6月 9日
日本人は個性を認めない風潮がある。
隣りと同じでなければいけないと言う比較の文化だ。
だからとっても生きずらい。
勉強もそう、「あの子ができて、何故できないの?」は困る。
「あの子が持ってる、私も持ちたい」も困る。
右も左も同じような容姿、髪型・・・これって誰だろう?
私は小さい時から不思議と違っていたようだ。
人は人だし、自分は自分だから・・・・。
だからイジメられたようだ。
今さらこんな性格を変えようにも変えられない。
個性を持つことは大事なことだと思っている。
それは自分で選び、自分で決めなければならないからだ。
人様に言われたまま、勧められたまま・・・決めたらどうなるだろう。
悔いと後悔が襲ってくるに違いない。
もうひとつある、他人に責任を押し付けることだ。
自分で決めれば反省するが、人に従うならば「彼奴のせいで・・」と。
つまり無責任を公然と言えてしまう風潮がある。
それは小さな我が家を作って証明された。
「小さくて可愛いお家だ」
若い夫婦が作ったかのように人様からは見えるらしい。
幼児の服や、塾の入会案内が入ってくるからだ。
私と妻の年齢には適さないものが案内され笑っている。
嬉しいね。
見た目とはそう言う事なのかも知れない。
個性は時として困る場合もあるが場に応じてスルーしている。
私は今、パソコンを軸に活動している。
他のことに時間が割けないほどだ。
これも個性のお陰だ。
人様より少しだけ趣味として早くからやってこられたからだ。
特別なことなど何もしていない。
自分の好きなことを好きなだけやってきただけのことだから・・・・。
今さらだが、思うことがある。
それは日本人は好きな分野の学習が足らないような気がする。
人さまのそれを見て「とても私にはできない」としり込みする人が多い。
「やればいいのに・・・」と思うのだがそれ以上は言えない。
誰だって趣味や特技やいろいろな経験があるだろう。
それらの目的を、的確な方法でまとめ上げたらすごいと思う。
それが貴方の個性を表現するものだから・・・。
私は形を作ることを念頭に置きながら何かをやってきた。
文学や絵画や音楽など芸術のセンスは皆無だ。
このパソコンならばみなさんにも分かるし便利な道具だ。
チョットだけ多くの時間と予算を使ってここまで来たに過ぎない。
人さまと違うのは、自分だけの趣味にしなかったことだ。
「パソコン知識のお裾分け」などと豪語している。
これも私にあった個性だったと思っている。
そのお陰で今でも若い人(シニア)に教えていられる。
ありがたいことです。