「書く」という行為、特に、ひとりで考え、ひとりでまとめ、ひとりで書く、というのは難しいものだ。ややもすれば思考が内向けになり、内部でループしてしまうきらいがあったりするからだ。そうなると、わたしのような非才の輩では、どうにもこうにも収めようがなくなり、つまるところ、おとといの稿のように落としどころを見失って寝かさざるを得なくなることもままある。
しかし、やはり出力はしなければいけない。それがたとえ見切り発車ではあっても、出力すれば、なにかしらの展開がひらけることも、これまたよくあることだ。
久しぶりに早起きしたきのうの朝、それとはまったく関係のない本を読んでいるさなかに、突如、まとまりがつかなかったおとといの稿についての答えが降りてきた。
さっそく、マスメディアにおける「土木作業員」という呼称についての考察、続編を一気呵成に書いた。ふだんこのブログに書く量の3倍ほどはある長文だ。
ではアップロード、といきたかったが、「ちょっと待てぃ」と別の自分が押しとどめた。読み返してみると、推測や憶測で書いているところが多い。ついでに、おとといの稿も読み返してみた。右に同じくである。なにか肝心なところが抜け落ちている。
そう。一方の当事者である新聞社の側の主張であり根拠でありには、いっさい考慮がおよぶことなく、推測や憶測で書いている。これはおかしいのではないか。そう考えた。しかし・・・
新聞記者に知り合いがいないではない。だが、こういうところを聞くとなると・・・
ひとりの顔が思い浮かんだ。彼しかいない。さっそく、長文の質問を送ってみた。
その日のうちに返ってきた答えは意外なものだった。
返信にある前置きによると、個人の意見で答えるのもどうかなと思い、本社の用語担当者に確認してくれたという。その答えは・・・以下、要点を箇条書きにする。
・それについては、職業差別につながるのではないかという指摘があり、社内でも議論があるが、今のところ使いつづけている。理由は次のとおり。
・警察など官公署の広報文の職業欄が「土木作業員」になっている。
・土木会社社員ならば「会社員」という表記が正しいのではないかとも思われるが、警察は会社名を公表しないことが多いので、会社員かどうかの確認がしづらい。
・「塗装工」などにも同じような指摘が寄せられている。
ちなみに、返信のなかには、かつての警察の発表文が「土工」という呼称であったことなども記されていた。
そこでわかったことは、マスメディアにおける刑法犯罪の容疑者や被告につける「土木作業員」という肩書が、「悪意」でも「空気」でもなく、警察発表をそのまま使用しているだけのものだったということと、同業諸氏の「悪意である」という意見も、わたしが言うところの「空気」(への忖度)であるという主張も、まったくの的外れだったということ。まさに憶測や推測でしかなかったということだった。
なんともはや・・・間が抜けた自分自身はとりあえず横に置くとして、この問題の直接的なターゲットはあきらかになった。
これはわたしのような辺境の土木屋風情が出る幕ではなさそうだし、どうしようもできないことではなく、それ相応の「力」を用いることにより変えることができる問題のようだ(それ相応の力を持つ側の人間が変えなければならないという気になるかどうかは別として)。
とはいえ、「改名」の是非についてはまた別である。
「土工」が「土木作業員」になったという事実を知れば、なおいっそう、問題は「改名」うんぬんではないと言わざるを得ない。蔑称としての「土工」という言葉を使用しないようにしたのが誰(どの機関)なのか。それはどういう経緯でそうなったのか。その詳細はわからないが、その(まともな)「言い換え」が「土木作業員」だったという歴史的事実は、(小手先の)「言い換え」ではなにも解決しなかったという結果とともに、根本的な問題はそこにはないということを、わたしたちに教えてくれる。
ということで、きのうの朝、突然降りてきた「土木作業員」問題に対するわたしなりの結論は、前提が崩れてしまった以上、残念だがとりあえずは陽の目を見せることができない。しかし、既に出ていた持論はより固まったものとなり、いっそうその思いが強くなった。
「土木作業員」を「土木職人」にするのも「土木技能者」にするのも、今風のなにか別の名前にするのも、けっしてわるいことだとは思わないが、そのようなものでは問題は解決しないどころか、問題解決の糸口にすらならない。
そういうことである。