答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

続・土木作業員〈考〉

2021年05月14日 | 土木の仕事

「書く」という行為、特に、ひとりで考え、ひとりでまとめ、ひとりで書く、というのは難しいものだ。ややもすれば思考が内向けになり、内部でループしてしまうきらいがあったりするからだ。そうなると、わたしのような非才の輩では、どうにもこうにも収めようがなくなり、つまるところ、おとといの稿のように落としどころを見失って寝かさざるを得なくなることもままある。

しかし、やはり出力はしなければいけない。それがたとえ見切り発車ではあっても、出力すれば、なにかしらの展開がひらけることも、これまたよくあることだ。

 

久しぶりに早起きしたきのうの朝、それとはまったく関係のない本を読んでいるさなかに、突如、まとまりがつかなかったおとといの稿についての答えが降りてきた。

さっそく、マスメディアにおける「土木作業員」という呼称についての考察、続編を一気呵成に書いた。ふだんこのブログに書く量の3倍ほどはある長文だ。

ではアップロード、といきたかったが、「ちょっと待てぃ」と別の自分が押しとどめた。読み返してみると、推測や憶測で書いているところが多い。ついでに、おとといの稿も読み返してみた。右に同じくである。なにか肝心なところが抜け落ちている。

そう。一方の当事者である新聞社の側の主張であり根拠でありには、いっさい考慮がおよぶことなく、推測や憶測で書いている。これはおかしいのではないか。そう考えた。しかし・・・

新聞記者に知り合いがいないではない。だが、こういうところを聞くとなると・・・

ひとりの顔が思い浮かんだ。彼しかいない。さっそく、長文の質問を送ってみた。

その日のうちに返ってきた答えは意外なものだった。

返信にある前置きによると、個人の意見で答えるのもどうかなと思い、本社の用語担当者に確認してくれたという。その答えは・・・以下、要点を箇条書きにする。

 

・それについては、職業差別につながるのではないかという指摘があり、社内でも議論があるが、今のところ使いつづけている。理由は次のとおり。

・警察など官公署の広報文の職業欄が「土木作業員」になっている。

・土木会社社員ならば「会社員」という表記が正しいのではないかとも思われるが、警察は会社名を公表しないことが多いので、会社員かどうかの確認がしづらい。

・「塗装工」などにも同じような指摘が寄せられている。

 

ちなみに、返信のなかには、かつての警察の発表文が「土工」という呼称であったことなども記されていた。

そこでわかったことは、マスメディアにおける刑法犯罪の容疑者や被告につける「土木作業員」という肩書が、「悪意」でも「空気」でもなく、警察発表をそのまま使用しているだけのものだったということと、同業諸氏の「悪意である」という意見も、わたしが言うところの「空気」(への忖度)であるという主張も、まったくの的外れだったということ。まさに憶測や推測でしかなかったということだった。

なんともはや・・・間が抜けた自分自身はとりあえず横に置くとして、この問題の直接的なターゲットはあきらかになった。

これはわたしのような辺境の土木屋風情が出る幕ではなさそうだし、どうしようもできないことではなく、それ相応の「力」を用いることにより変えることができる問題のようだ(それ相応の力を持つ側の人間が変えなければならないという気になるかどうかは別として)。

とはいえ、「改名」の是非についてはまた別である。

「土工」が「土木作業員」になったという事実を知れば、なおいっそう、問題は「改名」うんぬんではないと言わざるを得ない。蔑称としての「土工」という言葉を使用しないようにしたのが誰(どの機関)なのか。それはどういう経緯でそうなったのか。その詳細はわからないが、その(まともな)「言い換え」が「土木作業員」だったという歴史的事実は、(小手先の)「言い換え」ではなにも解決しなかったという結果とともに、根本的な問題はそこにはないということを、わたしたちに教えてくれる。

 

ということで、きのうの朝、突然降りてきた「土木作業員」問題に対するわたしなりの結論は、前提が崩れてしまった以上、残念だがとりあえずは陽の目を見せることができない。しかし、既に出ていた持論はより固まったものとなり、いっそうその思いが強くなった。

「土木作業員」を「土木職人」にするのも「土木技能者」にするのも、今風のなにか別の名前にするのも、けっしてわるいことだとは思わないが、そのようなものでは問題は解決しないどころか、問題解決の糸口にすらならない。

