健さんに文化功労賞が授与されることになりました。映画俳優としては初の受賞だとか。大したものです。そこで関連情報を記録しておくことにします。
まずは、文化勲章と文化功労賞をどんな顔ぶれが受賞しているのかチェックしてみましょう。
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寂聴さんら5人文化勲章、文化功労者は健さんら15人
政府は27日、2006年度の文化勲章受章者5人と文化功労者15人を発表した。
文化勲章受章者には、高温工学・溶接工学の荒田吉明(82)、日本画の大山忠作(84)、日本経済論の篠原三代平(87)、小説家の瀬戸内寂聴(84)、音楽評論の吉田秀和(93)の5氏が選ばれた。
一方、文化功労者には流体工学の伊藤英覚(82)、映画俳優の高倉健(75)、地球物理学の金森博雄(70)、オペラ演出の栗山昌良(80)、建築の黒川紀章(72)、東洋史学の斯波義信(76)、書の高木聖鶴(83)、舞台美術の朝倉摂(84)、神経科学の中西重忠(64)、歌舞伎の中村芝翫(78)、経済理論・経済学説史の根岸隆(73)、小説の丸谷才一(81)、分子生物学・学術振興の松原謙一(72)、情報技術・技術経営の森健一(68)、劇作・評論の山崎正和(72)の各氏が選ばれた。
高倉氏は、映画俳優の分野で初めての文化功労者。文化勲章の「高温工学・溶接工学」「音楽評論」、文化功労者の「流体工学」「オペラ演出」「舞台美術」「情報技術・技術経営」の分野からも初めて。
文化勲章受章者の平均年齢は86・0歳で、ここ10年で最も高かった。また、文化功労者の平均年齢は75・3歳だった。
文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同月6日に都内のホテルで、それぞれ開かれる。
(2006年10月27日13時4分 読売新聞)
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すごい面子です。健さんへの評価の高さが分かり、ファンとしては嬉しい限りです。
それでは、どんな反応を健さんが示したか、スポーツ新聞の記事を読み比べてみましょう。
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健さん映画俳優初の文化功労者に(日刊スポーツ) - goo ニュース
2006年10月28日(土)09:20
高倉健さん(75)が映画俳優として初めて文化功労者に選ばれた。文化の発展に尽くした本年度の文化勲章受章者と文化功労者が27日、発表された。健さんは任侠(にんきょう)映画で一躍スターとなり、その後も「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」「鉄道員」など名作映画に主演し、今年で俳優生活50周年を迎えた。映画にこだわり、時代を超えて多くの観客の心を揺さぶり続けた生きざまが高く評価された。文化勲章は小説家の瀬戸内寂聴さん(84)らが受章。
文化功労者の報を聞いたリアクションは、万事に控えめな健さんらしいものだった。「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と漏らし、会見など公に出ることを控えたという。喜びのコメントも「最後の映画スター」と呼ばれる男らしいものだった。「映画俳優という職業を認めていただけたこと、うれしく思います」。
文化功労者は昨年の長嶋茂雄さんら各分野の第一人者が選ばれてきた。映画界からも木下恵介監督、市川崑監督、新藤兼人監督、山田洋次監督ら巨匠、名匠が名を連ねている。映画出身の俳優も森光子さん、森繁久弥さんらがいるが、デビュー以来、スクリーンにこだわり続けた「映画俳優」という位置づけでは初めてのこと。
健さんは「今日まで続けてこられて本当によかったと思えることが、最近になって次々に起きます。不器用な自分が映画俳優という仕事を通じて、すてきな人たちに出会うことができました。大勢の映画関係者や支え続けてくださったみなさまに深く感謝申し上げます。自分の信じる道をこれからも歩み続けます」とコメントしている。
