーンですから、やはりこの演出法は正解でしょう。見る側にもハラハラドキドキ感が伝わるわけです。
3分以上のこのシーンをノーカットでこなす健さんのどこが不器用なのでしょうか。健さん=不器用な男と決め付ける人は、映画を見ていないノータリンであります。
このシーンにどれだけのNGがあったかゴウ先生は知りませんが、ゴウ先生の推測では一発OKだった気がします。それだけ初めて出会った男女の緊張感がしっかりと描かれているけれども、何度も撮り直した結果生じる不自然さがどこにもないからです。
そして悲劇的な結末へと向かいます。
時系列で並べるとこうです。
1979年12月30日 桐子と出会う
1979年12月31日 桐子と肉体関係を結び、紅白歌合戦を一緒に見る
1980年1月1日 桐子と初詣に行き、雄冬に帰省
1980年1月3日 雄冬から札幌に戻る途中の増毛で桐子と再会そして・・・
約束として具体的な結末は書きませんが、とにかく桐子との恋はたった5日間で終了するのです。切なすぎます。
そして英次がやはり一人になるところで映画は終わります。そしてラスト・シーンは夜の増毛駅です。同じ列車で増毛を離れ札幌に向かうすず子と同じ列車です。
最後に映し出される列車の中の健さんの顔は42歳の男の顔ではありません。5日間の激しい恋を悲劇で終わらせた老人の顔になります。役者だなあと感じ入るゴウ先生です。あの人のことだからこのシーンを撮るために前日から寝ずに目の下の隈を深くしたのだろうと想像できます。役者バカという言葉を使いたくなる瞬間です。
こうして終わるこの映画には、人生の終着駅はありません。駅はあくまで通過点なのです。増毛駅はそれから先がないどん詰まりの駅ではあるのですが、健さんはその増毛で桐子と暮らすのではなく、増毛から出て行き札幌で再び暮らす決断をします。
ところが、札幌駅はこの映画では一度も出てきません。出てきた駅は、銭函駅であれ、上砂川駅であれ、増毛駅であれ、すべて出ていくための駅なのです。それはあたかも英次の人生に穏やかな春と秋が単なる通過点としての意味しかなかったことを暗示する流れなのです。
この意味で倉本の脚本と降旗の演出は見事な融合を果たしているのでした。
ところが、ここで少しウンチクを述べさせてもらうと、倉本のオリジナル脚本では、映画のエンディングの先があるのです。
そこには早朝の札幌駅が描かれていて、列車を降り立つ英次をナント直子が待っているという設定だったのです。やっぱり人生の終着駅を描こうという意図が倉本にはあったのです。
そのエンディングを降旗が撮っていたかどうか、ゴウ先生は知りません。しかしそのエンディングがあったならば、上で述べたような深みのある映画はできなかったはずです。個人的には見たい気もしますが、ない方がよいと考えますし、撮影されなかったと想像する次第です。
ともあれ、ゴウ先生が20歳の秋にいまはなき中野駅南口前の名画座で見た映画を当時よりもおそらくよりよい画像と音質でいまは楽しめました。技術の進歩とは怖いものです。映画史上最高の挿入歌「舟歌」がドキっと迫ってきますから。
120インチの大画面をかぶりつきで味わえたINDEC会員は幸せ者です。
しかし、その会員諸君もゴウ先生からこっぴどく怒られました。感想文において、『駅 STATION』という映画を見ずして、偏見に満ち溢れた「高倉健」を語ったからです。映画を語らないのは、INDECではルール違反なのです。
どうか健さんの映画を見られる方は、健さんのシブさが健さんの卓越した演技力から生まれていることとを理解してください。そうでなければ、健さんが可哀相です。
まだまだこの映画については語りたいことがありますが、今日はこの辺で・・・。
見てくださいね。堂々のゴウ先生ランキング:A+作品ですから。
(それにしても、健さんだと力が入って、こんなに長くなってしまいました。恥ずかしい!)
INDEC新入会員募集中!INDEC公式ホームページへどうぞ!