そういうことである。

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土木作業員〈考〉

2021年05月12日 | 土木の仕事

まず、数ヶ月前に書き、「下書き」として置いてあった稿を読んでいただきたい。

繰り返すが、眠らせていた草稿である。

 

******

地域建設業を営む知人(岡山県在住)が、某SNSに地元新聞の記事の写しをアップロードしていた。

-----------

集団暴走したとして岡山中央署は7日、道交法違反(共同危険行為)の疑いで、いずれも倉敷市の建設作業員少年(18)、高所作業員少年(18)、高校2年男子(17)と住所不詳、建設作業員少年(16)を逮捕した。

-----------

福島県在住の同じく建設業経営者の知人がそれに呼応し、紹介した記事はこれだ。

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県警は8日までに、殺人と殺人未遂の疑いで同県山元町小平南、会社員△△容疑者(27)と愛知県岩倉市、土木作業員▽▽容疑者(45)を逮捕した。

(△ならびに▽には実名が入っている)

-----------

それらに対し、同感する意見が彼らの知人から多数書きこまれた。

いわく、なぜ「建設作業員」や「土木作業員」であるのか。どうして「会社員」ではないのか。そこにあるのは悪意でしかない、などなど。

わたしもまたその批判に、基本的には同意する。しかし、「悪意しか感じられない」という点に対しては、少しちがう考えをしている。

かつて、それもほんの近ごろまでは、多くの同業者と同じように、「悪意がある」と信じていた。しかし、今はチトちがう。

書いている人たちの多くに、おそらく悪意はない。少なくとも特段の悪意はないだろうと思う。あるのは「空気」である。しかも、長い年月を経てどんよりと沈澱した「空気」である。その「空気」の存在が、書き手をしてこう書いた方が世間は納得するのだと思わせ、それを書かせている。悪意があって書く、もしくは発言するものは、その是非はともかく、わかりやすい。しかし、本人たちもそれとはわからず、「なんだかよくわからないけど、前々からそうなんだよね」とかいう意識で書いたり発言したりするものは、ときとして悪意を持ってする行為よりタチがわるいし、深刻でもある。マスメディアにおける、わたしたち業界の構成員からすれば悪意だとしか思えない、刑法犯容疑者の職種としての「土木作業員」という呼称の扱いは、その手のものではないだろうか。そして、そのようにして積み重ねられてきた歴史によって、「土木作業員」という職業名は、ほとんど蔑称に近いものになっているのが現実ではないだろうか。そう、わたしは推測している。

その解決策として、次のような意見を主張する人たちがいる。

「土木作業員という呼称を使わないようにしよう」

「土木作業員を別の呼び方に変えよう」

わたしはその主張に与しない。

もちろん、マスメディアが犯罪者(容疑者)の職名を、ことさらに「土木作業員」と記すことには断じて反対である。だからといって、自らその職名を捨て去るべきではない。なぜならば、土方は土方であり、土木作業員は土木作業員であるからだ。

負のイメージがつきまとう呼称を捨て、あかるい印象がする呼び名をあらたに立て、広げようとする動きは、どこの世界にもよくあることだ。そもそもわたしは、「言い換え」というその手法をよしとはしない。マイナスイメージで一般に流布された言葉は、人々の口の端にのぼるその使い方が負の方向であればあるほど、そのマイナスイメージはぬぐい難いものとなる。そうなると、それを払拭するのはかんたんな問題ではない。しかし、「言い換え」をもってその解決策とするのをわたしは好まない。

「だってオレたちがつけた名前じゃないのだもの。だったらポジティブイメージがする名前を自分たちでつけてもいいじゃないか」

そう言った人がいた。それはそれでよくわかる。しかし、その出自がどうあれ、一般に広く流布してしまった呼称をどう変えようと、それで問題が解決するものではない。それによるプラス作用はごくごくわずかなものではないかとわたしは思っている。

問題は、「土木」や「土木作業員」という呼称にはない。

言葉面をいじって問題解決の糸口にしようという行為や考え方で、「わたしとわたしの環境」を救うことはできない。

******

 

みたび繰り返すが、以上は数ヶ月前の「書きかけ」である。

ではなぜ、わたしはこれをアップロードすることができなかったか。

自分のなかで、どこかもやもやしたものが残り、このあとをまとめることができなかったからだ。どこか得心できない自分がいたからだ。

ではなぜ今になって、その不完全さをさらけ出す気になったのか。キッカケは、それもまた新聞記事である。

 

