毎日新聞が、高倉健さんのインタビュー記事を載せています。記録しておきましょう。
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特集ワイド:高倉健さん&近藤勝重・専門編集委員対談/上 あなたへ、想い届けたい
毎日新聞 2012年07月18日 東京夕刊
◇諸行無常強く感じた「8.15」と「3.11」
日本を代表する映画俳優、高倉健さん(81)が6年ぶりに映画に出演する。妻の遺骨を遺言通り故郷の海に散骨しに行く刑務官を描いた「あなたへ」(降旗康男監督、8月25日公開)。東日本大震災の後に撮影が始まったこの新作に、高倉さんはどんな思いを込めたのか。高倉さんと、高倉さんの映画を見続けてきた近藤勝重・専門編集委員が語り合った。【構成・小国綾子】
近藤 映画「あなたへ」を試写で拝見しました。優しい、いい映画でした。映画のキャッチコピーは「大切な想(おも)い 大切な人に 届いていますか」。大震災の後、日本人にとってはいろいろと思うところのある言葉だと思います。3・11後の日本をどんなふうに見ていますか。
高倉 あの震災の日、少年時代に体験した1945年8月15日がよみがえった思いでした。疎開先で学徒動員に駆り出されていた僕は、貨車から石炭を降ろす仕事をさせられていたんです。なぜか終戦のあの日はそれがお休みで、仲間と近くの寺の池で泳いでいたら、天皇陛下のお言葉があるらしい、と聞いて。あわてて寺の本堂に駆けつけたら、大人はもう泣いていた。「日本は戦争に負けた」と。
あの日のショックと似た衝撃を、大震災の日にも感じました。信じていたものが崩れていく。これからいったい何が起こるのか。日本はどうなるのか……。本当に諸行無常。ここまで強くそれを感じたのは、終戦の日と大震災の日だけです。
近藤 大震災の1枚の写真との出会いで、映画に対する気持ちが入ったそうですね。気仙沼のがれきの中、給水所でもらった水を運ぶ少年の写真。口元をきりりと結んだ表情が印象的でした。
高倉 少年が「絶対に負けない」と全身で私に訴えてくるようでした。この写真を映画の台本の裏表紙に貼り付けました。
近藤 写真が、背中を押してくれた、と。
高倉 むしろ、背中に蹴りを入れられた感じ。強烈でした。ただ、後悔もしています。僕がこの話をメディアにしたため、少年はメディアに注目されてしまった。悪いことをしてしまった。いつか謝りに行かないと、といつも思っています。
近藤 「あなたへ」は、映画「単騎、千里を走る。」(張芸謀(チャンイーモウ)監督、2006年)から6年ぶりの映画出演です。
高倉 なぜ長い間仕事をしなかったのか……。俳優になって五十数年がたって、幸運なことに、僕は日本で一番高いギャランティーを取る俳優になったりして、えらそうなことを言うようになっていました。でも中国で、いろいろな出会いがありましてね。
中国で撮影中、僕の部屋の担当になってくれたヤンちゃんという女の子がいました。少数民族の白(パイ)族の子でね、かわいがっていたんです。旧正月も近い2月、いよいよ撮影が終わるって頃になって、ヤンちゃんが中国語で何やら訴えてきた。通訳に聞いたら、「私のお父さんとお母さんが、娘を大事にしてくれた人なんだから、今度のお正月に3年育てた豚を絞めて、ぜひ健さんにごちそうしたい、と言っている」というのです。
驚きました。こんな心のこもった招待なんて、生涯受けたことはないと思いました。ところが周囲は「行かないほうがいい」というふうに、心配そうに見ている。なんだか、日本は、いろいろなものを失ってしまったんだなあ、と思いました。
近藤 日本人が失ったものを、中国で見つけたのですね。
高倉 助監督の蒲倫(プールン)さんからは、日記をいただきました。最初のページには「健さんのために書いた日記です」と書かれていました。撮影中の僕の行動の記録でした。時には、あまりに疲れて2日間書けず、「健さん、申し訳ありません、疲れて書けませんでした」などと書いてある。眠い目をこすり、疲れた体にむち打って、書いてくれたんですね。撮影の最後には、スタッフ全員から寄せ書きもいただきました。
想いを届けるということがどういうことなのか、中国のロケで教えられました。日本では、お礼といえばモノを買っておしまい、というのが当たり前なのに。もう参りました、って感じです。そんなことをつらつらと考え始めたら、ぱたっと仕事ができなくなっちゃったんですね。
近藤 健さんは、ポルトガルにもこだわってますね。「あなたへ」では、ポルトガルなど南蛮貿易の港だった長崎県の平戸が大切な舞台です。
高倉 因縁ですねえ。休暇をもらってヨーロッパに行って良いと言われたら、ポルトガルに行きたいですね。日本人は、フランスやイタリアには皆行きます。でも僕は若い人に必ず言うのです。ポルトガルに行きなさい、ってね。
仕事でポルトガルに行った時、食事に誘っても、運転手さんがなかなか一緒に食べようとしない。どうしてだろう、と彼が一人で食べているところを見に行ったら、それはぜいたくな食事でしてね。食前酒を飲み、お魚を注文し、白ワインを飲んで、食後酒まで。ほほ~、と思いました。この国の人たちは、自分の生き方を貫き通すんだなあ、と。
近藤 生き方の流儀、でしょうか。
高倉 東京・六本木では、若い連中がフェラーリなんかに乗ってます。一方、ポルトガルにはそんなのは一台もない。でも、何とも言えない豊かさがある。何百年も前に豊かさの極限を知ってしまった民族というんでしょうか。落ち着きます、ポルトガルって。
近藤 映画「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男監督、1999年)で日本アカデミー賞の主演男優賞を受賞した際のあいさつで、健さんは「生きるために……」と言ったまま、しばらく間を取り、こう続けました。「俳優になって、あっという間に四十数年がたちました」。その時、健さんが著書で「初めて、顔にドーランを塗られた日、ポローッと涙が出た」と書いていたのを思い出したんです。「身を落としたという想いが、胸を衝(つ)いたのかな」という言葉もありましたね。
高倉 ああ、まったくそうでした。本当に、最近までそうでしたね。僕たちは何か合うものがありますねえ。こんなふうに仕事でお会いしたくなかった。どこか別の所でゆっくりとお話ししたいですねえ。(つづく)
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記者が、高倉健さんを「健さん」と馴れ馴れしく呼んでいるのにムッと来ましたが、健さんの若々しい写真を見て許してあげる気になりました。毎日新聞は嫌いですが、続編には期待しています。
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