「”土木のこころ”を知るために、あなたが薦める本をいくつか紹介してくれないか」という依頼あり。すぐさま、アタマに思い浮かんだ本が数冊。かんたんに推薦理由も、ということなので、あらためて実物を超速で飛ばし読みし、これとこれとこれ・・・あ、もひとつこれもと4冊をピックアップして送ろうとしたが、待てよ、と再考。イノイチバンに思いついたひとつだけに絞ることにした。その一冊とは、『出稼ぎ哀歌~河辺育三写真集~』(ブックショップマイタウン発行)である。
「土木のこころ」と聞いてすぐ思い浮かべるのは、昨年来業界で評判を呼び、わたしもその協力人として巻末に名を連ねさせてもらった復刻版『土木のこころ』(田村喜子、現代書林)。そこに登場する20名の大多数は、明治期から今日までの、わが国を代表する超土木エリートたちだ。
そこで忘れがちなのが、そのエリート技術者たちの想いや考えを形にするのに必要不可欠な無名の労働者たちの存在である。しかし、その無名の者たちに脚光が当たることは、ほとんどない。たとえば「無名性」について語るときも、設計者や施工者の名前を世に出そうとはするが、実際に作業をしている者たちへの考慮は一切といってよいほどない。そりゃそうだ。超のつくエリートでさえ、なぜだか自らの先達について学ぶことがあまりない土木という世界では、知られていない人が少なくない。ましてやそれが一般に、となると推して知るべしだ。そんな現状において、名もない者たちが一顧だにされないのは当然のことである。
しかし、これまた当たり前のことだが、土木とは、それらの人たちも含めたチーム全体でなされる仕事である。超エリートにも、無名の労働者にも、それぞれに役割があって、それぞれがその役割を全うしなければ、目的や目標を達成することができない。そのような構造を有する仕事であるならば、そして、「ふつうの暮らしをささえる」のが土木であるならば、それを底辺で支える者たちのことが語られなくてよいはずがない。
アセヲナガシテ ウタウウタ
ドウロコウジデ ウタウウタ
ドカタガウタウ ツチノウタ
ナイテクレルナ フルサトノコヨ
トウチャンイマニ カエッテクルゾ
ユウヒガシズム コウジゲンバデ
キョウノカセギニ カンパイシヨウ
(書中で紹介されている無名労働者の歌)
現代日本の快適な暮らしを支えてきたのは、こういった人たちの存在があったからこそ。そこに想いを至らせることができないようでは、また、その人たちを大切に思えないようであれば、土木という世界で生きる資格がないと、わたしは思う。