5月5日の高知新聞に次のセンテンスからはじまる記事が載った。

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高知署は3日、傷害容疑で、四万十市敷地、土木作業員、◯◯容疑者(24)と、同市具同、土木作業員、△△容疑者(39)を現行犯逮捕した。

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その3日後に同じ紙面に掲載された記事の冒頭は、こうだった。

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高知東署は6日、強要容疑で、土佐郡土佐町有間、土木作業員、◯◯(58)を逮捕した。

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さすがに数日のうちにつづけて目にすると、うーん、とうならざるを得ない。

これは本当に「空気」が書かせているのだろうか。あきらかな悪意があってなされている行為ではないのだろうか。そう考えはじめると、予てより持っていた自らの推測に自信がもてなくなってきた。

だとしても、今のところすぐ改名派に鞍替えするつもりはないし、それが問題解決にはならないという考えに変わりはないのだが、とりあえず寝かせておいた数ヶ月前の稿をアップロードすることにした。

あやふやでまとまらない話で申しわけないが、今日の稿、そういうことである。

 

 

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「兵法に武具の利を知ると云う事」から考えた

2021年05月10日 | 土木の仕事

宮本武蔵『五輪書』より。

******

一 兵法に武具の利を知ると云う事

武(いくさ)道具の利をわきまゆるに、何(いず)れの道具にても、おりにふれ、時にしたがひ、出合(いであう)もの也。脇差は、座のせまき所、敵の身ぎわへよりて、其利多し。太刀は何れの所にても、大形(おおがた)出合ふ利有り。長刀(なぎなた)は、戦場にては鑓(やり)におとる心有。鑓は先手也。長刀は後手也。同じ位のまなびにしては、鑓は少し強し。鑓、長刀も事により、つまりたる所にては其利少なくし。取籠(とりこも)り者などにも、然るべからず。只戦場の道具なるべし。合戦の場にしては肝要の道具なり。され共、座敷にての利をおぼへ、こまやかに思ひ、実の道を忘るゝに於ては、出合がたかるべし。

******

『[新訳]五輪書』(渡辺誠:編訳)より現代語訳。

******

一 兵法においては武器それぞれの利点を知っておくこと

戦いに用いる道具は、どの道具も時と場合によって効果をもたらす利点のあることを、弁えておくことだ。

まず刀でいうと、脇差は狭い場所、敵と至近距離の場所にあるときに用いるのに、利点の多い武器である。

刀はどのような場所にあっても、大体、対応するのに便宜を持つ。

長刀(なぎなた)は戦場では槍よりも効用が劣っている。

槍は先手を取るのに対して、長刀は後手を引かざるを得ない武器といえる。

同程度の修練ならば、槍のほうが長刀よりも強い。

槍も長刀も、急場に用いるのは、やや不利だ。

家屋に立て籠もった者を仕留めるのにも、適していない。

いずれも戦場で使用するべき道具であり、合戦になくてはならぬ武器とされる。

しかし、屋内での稽古で覚えた槍と長刀の術を、そのまま細やかに戦場に用いようとすれば、この武器の本性から離れてしまい、これを役立てるのに難がある。

******

なにも武器の使い方について講釈をたれようとしているのではない。

ひょんなことから、上の文章に出会い、「今という時代」、つまりi-Construction華やかなりし現在の建設業における道具やツールや方法やについて、ぴたりとあてはまるなと思い、ついニヤリと笑った。ついでに書きとめておこうと、いうわけである。

武器にはそれぞれに長所があり短所がある。それぞれの長所を確認し、それに応じて用いることこそが肝要だと武蔵は説いている。

じつは、「今という時代」の現場技術者に求められているのはそこである。

いや、「求められている」といっても、別に国土交通省や各地方自治体が求めているわけではなく、どこかの誰かが求めているわけでもない。お上が要求していることは、あたらしい技術を駆使し生産性を上げよということである。

だが、君やあなたが優れた技術者でありたいと欲するのであれば、それでは片手落ちだ。高価な機器やシステムを駆使したあたらしい技術も、ときによってはほとんど道具らしい道具すら使わない古くからある技術も、あれもこれもを時と場合によって使い分け、使いこなせるようにするほうがいい。

