答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「ゆるすぎ〜る」CIM

2020年01月23日 | オヤジのICT修業

 

きのうも書いたように、

設計変更で躯体のすべてが仕上がらなくなった旨を、地域の人たちや関係各所に伝えるための「工事だより」に、上のような3Dイメージをつくって載せるための画像だ。

そしてこれもきのう紹介したように、スケッチアップでつくっている。

ではこのあと、この構造物はどうなるのか?

その結果を、同じ「工事だより」上に載せなければならないのは当然のこと。

では、どのようなモデルにすればよいのか?

現在と未来(この場合は、ひと月先の未来とそれから3ヶ月ほど経過した未来)とを比較する場合、同じ土俵の上で異なる結果を表現するのがセオリーだろう。そのほうが読み手に理解しやすい。

しかし・・・

ここは少しひねってみることにした。

 

 

トレンドコアでつくった3Dモデルに、道路工事を担当したことがある技術屋にはおなじみの、「赤が実績」「青は計画」という色分けをしてみた。

そしてそれを、3DPDFでエクスポートし、加工をほどこしたものが上の画像だ。

つまり、

 

これが

次の工事では

こうなりますよ。

という比較である。

エラそうに開陳するほどのものではないし、CIMと呼ぶに値するほどの大層なものでもない(だから「ゆる〜いCIM」なのですが ^_-)

今日、言いたかったことはただひとつ。

ひとつのアプリケーションやひとつのツールに執着することなかれ。

また、ひとつのソフトウェアベンダーに依存するなかれ。

自分のアタマで考えて、自分の身体で実践してみると、おもしろいことができたりする。

 

以上、「ゆる〜いCIM」どころか、「ゆるすぎ〜るCIM」。

ごくごく些細なことから、あらためてそう思わされたので、備忘録(のようなもの)として。

 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スケッチアップ

2020年01月22日 | オヤジのICT修業

久々のCIMネタ投稿だ。

しかも、ここでは珍しいことこのうえない、固有のアプリケーションに関する話である。

 

 

 

現在進行形の橋台工事。

設計変更で躯体のすべてが仕上がらなくなった旨を、地域の人たちや関係各所に伝えるための「工事だより」に、上のような3Dイメージをつくって載せた。

使用ソフトはスケッチアップだ。

わが社の3Dモデル制作は、トレンドコアとスケッチアップの両刀づかいなのだが、基本的にはトレンドコアでつくることの方が多い。やはり、「土木」に特化しているという部分での使い易さがあるからだろう。

しかし、こうやってあらためて見てみると、「伝える」あるいは「見せる」ためのツールとして、やはりスケッチアップは捨て難い。というか、わたしは、スケッチアップのほうが好きだ。

そういえば数年前、わざわざ瀬戸内海を渡ってわたしに会いに来てくれた御仁がいた。わたしがやってきたことやっていることを聞き、自社がステップアップするためのヒントを得ようとしてきたようだった。多岐にわたった話題がCIM関連に入ったとき、「どのようなアプリケーションを使えばよいか」という質問に「スケッチアップを愛用している」と答えたわたしに対し、彼は、「お絵描きソフトでしょアレは」と言い放った。「ずいぶん失礼なやつだな」と思うとともに「かわいそうな人だな」とも感じたのを覚えている。推測するに、いっしょに来ていた数人の部下にイイカッコをしたかったのだろう。当然のことだが、それきり彼と袖触れ合うことはない。

 

 

この画像をつくっていて、そんなことを思い出してしまった。

「お絵描きソフト」

たしかに、そうでもある。

しかし、もちろんそれだけではない。

スケッチアップ、

なにより、「オヤジのゆる~いCIM」にとってなくてはならないアプリケーションだもの、

わたしは好きだ。

スケッチアップ、

なめたらいかんぜよ (^^)