先生が時系列で並べってくださった、桐子との出会いから別れまでの展開が、5日間という短い期間であったということは改めて驚きました。映画のなかで最も劇的に描かれていた部分がたった5日間の出来事であったとは、改めて切ない思いが立ちこめてきます。主役である高倉健さんはじめ、脚本の倉本聡さん、降旗康男監督、映画制作者たちの練り上げられた結果が大きなドラマを生み出しているのだと思います。映画として見なければ分からない部分が多いことに気付きました。「映画を見る目」を日々養いたい所存です。
感動しました。
本当に幸せだと思います。
何よりもゴウ先生の健さんに対する愛情が感じられるのが素敵ですね。
私も先月この作品を改めて見ましたが、
数々の情景と音楽。そして名台詞の数々・・・。
何度見ても桐子の店のブロックは感激します。
あーあんな飲み屋で大晦日に紅白見て熱燗を・・・。夢ですね。
健さんがいる限り、日本は不滅ですから。
自分に厳しく不器用に生きる英次の姿に感動いたしました。
先生の仰るように、短い夏と長く厳しい冬という北海道の四季のような人生とはまことにその通りだと思います。
しかも最後のシーンで切なくなるのは、英次には終着駅がないということが画面に映し出されていたからだったんですね。
映画を観ずして健さんを語ってしまい申し訳ありませんでした。
健さんのうまさが不器用な「高倉健」を演じることができることだと気がつかず、思い込みでしか見ていなかったことも反省いたしました。
映画を思い込みでく、感じて、自分の言葉で表現できるようになりたいと思います。
ご上映有り難うございました。
高倉健さんご出演の作品を観ることが出来た事に舞い上がってしまい、映画そのものを観る目を失ってしまっておりました。誠に申し訳ございませんでした。
複合芸術である映画を楽しむには、俳優だけでなく、脚本、撮影、音楽等を総合的に感じなければなりませんでした。
映画のみならず、全てのものをフェアな視点で捉える力を養いたいです。
本当に素晴らしい作品を上映頂きまして誠にありがとうございました。
「駅 STASION」でしたが、ずっと忘れられない映画でした。
なぜ、あんなに印象が強かったのか
ゴウ先生の記事を読み、納得した次第です。
あーあの居酒屋の、健さんにもたれながら観る「舟歌」。
あのシーンが私の「大人の憧れ」でした。
先日、何気なく行った立ち寄った町で見つけた「風待食堂」の看板。思いは一気に20年前へ。
そこは「増毛町」だったのです。
興奮気味に「駅 STATION」の思い出を語る私に
店(観光案内所)の人は「若いのにめずらしいね~」と。
ちなみに46ですが。
あれからずっと「高倉健とはなんぞや?」を
考え続けています。
私にとって「高倉健」は「固有名詞」ではなく
「動詞」であるのです。
すてきな記事をありがとうございました。
正月を故郷雄冬で過ごした三上が、札幌に戻ろうとする列車の車中で、「拝啓・太田黒本部長様」の書き出しで始まる辞表を朗読します。(留萌本線の車窓映像に、voice off で挿入されます)
結果的にこの辞表は、映画のラストで増毛駅のストーブへ破り捨てられるのですが、この中で「24年間の警察人生は、小生の青春でありました。殊に、栄えあるオリンピックの舞台を踏むことができたのは(中略)~今後も警察官であったことを誇りに、歩んでゆく所存です」・・・といったくだりが含まれていたように記憶しています。
小生も、三上は高卒で任官したと思います。したがって、1979年の時点で、やはり42~3歳であったと考えます
「駅station」は、年の暮れになると、無性に観たくなる作品です。高倉健さんの出演作の中でも、最高傑作ではないかと思われます。もちろん、邦画史上屈指の名作であることも信じて疑いません。
居酒屋の長回しシーンとしては「海峡」の吉永小百合さんとの場面も忘れ難いのですが、「活きの良さ/リアリティー」という観点で、やはり 倍賞千恵子さんとのシーンに軍配が上がるように思います
この情報が健さんのお耳に届いて一村さんの絵を見に来てくれたらいいなとの思いで書きました。