「あたらしい」がもてはやされる「今」だからこそ、「古い」をバカにせず、それを積極的に学び、「あたらしい」と「古い」のハイブリッドを心がける。

その場合、自分がすべてに精通し、すべてを実行できるにこしたことはないが、必ずそうであることはない。必要なのは、その知見はどこにあるか、誰がもっているか、誰に聞けばわかるのか、について精通していることである。

「古い」しかできない者でもなく、「あたらしい」しか知らない者でもなく、両方の長所と短所をわきまえて、時と場所によって使い分け、使いこなせる技術者をこそ目指すべきである。

「土木」というものは、そういう類の仕事であり、土木(現場)技術者というものは、そういう職業である。

 

 

 

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『土木のこころ 復刻版 夢追いびとたちの系譜』絶賛発売中

2021年04月22日 | 土木の仕事

 

その営業マンと会うのは二度目だった。

今回のアポイントメントを承諾した時点で、はじめて会ったときには気づかなかったあることが結びついた。

そういえば・・・調べてみるとまちがいはなかった。

『土木のこころ 夢追いびとたちの系譜』(現代書林、田村喜子)に収められた20人の土木屋たちのトリとして紹介されているのは日綜産業の小野辰雄氏だ。

そう。結びついたのは、その営業マンと小野氏。従業員と創業者である。

「ですよね?」

と話題をふった。聞くと、現在は会長職にあり、現役バリバリだという。

いくつかのエピソードを聞かせてもらったあと、

「ちなみに・・」

と前置きし、よせばいいのにこう口走ってしまった。

「『土木のこころ』(復刻版)の巻末に「ご協力いただいた皆さま」っていうのが載ってるんですけど、そのなかにわたしの名前もあるんですよ。プチ自慢ですけど」

そして、横にいる身内にこう言った。

「知らんかったろ」

「はい」

「そうやな。会社の人間には言うてないもん」

 

まったく、わるい癖だ。

自慢したがり。それは、多々あるわたしの至らなさのなかでも、もっとも自分自身がきらいなもののひとつである。

直そう直そう消そう消そうとして幾星霜。とはいえ、少し気がゆるめばすぐ顔をだしてしまうのだから、まったく性分というやつはどうしようもない。

であれば、それぐらいで済ませておけばよいものを、言うにこと欠き「知らんかったやろ」とは。

あえて言わなかったのなら、ずっと黙っていればよいのだ。

そういうのを野暮と呼ぶ。

格好わるいにもほどがある。

 

しかし・・・

済んだことをぐじぐじ悔やんでも仕方がない。

せっかくなので翌朝彼に、贈り物用にとまとめ買いをしていたうちの一冊をプレゼントした。

 

 

 

『土木のこころ 復刻版 夢追いびとたちの系譜』大好評絶賛発売中。

巻末に「ご協力をいただいた皆さま」としてわたしの名前が載っている。

こうなりゃついでだ。白状しよう。

よもや「夢追いびとたちの系譜」に連なったとまでは思ってもいない。だが、はなはだ勝手ながら、末座の末座の端っこに席を与えてもらったような気にはなっている。

大の大人ならば、いただいた恩義は返すのが筋だ。

ということで繰り返す。

『土木のこころ 復刻版 夢追いびとたちの系譜』大好評絶賛発売中。

ご購入がまだのお方は、これを機会に、ぜひお買い上げを。

 

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その後の「あなたへのエール」

2021年03月21日 | 土木の仕事

『地域の安全安心を守る「雪みちの守りびと」(除雪作業従事者)へ心温まるエール募集』の受賞者が発表された。この試みについては、以前、応援のメッセージをつづったことがある。

→『あなたへのエール』(2020.12.10)

福島県県北建設事務所のホームページに『「雪みちの守りびと」へのエール集』と題して全応募作が掲載されているというので読んでみた。

https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/435410.pdf

好みというやつだろうか。傾向というやつだろうか。ついつい「妻から夫へ」というパターンに肩入れしてしまうわたしがいる。

なかでも、わたしのイチ推しはこれだろうか。

 

 

 

 

******

お父さんへ。

 