商社マンを志したが、映画関係者に誘われて俳優の道に進んだ。東映からデビューし、60年代に任侠(にんきょう)映画で一時代を築いた。「俳優という職業をきちんと認めてほしい」という気持ちでフリーになった。77年「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」で新境地を切り開き、映画界を代表する俳優となった。
国境を越えた活躍も続けている。70年「燃える戦場」でハリウッドに進出。今年公開の「単騎、千里を走る。」で初めて中国映画にも主演。半世紀を迎えてなお、スクリーンへの情熱に衰えはみられない。
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銀幕に新風!高倉健が文化功労者に…映画俳優から初選出(サンケイスポーツ) - goo ニュース
2006年10月28日(土)03:19
今年度の文化勲章と文化功労者が27日、発表された。文化功労者には、映画俳優としては初めて、高倉健(75)が選出された。健さんは、204本の映画で演じてきた寡黙で筋の通った男の生き方そのままに、「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と漏らし、会見など前面に出ることを避けた。自称“不器用な男”は「自分の信じる道を、これからも歩み続けます」と決意を新たにしている。
筋の通った生き方。だが、自己を無用に主張しない。演じてきた役のイメージか、本人の性格なのか。判別がつかないほどの強烈な印象をスクリーンからわれわれに与え続ける健さんは、文化功労者の選出を静かに受け止めている。
事務所を通じ、マスコミ各社に寄せた文書の始まりは「映画俳優としては、初めての顕彰と伺いました。映画俳優という職業を認めていただけたこと、嬉しく思います」。何事にも控えめな健さん。今回の顕彰にもためらいがあったようだが、自分をはぐくんでくれた映画界への感謝、さらに、後に続く映画俳優たちの励みになればと受けた。
今年はデビューからちょうど50年。出演作は昭和31年「電光空手打ち」から、今年1月公開の「単騎、千里を走る。」まで204本を数える。長年、第一線で活躍、寡黙と剛直さを兼ね備えた個性を独自の魅力に高め、日本映画に新生面を開いたとの理由で選出された。
どの作品でも、観客がほれ込む理想の日本人男性像の一つを担ってきたが、健さん本人にとって思い出深いのは「今日まで続けてこられて本当によかったと思えることが、最近になって次々に起きます」とつづったチャン・イーモウ監督の「単騎-」だ。
「志低く、不器用な自分が、映画俳優という、この仕事を通して、別れに涙するほど、素敵な人たちに出逢うこともできました。過分な感動をいただきました」。一昨年11月から2カ月間、中国ロケにたったひとりの日本人俳優として参加した同作は、余命少ない息子のため、中国にわたった父親と現地の人々との交流の物語。中国人スタッフや共演者、ロケ地の地元住民と心の交流をはかり、クランクアップには涙を流すほどのきずなが生まれた作品だ。
最後の一文、「自分の信じる道を、これからも歩み続けます」に決意を込めた。言葉少なく、その代わり、スクリーンに映る全身で冗舌に語る。これからも、そんな“高倉健スタイル”で演じ続ける。
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高倉健 映画俳優初の文化功労者(スポーツニッポン) - goo ニュース
2006年10月28日(土)06:13
本年度の文化勲章・文化功労者が27日、発表された。文化勲章は小説家の瀬戸内寂聴さん(84)ら5人が受章。文化功労者には俳優の高倉健(75)、歌舞伎俳優の中村芝翫=しかん=(78)、建築家の黒川紀章氏(72)ら15人が選出された。映画俳優としては初の文化功労者となった高倉は「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などは行わず、寡黙な男を貫いた。
1955年のデビューから、半世紀以上にわたって日本映画界をけん引してきた高倉。関係者によると、映画俳優で初となる文化功労者の知らせを聞いた時は「責任が重いな…」とつぶやいたという。
また、文書でコメントを発表し「映画俳優という職業を認めていただけたこと、嬉(うれ)しく思います。きょうまで続けてこられて本当に良かったと思えることが、最近になって次々起きます。不器用な自分が映画俳優という、この仕事を通して、別れに涙するほど、素敵な人たちに出逢(あ)うこともできました。自分の信じる道を、これからも歩み続けます」とつづった。