 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紙とえんぴつ

2019年11月25日 | オヤジのICT修業

お気づきの方もおられるだろうが、日曜日のブログ更新をやめてから2ヶ月ほどになる。

これまでは、「今日は書けない」あるいは「書くネタがない」日には更新しないできた。不定期である。

もともとが行きあたりばったりで生きている身だもの、それでどおってことはなくやってきたのだが、ある日突然決めたのだ。

日曜は休みだと。

とはいえなんのことはない。諸事重なりバタバタして、更新できない日曜日が何日かつづいていることに気づいたのがキッカケとなっただけのことだ。

また、元のように不定期の休みに戻る可能性はじゅうぶんある。

あくまで今のところ、というただし書きつきの日曜休日だ。

ということで休み明け、週はじめの朝だ。ライトなネタでいこう。

 

 

残土処理場予定地をレーザースキャナで測量し、点群データにした。

もちろん、わたしが、ではない。測ったのもつくったのも22歳の若者だ。いわゆる技術者では(まだ)ない。土木のドの字も知らずに作業員として入社4年目。たとえば「測量は技術者がするもの」とか「位置出しは技術者がやらなければならない」とかいった既成概念を打ち破って、あたらしい働き方を模索しようとする試みの最先端に適役だと指名したこちらの思惑と彼の特性がばっちり合致して、すくすくと育ちつつある過程の有望株だ。

そんな彼が、ひとりで測量し、ひとりでデータをつくって、「こんなんできましたけど」とわたしを呼んだ。

「このあとどうしますか?」

ひとしきりグルグルと画面に映し出された残土処理場予定地の3Dを回し、全体のイメージをアタマに入れたわたしは、そのあとに行う作業のイメージをどうやって彼に伝えようかと、ほんの少し考えたあと、おもむろにデスクにあったA4サイズの紙を取り上げた。

「これに描いてえいか?」

で、言葉で説明をしながらできあがったのがコレである。

 

 

点群データを使って測量結果を報告し、「このあとどうしましょ」と問う22歳の若者に設計データをつくってもらうべく、62歳のオジさんが使ったのは・・・・

な、ナント・・

紙とえんぴつ。

 

それでよし。

これでイイのだ。

これもまた、いや、ある意味これこそが、わたしが標榜するところの「ゆる~いCIM」なのかもしれないのだもの。

ということで、

今週もよろしくお願いします。

では。



 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

  

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イソップとサンテグジュペリ

2019年11月02日 | オヤジのICT修業

 

高校生を相手に、「技術指導」と名づけられた授業に使うスライドが、なぜかイソップ寓話のなかのひとつ、『犬とニワトリとキツネ』。じつはこれが、「未来をイメージできない、あるいは、イメージしている未来がちがう」ことから生じるさまざまな問題を説明するのにもっとも適した物語で、わたしのCIM話には欠かせないコンテンツなのだ。

そして、3時間半におよんだ授業の締めくくりは、

 

 

サンテグジュペリ。

・・・・・・

正解などわからない。

必要なのは前進する力を常に想像しつづけること。

正解など、そのあとで見つかる。

・・・・・・

「技術指導」の締めくくりが精神論とは、まったくもって困ったオヤジだ、、、と思う向きもあろうが、いやいやさにあらず。

 

「君たちに贈ります」

という言葉に真摯に反応して聴いてくれた生徒たちが目の前にいた。


ありがとう。

また来ます。


もちろん、「需要があれば」という括弧つきではあるものの、そう独りごちながら丘の上の校舎をあとにする辺境の土木屋61歳と10ヶ月なのだった。



 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

 

 

  

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『スケッチアップ技術指導』という講義をしたこと

2019年10月18日 | オヤジのICT修業

 

安芸桜丘高等学校環境建設課土木専攻の3年生を相手に、3時間半の授業が終了。はじめて民間講師とやらを務めさせてもらったのが2009年だから、丸10年になる。

記念の今年はこれまでとチト趣向を変えて、「3Dモデルをつくろう使おう」と題し、SkechUpの初歩から中級のさわりまでを駆け足で教えてみることにした。今日は計2回つごう7時間の、その半分だったというわけだ。