「え!また行くの!?」

大雪が降り続く朝、除雪から帰ってきて、おにぎりを持ってまた除雪に戻るあなたに、つい言ってしまった言葉。あの時はごめんなさい。

仕事はいえ寝る暇もなく働くお父さんを心配してのひと言でした。

考えてみれば、お父さん達、除雪作業を夜通してくれている人達がいなければ、私たちは生活できないんだよね。

雪が降って、除雪が来る事を、ごく普通で当たり前のものだと思っていたけれど、冬の日常的な事すぎて感謝の気持ちを忘れてしまっていたようです。

私たちが除雪後の綺麗な道路を安全に運転する事ができるのは、どんなに酷く荒れた天気でも夜中に起きて寒い中仕事に向かうお父さん達のお陰なんだよね。

地域のために、私たち家族のために一生懸命に働いてくれてどうもありがとう。ヘトヘトになって帰ってきて、また家の雪片し、本当にありがとう。感謝しかありません。

お父さんが気持ちよく仕事に行けるように、仕事に集中できるように、私はあなたを支えていきたいと思います。

また今日も気を付けて、頑張って行ってらっしゃい!

******

 

その他にも心あたたまる文章が数々あり、「ふつうの暮らしをささえる人たち」へのエールが、同業者の末座につらなるわたしの心に染みた。しかし、喜ぶべきか悲しむべきか。昨年わたしが予言したとおり、主催者さんが例文としてつくったものを超える作品はでてこなかったようだ。敬意をこめて、今いちどその例文を紹介したい。

 

******

真夜中に出て行くあなたに

私が出来ることは、

あったかい大きなおにぎりを

持たせること。

朝方に早く帰ってくるあなたに

私が出来ることは、

熱めの湯船と味噌汁の準備。

 

あなたが除雪した道を通って、

私はこれから仕事に行ってきます。

あなた、いつもありがとう。

 

          妻より

******

 

よもや、この作品に賞をあげることなど主催者としてできるはずもないだろうから、僭越ながら、わたしが特別賞を授与してさしあげたい。

ありがとう、福島県土木部県北建設事務所。

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役立たなくちゃいけない仕事だよな 〜『東日本大震災復興10年 土木技術者リレートーク(その4)佐藤功氏』より

2021年03月11日 | 土木の仕事

きのうに引きつづき『東日本大震災復興10年 土木技術者リレートーク』から。

(株)武山興業佐藤功さんの言葉を紹介したい。

 

******

当時はあれですよね、

「コンクリートから人へ」とか言葉が流行ってて、正直、

「あれ?もしかしてわれわれって世間の人にのぞまれてない仕事なのかなあ?」

なんて、そんな感じでやっていたような気ぃするんですけど、

復興工事にたずさわって、、、

「いや、必要なんだよね」と。

われわれの仕事って、やっぱり地域の人たちの、、、

財産とか生命とか守るのに

ぜったい役立つ仕事だよな、

ま、役立たなくちゃいけない仕事だよなと、

ま、そういったなかで誇りをもってやれる仕事だなあって、あらためて思いましたけど。

(中略)

やっぱり建設業にたずさわる人、全員が、思っていてほしいんですよね。

やっぱり俺たちの仕事は、地域住民の人の財産や生命を守るのに、

ぜったい大切な仕事なんだと、その仕事をやってる誇りをもって

常にやってほしいなあと思っていてほしいんですよね。

だけど、忘れちゃいけないのは、ダンプが歩けばホコリがたつ、ブルドーザーが動けば大きな音が出る。だから、住民の人に迷惑かけてる部分もあるんだよと、そこを忘れないでね、

そこを忘れないで、誇りをもって常日ごろの仕事にのぞんでいけばいいのかなあと。

*****

 

敬意と親しみを込めて「ザ・地元の土木技術者」と呼びたい佐藤さんが語る本編はこちら。地域建設業にたずさわる現場人には、ぜひ聞いていただきたい。

↓↓

東日本大震災復興10年土木技術者リレートーク 04 (株)武山興業 佐藤 功 氏

 

 

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なんもなくなって気づかされた ~『東日本大震災復興10年 土木技術者リレートーク(その3 青木健一氏)』から

2021年03月10日 | 土木の仕事

一般社団法人東北地域づくり協会が『東日本大震災復興10年 土木技術者リレートーク』と題して、この10年、さまざまな立場で復興にとりくんできた土木技術者11名へのインタビュー形式のリレートークを公開している。