日本を代表する名優でありながら、84年に放送された日本生命のCMでのセリフ「不器用ですから」が代名詞になるぐらい、晴れがましい場所が苦手。昨年は出演の中国映画「単騎、千里を走る。」が東京国際映画祭に招待され、チャン・イーモウ監督に敬意を表してレッドカーペットを歩いたが、「もう2度とやりたくない」と苦笑い。今回の文化功労者にも「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などで前面に出ることを避けた。
故江利チエミ夫人の墓参は毎年欠かさず、今年8月には「網走番外地」で世話になった石井輝男監督の墓に「安らかに」の墓碑を贈るなど義理人情に厚い素顔。
デビューから出演作は204本。任侠映画で国民的人気を博し、寡黙で筋の通った日本人男性の理想像に観客はほれ込んだ。「単騎…」では中国人スタッフ、現地の出演者らと心を通わせながら映画を作り上げ、国際的にも活躍した。
◆高倉 健(たかくら・けん)1931年(昭6)2月16日、福岡県生まれの75歳。明大商学部卒業後、東映入社。「網走番外地」シリーズ、「日本任侠伝」シリーズ、「昭和残侠伝」「八甲田山」「南極物語」「鉄道員」と邦画史に残るヒット作品を生み出した。98年紫綬褒章。99年「鉄道員」でモントリオール国際映画祭主演男優賞受賞。血液型B。
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というわけで、健さんらしい控えめな対応です。そこで、ここに引用した記事をもとに健さんのプレス・リリース・コメントを再現したいと思ったのですが、各記事バラバラのことばかりを言っていて、どれが健さんが本当に言ったのか分からず、断念してしまいました。
どこかコメントを直接載せている記事はないものでしょうか?
気になるのが、11月6日都内某ホテルにて開かれるという文化功労賞の授与式。当日そこに健さんが現れるのは間違いありません。ゴウ先生、調べて行ってみたくなりました(行かないでしょうが)。
ともあれ、健さん、おめでとうございました。これからの更なるご活躍を祈念しております。
まずは、文化勲章と文化功労賞をどんな顔ぶれが受賞しているのかチェックしてみましょう。
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寂聴さんら5人文化勲章、文化功労者は健さんら15人
政府は27日、2006年度の文化勲章受章者5人と文化功労者15人を発表した。
文化勲章受章者には、高温工学・溶接工学の荒田吉明(82)、日本画の大山忠作(84)、日本経済論の篠原三代平(87)、小説家の瀬戸内寂聴(84)、音楽評論の吉田秀和(93)の5氏が選ばれた。
一方、文化功労者には流体工学の伊藤英覚(82)、映画俳優の高倉健(75)、地球物理学の金森博雄(70)、オペラ演出の栗山昌良(80)、建築の黒川紀章(72)、東洋史学の斯波義信(76)、書の高木聖鶴(83)、舞台美術の朝倉摂(84)、神経科学の中西重忠(64)、歌舞伎の中村芝翫(78)、経済理論・経済学説史の根岸隆(73)、小説の丸谷才一(81)、分子生物学・学術振興の松原謙一(72)、情報技術・技術経営の森健一(68)、劇作・評論の山崎正和(72)の各氏が選ばれた。
高倉氏は、映画俳優の分野で初めての文化功労者。文化勲章の「高温工学・溶接工学」「音楽評論」、文化功労者の「流体工学」「オペラ演出」「舞台美術」「情報技術・技術経営」の分野からも初めて。
文化勲章受章者の平均年齢は86・0歳で、ここ10年で最も高かった。また、文化功労者の平均年齢は75・3歳だった。
文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同月6日に都内のホテルで、それぞれ開かれる。
(2006年10月27日13時4分 読売新聞)
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すごい面子です。健さんへの評価の高さが分かり、ファンとしては嬉しい限りです。
それでは、どんな反応を健さんが示したか、スポーツ新聞の記事を読み比べてみましょう。
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健さん映画俳優初の文化功労者に(日刊スポーツ) - goo ニュース