じつは3Dネタは数年前に一度やっている。

しかしそのときは、わたしが概論を話して道筋をつけ、実際のテクをレクチャーするのは別の人にお願いするというパターンを採用した。有り体に白状すると、実際のオペレーションを教えることに自信がなかったからだ。

ではなぜ今回は請けたのか。

わたしひとりで全部をやってみようと思ったのか。

そこそこ「実際につくる」という経験を積んで、「できるだろう」と踏んだという側面もある。

しかし、テクニックの説明だけならわたしよりも適任者がいる。それをさておいて「よしやろう」と決めたのは、ジジイにはジジイの教え方というものがあるという、少なくない自信がふつふつとわいてきたからだ。そして何より「やってみたかった」、すなわち「アウトプットしてみたかった」。

結果、初日はまずまずだった。

受講者である生徒さんや担当教員さんの感想を聞いてもいないうちに、「まずまずだった」というのは、少々不遜だと思わないでもないが、とりあえずは「まずまずだった」(はずだ)ということにしておこう。

歳歳年年人同じからず。

依頼する側のニーズもまた変化する。

そのなかで、「変わらずに伝えなければならないこと」を忘れずに伝えつづけることもたいせつだが、これまでと毛色を変えるのもまた必要だ。


ん?

毛色?

毛?

色?

毛がないアタマにゃ色もないやろが?


ひとりでボケて独りでツッコむ。

アウトプットの重要性を、あらためて痛感させられた日だった。


 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

  

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

iPhoneでする仕事

2019年10月08日 | オヤジのICT修業

某現場にて。

発注者、設備、建築等の各関係者が集って打ち合わせをする。わたしは手ぶらだ。

会社を出るとき、「iPadを持っていくか?」と一瞬だけ躊躇したが、すぐに思い直して手ぶらで行くことにした。

いや、正しくは「手ぶら」ではない。ポケットのなかにはiPhoneがあるからだ。ソイツの存在があるからこそ、「iPadを・・」という心の声を無視して、意識的に「手ぶら」を選択した。むろんのことながら、「紙」は選択肢にも上がらない。

 

「設計書で計上されている数量はなんぼでしたっけ?」

「アソコからコチラまでの距離は?高低差は?」

「アレどうでしたっけ?」

「ココどうなるんでしたっけ?」

 

他人からの質問はもとより、自分自身が確認してみたいことも、そのすべてを、いつもの作業スペースである某クラウドにあるファイルを開き、見たり見せたりを繰り返し、打ち合わせはすこぶる順調に推移したあと散会。手に持ったiPhoneをしみじみとながめてみた。

「やるじゃないか」

もちろんそれは、iPadであっても差し支えはなく、いやむしろ、打ち合わせという場での他者との共有と視認性という意味からすると、断然iPadのほうが有利なのだろう。それを否定したのは、それすらも持ちたくなかった今日のわたしのズボラさゆえでしかない。

それやこれやを含めてまた、ポケットから取り出したiPhoneに語りかける。

「やるやんか」

 

たとえば「今までこうしてきたから」。またたとえば「これまではこのやり方だったから」などなど。現在採用している方法や手法にいささかの懐疑の念を持つことなく、それをつづける。そういうマインドセットと行動からは、「積み上げてきたもの」以上の成果は生まれない。歳をとったからもういいではない。歳をとったからなおさら。若いのならもっとなおさらだ。

念のため言うと、「クラウド+タブレットという仕事の仕方(プラス3D)」など、今さらはじめて知ったことでも、今になってやっとわかったことでもない。ただ、積極的にそれを使ってこなかったわたしが、思いきって踏み出してみたら、一歩進んだというだけのことだ。自慢するほどのことでもない。

以上、にもかかわらず、「ワシ、やってるもんね」などと胸を張って広言してみた。

ジジイのIT修業は、なおつづく。

 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー 

 

  