 

 

 

 

「その3」は、わが盟友青木健一である。

彼が、「地域の建設業として、防災に関わる土木技術者に対してメッセージをお願いします」という呼びかけに応じて答えたものを「聞き書き」として紹介したい(言い回しの一部を無断で改変しました。ごめんなさい)。

******

その災害があったとき、自社が建設業のあつまりのなかで、なにをしなければいけないのか、なにをするのか。緊急資材を会社にどれだけ備蓄しておくのか。(建設業協会)支部として、(建設業)協会として、どんなふうに対応すべきなのか。それぞれを決め、どうやって災害対応していくのかっていうことを本気で考えなければいけないと思います。

それとおなじくらいたいせつなのが、ふだんの仕事、私たちの仕事ってものすごい尊いものだと思うんですよ。

あのとき、ガレキだらけの地域を見てショックを受けましたし、流出した道路から、ガス管、下水管、水道管がとんでもない角度でとびだしてですね、夜、真っ暗になって、なんにも通信できないなかで、無力さをものすごく感じましたけど、それと同時に、我々がつくってきたインフラの重要性とか、それをつくって維持してきた私たちの仕事ってものすごく尊いものなんだなあっていうことを、なんもなくなって気づかされたんです。じゃあ我々がもう一回つくろう、という思いでですね、その災害の最前線で、地域の建設業者として復興にあたってきました。

これみんな一緒だと思うんですけど、そういう想い、これだけいろんな場所で起きた災害をですね、けっして他人事にしないで、情報共有をたくさんしていきながら、次に自分の地域でなにかがあったら、あの災害よりも被害を少なくする、誰かを助けるという気持ちをもって仕事することが、私たち建設業者の、それは本質的なものとは少しちがうかもしれないですけど、地域を下支えするという意味ではたいせつな部分になるんじゃないかと思います。

警察だけ、自衛隊だけ、消防だけに頼るわけにはいかないとすると、民間でその仕事を活かせる私たちというのは、すごくたいせつなものになるんじゃないかと思うんです。

今、全国で激甚化した局地的な災害が数多く発生していますので、震災前より私たちの仕事は重要度が増しています。さらにがんばっていきたいと思います。

******

 

本編はこちら。

↓↓

東日本大震災復興10年土木技術者リレートーク 03 (株)青紀土木 青木 健一 氏

 

 

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「『土木のこころ』復刊に寄せて」(森崎英五朗)を読む

2021年02月19日 | 土木の仕事

 

 

 

『土木のこころ』(復刻版)が、3月3日の配本開始(Amazonでの発売は3月5日から現在予約受付中)に先がけて届いた。

絶版になった先代は中古で買いもとめ、読まずに積んでいた。それを読んだのは、いよいよ復刻版が出るのも間近となった昨年末だ。

復刻版にほんの少しだけかかわらせてもらったこともあり、読んでないわけにはいかぬだろうと、急いで読んだ。→『辺境の土木屋、「土木のこころ」を読む

なんというぐだぐだ。どうにも恥ずかしい話だが、事実だから仕方がない。

 

今回の復刻に関しては、寿建設の森崎さんが深くかかわっている。巻末に彼が、「『土木のこころ』復刊に寄せて」と題した「あとがき」を寄せているので、その一部を紹介したい。少々長い引用になるが、わたしが百万言を費やすよりも、そちらのほうがはるかにこの書の価値を言いあらわしていると思う。ぜひ読んでほしい。

 

******

 私は東北の福島県で、祖父から三代目となる建設会社を営んでいる。

(中略)

 私が社長になったのは平成18年、37歳のときであった。

(中略)

 そんな状況が回復する見通しがない中で、平成23年3月11日、東日本大震災が発生した。

(中略)

 地元建設業は現場の最前線で必死に復旧・復興対応に取り組む日々が続いた。

 以来、約10年。全国各地で毎年のように激甚災害が発生、さらに笹子トンネル天井板落下事故により「メンテナンス」の重要性が認識され施策化されるなど、建設業へのニーズは震災以前とは異なり、大きく高まっている。

 しかしながらこの状況に反し、人材確保は困難を極めている。

(中略)

