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将棋の石橋幸緒女流プロ、麻雀のプロにも

2007年11月02日 06時59分15秒 | 時事放談: 国内編
いやあ、この貪欲な向上心、頭が下がります。

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女流棋士が麻雀のプロに…落語も書道もスゴ腕・石橋幸緒女流4段

 将棋の石橋幸緒女流4段(26)=日本女子プロ将棋協会=が、このほど競技マージャン選手の試験に合格、9月1日付で女流ツアー選手として登録され、活躍の場を広げていくことが分かった。生まれてすぐに腸閉塞(へいそく)を患い、今も定期的に病院へ通う石橋さんだが、将棋のほかに落語、書道もプロ級。そして次はマージャン。二足のわらじにとどまらず、多彩な女流4段の「どんだけ~」な素顔に迫る。

 ―いつからマージャンを?

「実は家族の影響で4歳のころから。病院から家に戻って、大人たちのひざに乗っかって、見ているだけで、自然に牌(ぱい)の柄や読み方など覚えましたね」

 未熟児で生まれ腸閉塞を患っていた。医師から「長くは生きられないかもしれない」と両親は宣告を受けていたという。大手術を繰り返し、幼少時代は、難病患者を専門に扱う小児病院のベッドで過ごした。週末だけ許可が出て家に帰る。近所のおじさんたちが遊びに来て楽しそうに卓を囲んでいた。マージャンは、石橋にとってある意味、和やかな日常を連想させるものなのかもしれない。

 ―将棋より早い。

「そうですね、将棋は養護学校の小学部3年生(8歳)のときですから。競技マージャンも禁煙、禁酒、禁賭け。攻める、引くのタイミングの見きわめは将棋と通じるものがあります。読みと現実のギャップが面白い」

 12歳で将棋の女流プロに。18歳で初タイトルを獲得する。その才能は多彩だ。落語もたしなみ「びしばし亭さちお」の名で将棋寄席で人気を博す。書道は「石橋開雲」と号し、師範級の腕前だ。そして今度は競技マージャン。なにが駆り立てるのか。

 ―のめり込むタイプ?

「そう。でも、ひとつに精通するのは大事ですが、そこだけの感覚だけじゃ通用しないと思っています。将棋にしてもマージャンにしても、あまりなじみがない女性や子供たちに、自分の活動を通じて、魅力を伝えていきたい。だから広く一般に受け入れられるよう、常に幅広い視点を持っていたいんです」

 今でも定期的に病院へ通う。地方で対局があるときは、体調を崩しても対応できるように、地元の病院にあらかじめ連絡をつけておく。日本将棋連盟から独立して新法人を立ち上げる際は、体調のことは構わず準備委員として奔走。いつも何かへ進み続ける。人生の座右の銘は「万物生きてこそ光り輝く」―。

 ◇石橋 幸緒(いしばし・さちお)1980年11月25日、東京・小平市生まれ。体が弱く通院や食事制限もあったため、都立小平養護学校~都立北養護学校。8歳の時に病院の近くに将棋教室を見つけ、点滴をしながら通う。師匠は清水市代2冠。99年女流王将で初タイトル。今期は15勝5敗。11月5日、師匠清水に挑む女流王位戦第5局を控える。

◆他分野から初 ギャンブルではなく競技として戦う「麻将連合μ(ミュー)」の女流ツアー選手は、現在、石橋さんも含めて7人(うち1人はツアープロ)いる。いわば女流ツアー選手とはプロの卵。筆記試験や実技、面接などの審査に合格すると、公式戦にツアー選手扱いで参加できる女流ツアー選手に。2年間の研修と公式戦で実績を残すとプロに認定。ちなみに他分野のプロは石橋さんが初めて。

同連合を主宰する井出洋介プロによると、最近の人気の傾向として、高齢者の娯楽「健康マージャン」、店で客と卓を囲む女性の新職業「雇用マージャン」、インターネットの普及で気軽に戦える「ネットマージャン」の新展開が大きいという。

(2007年10月30日06時06分 スポーツ報知)

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将棋の女流プロは、本当に生活するのが大変だとか。その中でこのような前向きな発想、すごいことです。

人生を一本の単線で生きるのではなく、何本もの複線で生きる。こんな考えをこの若さで考えられる。石橋プロに拍手です。

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