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お絵描き

2019年08月10日 | オヤジのICT修業

 

お絵描きに夢中になっていたため

ブログのネタがない。

こういう類の仕事に没頭するというのは、

「ブログを書く」などという行為ともっとも親和性が低いのだろうか、

アタマがブログ脳に切り替わらない。

今日は休もうかとも思ったが、

こんなところでお茶をにごすことに・・・

いやいやこれもりっぱな近況報告だ。

なんとなれば、

未だに「ICT施工」はやらないけれど、

「ゆる〜いCIM」の旗をおろしたわけではない。

というか、あいも変わらず(世の中の進歩のスピードに比すれば)亀の歩みかもしれないが、着々と進行中。

そういう意味では、これもりっぱな近況報告ネタにはちがいない。

 

ということで、本日のブログ、いっちょうあがり。

では、またあした。



↑↑ インスタグラム ーisobegumiー

 

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[あたらしい仕事のやり方/あたらしい技術]

2019年07月29日 | オヤジのICT修業

北国の、とある建築工事現場の打ち合わせ模様。

複雑な形状の分譲マンションをつくるにあたって、担当作業所長はわかりやすい3Dモデルを会議室のスクリーンに映し出し、「さあやるべ」と勢いこんでのぞんだが、参加したデベロッパー、設計事務所、電気工事屋、設備工事屋などなどの各担当者は、従来の二次元図を見ながら、ああでもないこうでもないとディスカッションをしていたのだという。

思わず吹き出しかけたそこのアナタ、気持ちはじゅうじゅうわかるのだが、わたしはそうではない。

笑えないのだ。

なんとなれば、わたしの周囲には、そんな話は掃いて捨てるほどあるからだ。

それが現実だ。

先日、身内の現場の工事打ち合わせ模様。

担当者の説明に合わせて、道路工事の3D完成イメージをぐるぐる回しながら見せるわたしの脇で、その3Dイメージをいくとおりかの面でスクリーンショットし、事前に印刷しておいたものを配る人、そして、机の上に置かれたその紙に見入る人たち。

これまた先日、各発注機関も入ったある意見交換会でのひとコマ。

CIMやICTを取り入れた、いわゆる先端技術を、パワーポイントで説明するそのスライドを、事前にプリントアウトして参加者全員に配っていたものだから、大半の人たちは机上に視線を落とし、紙の資料をぺらぺらとめくりながらプレゼンテーションを聴いている。

 

どれもこれもが、日常茶飯事よくある風景。

「あたらしい技術」を取り入れているのに「仕事のやり方」を変えようとしないため、効果は半減、どころか、ほとんど効果を生み出せない場合さえある。

 

 

「あたらしい技術」という分母をいくら大きくしたところで、「あたらしい仕事のやり方」という分子が小さいままでは、逆効果にさえなりかねない。

「あたらしい技術」を取り入れるという行為は、「仕事のやり方」を変えよう、あるいは「あたらしい仕事のやり方」を見つけよう、という意思とそれに基づいた試行錯誤のなかからしか、有意義なものとなり得ることができない。


 

自分独りでどうこうできるものではないのがもどかしく、そしてたまらないぐらいの困難を伴うのだけれど、とはいえわたしはあきらめない。

ぜったいにあきらめない。

なんとなればだ。

竹原ピストルさんも歌っているではないか。


♪ 積み上げてきたもので勝負しても勝てねえよ

  積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ ♪


そんなことなどを、裏山の林道を歩きながら思った朝。

今日も暑い。

 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー

 

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オジさん、あがく。

2019年04月26日 | オヤジのICT修業

きのうは愛車二代目マルモッタン号に4人が乗り、峠越えでお隣りの県へ。

一夜明けた今朝は、一日じゅうパソコンとにらめっこしていたせいで、歯が疼き目は眩んでいる。

それでもやらなければならない。なんとなれば、おじさんにはおじさんの、爺さんには爺さんの役割があるからだ。「いやいやソレはもっともだけど、ソノ分野は範囲外ではないのかい?」とおっしゃる向きもいるだろう。だが、わたしは明確にそれを否定する。