2006年10月28日(土)09:20
高倉健さん(75)が映画俳優として初めて文化功労者に選ばれた。文化の発展に尽くした本年度の文化勲章受章者と文化功労者が27日、発表された。健さんは任侠(にんきょう)映画で一躍スターとなり、その後も「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」「鉄道員」など名作映画に主演し、今年で俳優生活50周年を迎えた。映画にこだわり、時代を超えて多くの観客の心を揺さぶり続けた生きざまが高く評価された。文化勲章は小説家の瀬戸内寂聴さん(84)らが受章。
文化功労者の報を聞いたリアクションは、万事に控えめな健さんらしいものだった。「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と漏らし、会見など公に出ることを控えたという。喜びのコメントも「最後の映画スター」と呼ばれる男らしいものだった。「映画俳優という職業を認めていただけたこと、うれしく思います」。
文化功労者は昨年の長嶋茂雄さんら各分野の第一人者が選ばれてきた。映画界からも木下恵介監督、市川崑監督、新藤兼人監督、山田洋次監督ら巨匠、名匠が名を連ねている。映画出身の俳優も森光子さん、森繁久弥さんらがいるが、デビュー以来、スクリーンにこだわり続けた「映画俳優」という位置づけでは初めてのこと。
健さんは「今日まで続けてこられて本当によかったと思えることが、最近になって次々に起きます。不器用な自分が映画俳優という仕事を通じて、すてきな人たちに出会うことができました。大勢の映画関係者や支え続けてくださったみなさまに深く感謝申し上げます。自分の信じる道をこれからも歩み続けます」とコメントしている。
商社マンを志したが、映画関係者に誘われて俳優の道に進んだ。東映からデビューし、60年代に任侠(にんきょう)映画で一時代を築いた。「俳優という職業をきちんと認めてほしい」という気持ちでフリーになった。77年「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」で新境地を切り開き、映画界を代表する俳優となった。
国境を越えた活躍も続けている。70年「燃える戦場」でハリウッドに進出。今年公開の「単騎、千里を走る。」で初めて中国映画にも主演。半世紀を迎えてなお、スクリーンへの情熱に衰えはみられない。
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銀幕に新風!高倉健が文化功労者に…映画俳優から初選出(サンケイスポーツ) - goo ニュース
2006年10月28日(土)03:19
今年度の文化勲章と文化功労者が27日、発表された。文化功労者には、映画俳優としては初めて、高倉健(75)が選出された。健さんは、204本の映画で演じてきた寡黙で筋の通った男の生き方そのままに、「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と漏らし、会見など前面に出ることを避けた。自称“不器用な男”は「自分の信じる道を、これからも歩み続けます」と決意を新たにしている。
筋の通った生き方。だが、自己を無用に主張しない。演じてきた役のイメージか、本人の性格なのか。判別がつかないほどの強烈な印象をスクリーンからわれわれに与え続ける健さんは、文化功労者の選出を静かに受け止めている。
事務所を通じ、マスコミ各社に寄せた文書の始まりは「映画俳優としては、初めての顕彰と伺いました。映画俳優という職業を認めていただけたこと、嬉しく思います」。何事にも控えめな健さん。今回の顕彰にもためらいがあったようだが、自分をはぐくんでくれた映画界への感謝、さらに、後に続く映画俳優たちの励みになればと受けた。
今年はデビューからちょうど50年。出演作は昭和31年「電光空手打ち」から、今年1月公開の「単騎、千里を走る。」まで204本を数える。長年、第一線で活躍、寡黙と剛直さを兼ね備えた個性を独自の魅力に高め、日本映画に新生面を開いたとの理由で選出された。
どの作品でも、観客がほれ込む理想の日本人男性像の一つを担ってきたが、健さん本人にとって思い出深いのは「今日まで続けてこられて本当によかったと思えることが、最近になって次々に起きます」とつづったチャン・イーモウ監督の「単騎-」だ。