 若い人たちに建設業に来てもらおうと、「休日の確保」「給与待遇向上」などの対応が急ピッチに進められている。それらは間違いなく必須の条件であろう。しかし、建設業にとって真に必要なのは、果たして「休日」と「給与」を優先的に求める人材なのだろうかと疑問に思うことがある。

 特に土木工事は、地域や社会の基盤をつくり、その機能を維持するための作業が求められる。しかも天候や地域事情などに大きく左右されながら、決められた工期を守らなければならない。

 災害時は巡回を含めた長時間の対応もしなければならない。

 高品質のモノづくりをしながら、地域を守るという任も背負わなければならないのだ。

 この世界に飛び込んでくるには、そういった使命に向き合うことを厭わない「こころ」が必要ではないかと思う。

 いや、そこまで崇高な志でなくてもよい。

「でっかい橋をつくってみたい!」

「地域の道路を守る仕事をしたい」

 スタートは、少なくともそんな憧れや夢を持って来てほしい。

 

 そんな思いから、若い人たちにそのようなことを感じてもらう「着火剤」はないものかと広く探していたところ、縁あって本書『土木のこころ』に出会った。

「まえがき」を読み、鳥肌が立った。

 土木技術のなんたるか、その本質を著者の田村喜子さんは明快に突いていた。

 登場する土木技術者として活躍された20名それぞれの方が、困難に直面した場面を乗り越えようとして生まれた言葉がたまらなく心に響いた。

 社会のために、世の中をよくするために、全力以上の力を出すことを惜しまない「土木のこころ」。これは現代の土木技術者、そしてこれから入職してくる若い人たちに、一番大事な核心の部分ではないかと確信した。

 

 読後すぐに多くの人にこの本を読んでほしいと考えたところ、出版社がすでに廃業されており、古書店やネットオークションなどでしか入手できないとわかった。

 ならばなんとか復刊できないかと、十数年来親しくしている出版社・現代書林社長の坂本佳一さんに話を持ちかけた。数ヶ月の検討を経て、令和元年の夏から復刊の許可などに動きはじめたのだが、まるで田村喜子さんに「導かれる」ような縁が次々とつながりはじめた。あれよあれよといううちに、田村さんをよく知る方々を中心とした関係者に出会うことができ、多大なご協力をいただいたことで復刊が実現したのである。

「土木のこころ」は、時を経てもつながるのだと実感した。

 本書が、いままで強いスポットライトを浴びることのなかった土木の先輩たちの「こころ」と、それを世に伝えようとした田村喜子さんの「こころ」、そしてこれからの土木の未来をつくっていくであろう次の世代の「こころ」をつなぐ存在となることを願わずにはいられない。

(後略)

******

 

「まえがき」を読んで「鳥肌が立った」と森崎さんは書いているが、いやいやなかなかどうして。この「あとがき」も相当なものだ。

『土木のこころ』(復刻版)、配本は3月3日から(Amazonでの発売開始は同5日から)。ぜひ、手にとって一読あれ。

 

 

蛇足:巻末に「復刊にあたりご協力いただいた皆さま」と題して協力者の氏名が記載されている。そのなかにわたしの名前があり、ちょっと感激。孫に見せようと思っている(まだわからんか ^^;)。

 

 

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袖ビーム

2021年01月28日 | 土木の仕事

きのう、あのようなことを書いておいてなんなのだが、今日は、なにかにつけて話が大きくなる「土木のしごと」のうちでもごくごく細かい、いわば土木構造物の「隅っこ」で盛りあがっている人たちを紹介したい。

その名を「京都大学袖ビーム同好会 無い袖は振れぬ」という。

じつは、きのう、あれを書いたすぐあとにその存在を発見した。

https://twitter.com/naisodehurenuである。

 

 

それにしても・・

袖ビームとは・・・

渋いところに目をつけたなぁ・・・・

 

感心しきりなわたしは、ナントカカントカ言いつつも、こんなのも大好きなのであるよ。

 

 

 

 

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ずれた折り目(のようなもの)

2021年01月27日 | 土木の仕事

先日読んだ『退歩を学べ』(森政弘)のなかにあった話。

カエル・カードなるものがあるという。日本HR協会というところが販売しているらしい。どのようものか、画像を見てみようとネット検索をしてみたが、どう探してもヒットしない。今から10年前の本に紹介されているものなので、ひょっとしたら現在ではもう販売されていないのかもしれない。具体的に説明した箇所をそのまま引用するので、まずは想像してみてほしい。