おじさんだから・・

あるいは、

爺さんだから・・

と嘆く前に、あきらめる前に、あがいてみるべきだ。

おじさんだから適応できない、あるいは、爺さんだから適応できないのではなく、あたらしいことにチャレンジしようとしないから適応できない。つまり、あたらしいことにチャレンジできないおじさんだから、もしくは、あたらしいことにチャレンジできない爺さんだから適応できないのだ。たしかに、年寄りになればなるほど「あたらしいこと」への適応力は鈍る(あくまで一般的には、です)。しかしそれは、「やらない」あるいは「やりたくない」ことの免罪符とはなり得ない。なぜならば、そもそも仕事というものがそうであるからだ。仕事を覚えるプロセスには変化がつきものだ。仕事のやり方を進化させる過程でもそれは同様だ。であれば、加齢やそれにともなう脳と身体の劣化を言い訳にしてそれを放棄するのは、ココロもまた劣化していることの証明に他ならない。たしかに、脳や身体は劣化する。だからといって、ココロが萎えてしまっては、年寄りの年寄りたる意義がなくなってしまう。

あたらしいことにチャレンジしつづけるおじさんは、そして、あたらしいことにチャレンジしつづける爺さんは、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた過去から得た「引き出し」の蓄積と、その繰り返しからでしか生まれない「経験と勘」がある分、強いのだし、若い人には見え難いものが見えてくる。

とりあえずはいくつになってもあがく。

歯は疼き目は眩む。

肩は痛いし首も痛い。

それでも、わが身を叱咤激励しながらあがく。

そのうえで、年寄りは年寄りの役割を選択すればよいのだ。


と、気づいてみると、不特定多数の高齢技術者に向けて書いていたつもりの文章が、いつのまにかその対象はあきらかに自分自身になっていた。一夜明けてもまだ興奮冷めやらぬオジさんなのである(今日も行くケドネ)。

 

それはさておきなにはともあれ、あつかましい一方的な願い事をオープンマインド全開で受け入れてくれた先方さんには感謝感謝なのであります。ありがとうございます(って、さておいてないじゃないか ^ ^)。


さて、行くとするか。



 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

iCOLOCOLO

2019年03月30日 | オヤジのICT修業

 

 

つい先日、3名でのぞんだ発注者との打ち合わせの席上、3Dモデルをぐるぐる回したりドローンで撮った俯瞰画像で説明したりのわたしと、そのかたわらで2次元図を拡大したり不明な点を検索したりの「若」。iPad を2台駆使しての打ち合わせが終わったあと、どちらからともなく、「今日はけっこう上手に使えたね」としたり顔で、ささやかな自己満足にほんの少しだけれど浸っていた。

そりゃそうだ。

苦節七年である。

iPad を仕事に使おうとしたはいいが、なかなかものにはならず挫折。一念発起して再度チャレンジをはじめてから、まだ数ヶ月しか経ってないが、今度はなんとかなりそうな、そんな確信めいたものができている。

さてその iPad 。さほどキレイ好きとはいえないわたしだが、ディスプレイの汚れが気になって仕方がなかった。iPad にかかわらずタブレット全般がそうなのだろう。いやスマートフォンにせよ PC にせよ、指の脂や汚れが画面につくのはタッチパネルが持つ宿命だ。繰り返すが、お世辞にもキレイ好きとはいえないわたしだが、妙に神経質な部分も併せもっており、気になりだすとこれがどうにも、、、

 

 

そんなとき、知ったのがこれだ。

 

 

キングジム タッチパネルクリーナー 保護フィルム用 iCOLOCOLO C1820 グレー
キングジム(KINGJIM)
キングジム(KINGJIM)

 

 

 

うん、快適。

iPad、

苦節七年艱難辛苦の末、なんとかものになりそうな気配である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする