「酒は飲んでも飲まれるな」
という格言(?)については何度か書いた。
飲酒に際しては「飲まれる=自分を見失う」ことを避けるように心がける。飲み始めた若い時分から五十年近く経った今に至るまで、多くの場面でそう戒めてきた。
といっても、いつもいつでもそれが実現できたかというと、そのようなことがあるはずもなく、それはもう、数多くの失敗を積み重ねてきたことは言うまでもない。
であるからこその「酒は飲んでも飲まれるな」だが、そもそもそう意識しなければならないということは、すなわち「飲んだら飲まれる」の裏返しに他ならない。
そんな至極当たり前のことに、あらためて気づかされたのは昨年末。桂浜水族館の公式Twitterアカウントによってである。
そこにアップロードされていたのは、次のような投稿だった。
「酒は飲んだら飲まれんねん」
食後、飲んでいた茶を思わず吹きかけた。
いやあ~、そうなのである。
酒を飲む「と」酒に飲まれる。
これは極々ふつうのことであって、特段めずらしいことではない。
なんならば、
酒は飲む「が」酒には飲まれない。
こっちの方がめずらしいということを実証するのは、さほど難しいことではない。そこらへんの酒場へ行けば、老若男女にかかわらず、いつもいつでも「飲まれた」人間を目にすることができる。
であれば、「酒は飲んでも飲まれるな」という格言(?)は、それ単体で用いるべきではなく、「酒は飲んだら飲まれんねん」とセットで使われるのが効果的だ。
いやいや、もっと根源的にはこうだろう。
「酒は飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒を飲まなきゃ飲まれない」
これがベストソリューションである。
しかし・・・それではあまりに味気ない。
だからわたしはコッチを採用する。
「酒は飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒は飲んでも飲まれるな」
いやこれでは、言葉が東西ごちゃまぜだ。
どちらかに統一しよう。
関東的には
「酒を飲んだら飲まれるよ」 → ∴「酒は飲んでも飲まれるな」
関西的には
「酒を飲んだら飲まれんねん」 → ∴「酒は飲んでも飲まれたらあかんで」
よし、これでイイ。