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それは、縦9センチメートル、横13センチメートルの厚紙カードで、表には、「見方・方法・考えカエル」「提案で、あなたが変わる、職場が変わる」と印刷してあり、そのそばで蛙が逆立ちしているという気の利いたデザインのものである。

 そのほぼ真ん中に、二つ折りするための折り目が一本入れてあるが、折らないままで販売されており、定期券などに入れておいて、しょっちゅう参照しようとするユーザーは、自分で二つに折ればよいようになっている。

(Kindleの位置No.1391)

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あるとき著者は、「創造性開発の相談」に来たある人に、それならばとそのカードを推薦し、目の前で二つ折りして手渡したのだという。その反応はというと、このようなものだったらしい。

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「こりゃ、折り目がまずいですなあ。両端が合いませんよ」

「そうですか、どれ」というわけで見ると、たしかにカードと右端と左端は折った後で一致せず、裏側になる方の端が1ミリメートルほど引っ込んでいる。

「いや、これはわざとそうなるように、折り目が決めてあるんじゃないでしょうか。この方が開けやすいですから」

「・・・・・・」

(後になって、日本HR協会に問い合わせたところ、ことさらそのようにはしていないので、折り目の誤差でしょうという返事だった)

(No.1403)

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このエピソードには、「物事への対処に関する本質的なことが含まれている」と著者は書く。つまりこのようなことだ。

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日本HR協会のカエル・カードの折り目の位置が、ある意図を持って設計されたのか、あるいは、たんに誤差が出てしまったのか、などという正否の分別は、この際、問題ではないのである。いかにして自分の会社の創造性を高めるかこそが、問題なのである。ところが心が事柄の正否に固着しているから、焦点がずれてしまった。そこで話は目的の創造性開発へと、さらさらと流れてはゆかず、ひん曲がって「こりゃ折り目がまずいですなあ」という言葉が出てしまったのではないか。

(No.1413)

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これに類する話は、わたしたちのまわりに数多くありはしないだろうか。

それはつまり、「創造性開発の相談」という主目的に対し、その一助になればと紹介したツールの本質をうんぬんする手前で、「折り目がずれている」という、そのツールの本質とはかけ離れた瑣末な事実にとらわれてしまい、ツールの評価をそこで定めてしまうというような種類の話である。評価うんぬんとまではいかなくとも、目先の(あなたにとって)好ましくない事実に目をうばわれ、ついついそれに執着してしまうことがあなたにはないだろうか。わたしのまわりには数多くある。

現場技術者あるあるである。

途中でそうと気づき、本質を見ようとするのならご愛嬌。多くの場合は気づかないまま、表面上にあらわれた細かい点の是非をああだこうだと詮議することに終始する。

常に、機械器具といったハードウエアに囲まれ、数字や数式を相手にし、構造物という無機質なものをつくっていると、しだいしだいに「木」しか目に入らなくなり「森」が見えなくなってくるのだろうか。もしくは、最初から「木」を見る訓練しか受けていないために「森」を見ることができないのだろうか。たぶんどちらもなのだろう。いずれにしても、それが習い性となると、「木」ならまだしも、ついつい枝葉末節にこだわってしまい、それが当然のことであると信じて疑わないという、笑えない話となってくる。

胸に手を当てて思い起こしてみてほしい。

現場技術者あるあるではないだろうか。

わたしたちのまわりには、「折り目がずれたカエル・カード」(のようなもの)が数多ある。もちろん、現場技術者たるもの、「ずれた折り目」に気づかないようでは失格だ。むしろ、優れた技術者の素養としては、ときには偏愛とも呼べるような「隅っこ」への「こだわり」があった方が断然よいとわたしは思う。しかし、その「ずれ」という枝葉に執着し、本質に気づかないようでは、構造物という「物」はつくれたとしても、土木構造物によって得られる「場」をつくることはできない。結果オーライではできるかもしれないが、それは「つくった」とは呼べない。土木(現場)技術者とはそういう仕事である。

だから皆さんくれぐれも、冒頭の事例で「こりゃ折り目がまずいですなあ」と言った御仁のようにはならぬよう。もちろん、エラそうなことを言うわたしとて例外ではないけれど。

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