「志低く、不器用な自分が、映画俳優という、この仕事を通して、別れに涙するほど、素敵な人たちに出逢うこともできました。過分な感動をいただきました」。一昨年11月から2カ月間、中国ロケにたったひとりの日本人俳優として参加した同作は、余命少ない息子のため、中国にわたった父親と現地の人々との交流の物語。中国人スタッフや共演者、ロケ地の地元住民と心の交流をはかり、クランクアップには涙を流すほどのきずなが生まれた作品だ。
最後の一文、「自分の信じる道を、これからも歩み続けます」に決意を込めた。言葉少なく、その代わり、スクリーンに映る全身で冗舌に語る。これからも、そんな“高倉健スタイル”で演じ続ける。
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高倉健 映画俳優初の文化功労者(スポーツニッポン) - goo ニュース
2006年10月28日(土)06:13
本年度の文化勲章・文化功労者が27日、発表された。文化勲章は小説家の瀬戸内寂聴さん(84)ら5人が受章。文化功労者には俳優の高倉健(75)、歌舞伎俳優の中村芝翫=しかん=(78)、建築家の黒川紀章氏(72)ら15人が選出された。映画俳優としては初の文化功労者となった高倉は「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などは行わず、寡黙な男を貫いた。
1955年のデビューから、半世紀以上にわたって日本映画界をけん引してきた高倉。関係者によると、映画俳優で初となる文化功労者の知らせを聞いた時は「責任が重いな…」とつぶやいたという。
また、文書でコメントを発表し「映画俳優という職業を認めていただけたこと、嬉(うれ)しく思います。きょうまで続けてこられて本当に良かったと思えることが、最近になって次々起きます。不器用な自分が映画俳優という、この仕事を通して、別れに涙するほど、素敵な人たちに出逢(あ)うこともできました。自分の信じる道を、これからも歩み続けます」とつづった。
日本を代表する名優でありながら、84年に放送された日本生命のCMでのセリフ「不器用ですから」が代名詞になるぐらい、晴れがましい場所が苦手。昨年は出演の中国映画「単騎、千里を走る。」が東京国際映画祭に招待され、チャン・イーモウ監督に敬意を表してレッドカーペットを歩いたが、「もう2度とやりたくない」と苦笑い。今回の文化功労者にも「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などで前面に出ることを避けた。
故江利チエミ夫人の墓参は毎年欠かさず、今年8月には「網走番外地」で世話になった石井輝男監督の墓に「安らかに」の墓碑を贈るなど義理人情に厚い素顔。
デビューから出演作は204本。任侠映画で国民的人気を博し、寡黙で筋の通った日本人男性の理想像に観客はほれ込んだ。「単騎…」では中国人スタッフ、現地の出演者らと心を通わせながら映画を作り上げ、国際的にも活躍した。
◆高倉 健(たかくら・けん)1931年(昭6)2月16日、福岡県生まれの75歳。明大商学部卒業後、東映入社。「網走番外地」シリーズ、「日本任侠伝」シリーズ、「昭和残侠伝」「八甲田山」「南極物語」「鉄道員」と邦画史に残るヒット作品を生み出した。98年紫綬褒章。99年「鉄道員」でモントリオール国際映画祭主演男優賞受賞。血液型B。
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というわけで、健さんらしい控えめな対応です。そこで、ここに引用した記事をもとに健さんのプレス・リリース・コメントを再現したいと思ったのですが、各記事バラバラのことばかりを言っていて、どれが健さんが本当に言ったのか分からず、断念してしまいました。
どこかコメントを直接載せている記事はないものでしょうか?
気になるのが、11月6日都内某ホテルにて開かれるという文化功労賞の授与式。当日そこに健さんが現れるのは間違いありません。ゴウ先生、調べて行ってみたくなりました(行かないでしょうが)。
ともあれ、健さん、おめでとうございました。これからの更なるご活躍を祈念しております。
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