答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「書く」と「考える」の相互扶助

2024年12月25日 | ちょっと考えたこと
思うに今のぼくの「書けない」は、思考したことを綴り、あるいは綴りながら思考をするうちに、論理の筋が外れたりつながらなかったりすることに思い悩み、どうすりゃいいのさと思案したまま脳が立ち往生してしまうことにその多くの要因があるようです。
といっても、なにも飛んだり跳ねたりするわけではないのですが、横っちょに行ったりループしたり、あるいは地下へ潜ってしまったりと、まともに行くことはほぼありません。

推測するに、その直接的な要因は、「書きながら考える」というぼくのスタイルにあるようです。結論ありきで書くのならば、そこに向けてまっすぐ歩みを進めればよいだけなのですが、ぼくの場合はそうではありません。

総じて書き始めはよいのです。しかし、「書きながら考える」うちに、ついていく枝葉に、「ありゃ、これはどうなんだろう」と思い始めたときは既に遅し。当初脳内で描いていた結論には戻れなくなっていることがほとんどです。
結論がまちがっていた場合しかり、結論に向けた推論が、その結論には相応しくなかった場合しかり。いずれにしても、そこでまず立ち往生してしまいます。幸いにして、七転八倒してそこを突破することができたとしても、時としてそれは、さらなる深みへといざなう罠だったりもします。

いや、それがわるいと言っているわけではないのです。ただ、展開に追いついていけない自らの思考と、その主体であるぼくの脳が至らないだけのことなのですから。

そもそも「ものを書く」というのは、考えを整理することにつながる行為です。考えを整理することそのものだと言っても過言ではないでしょう。

このブログをはじめてから十数年。それは、「書く」の訓練であると同時に、「考える」トレーニングでもありました。「書く」に「考える」が追いつかないから「書けない」。「考える」に「書く」がついていけないから「書けない」。どちらがニワトリでどちらが卵かはその時々で変わるにしても、その現状を打開するためには「考える」と「書く」、もしくは「書く」と「考える」をセットとして、もがきつづけるしかありませんでした。

今となっては、たしかにその甲斐はあったと断言することができます。その成果のひとつとして、そこそこ長い文章が書けるようにもなったし、それはすなわち、思考を深め論理を展開することができるようになったということでもあります。ぼくの内では、あきらかにフェーズが変わりました。

ところが、そうなればなったで、また次元の異なる問題が待ち受けていました。
思うにたぶんそこまでは、誰でもが到達できるようなレベルなのでしょう。しかし、何をやるにつけても、どこかで必ず能力不足が露呈する局面がでてくるものです。はたしてそれが、ヤル気と気合、あるいは努力次第でどうにかなるものなのか、それとも、そのようなものでは不足している能力を埋めることができないのか、その判断はちょいとばかりむずかしく、それを打破しようとするのは、なおさら困難なことです。

あきらめるという手はあります。
「大人」というのは、正しくあきらめることができる人のことを差して言うのかもしれません。
目の前に立ちふさがった壁の厚さや高さを確かめもしない内にあきらめるのは論外ですが、それを越えようと足掻いた結果、乗り越えるのは無理、あるいは困難極まりないと判断すれば、正しく撤退し、別の方策を考え実行するひとを、ぼくは「大人」と呼びます。
であれば当然のこと、あきらめきれない自分自身を、そう呼ぶことはできません。少なくともそれは、成熟した大人のすることではないと断じます。

未練だよぉ。
さっさとあきらめなよ。
別の自分がそう声をかけてきます。
しかし、「書く」と「考える」の相互扶助による数々の成功体験を内に抱えてしまったぼくは、それをあっさりと手放すことができません。

かくしてぼくの「下書き」は増殖しつづけていきます。
とはいえ、この稿もまた、その一群のなかから陽の目を見せることができたのですから、やはりあきらめきれないのですよねぇ。


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ギャップ2

2024年12月19日 | ちょっと考えたこと
視力がよかったから、記憶力がよかったから。だからより一層、今の自分に幻滅する。しかし、考えてみればその感覚には、少しばかりの思い違いがあるのかもしれない。「出来た」が「出来なくなった」は、多くの場合で、過去の自分と今の自分という比較にしかすぎないからだ。

と書いたきのう。
そうとばかりも言えないのではないか、と思えてきたので、過去の自分と今の自分とのギャップにまつわることなどについてまた考えてみた。
「思い違い」といえば、「出来たが出来なくなった」という感覚こそがその最たるものなのではないかという疑念が生じたからだ。
といってもそれは、突然降って湧いたように生まれたわけではない。ここ数ヶ月のあいだで、折に触れては降りてきて、また、ひょんなことから湧いてきてを繰り返し、ぼくのなかでは確信に近いものになりつつあった。

それはつまり、こうである。
「本当は昔も今もそれほど変わっていないのではないか」

たとえば、「デジタル機器やアプリの操作が理解しにくくなった」という事象を例にとれば、元々ぼくは、その手のものに対する理解力が乏しかったし、マニュアルや説明書を読んで、そのやり方を理解するというのが苦手だった。
理解力という点でいえば、理数系なそれとなるとてんでダメである。
昔も今もそれは本質的にはなんら変わったところがない。以前からダメだったものが、もっとダメになっただけであって、その差が特別大きいわけではない。
では文系ならばよかったかというと、理数系に比べるとずいぶんマシだというだけで、それほど優れていたわけではない。難解な理論や教義を説いた本にも幾度となくチャレンジしたが、そのたび直ぐにおとずれる眠気とともに沈没したものだ。これもまた、今も大差はない。

それらがなんとかなってきたのは、ひとえにぼくの諦めのわるさからであって、「出来る」ようになったからではない。石に齧りついた、あるいは齧りつづけたから、その結果として、せめて表面なりとも歯が立つようになっただけであって、それを噛み砕くほどの能力を身に着けたわけではない。それは誰よりも当の本人が知悉していることだ。

ところが、いつしかそれを「出来る」と勘違いした。
いや、それ自体は責めることではない。それをしてしまうと、諦めずに齧りつこうとしてきた当人のこれまでが浮かばれない。だから、断じて責めるべきではない。
問題があるとしたら今だ。今の自分に対する現状認識と、かつての自分に対する過大評価が相まって、そのギャップを必要以上に大きくしていることにこそ問題がある。

もっと出来たはずなのに。
この意識そのものが幻想だ。
もっと出来た過去など存在しない。
いつもいつでも、ぼくは出来なかった。
出来たとしても、そこそこにしか出来なかった。
もっと有り体に言えば、出来るように見せかけてきた。
それはたぶん、出来ない自分が許せなかったからだ。
出来ない自分をさらけ出すのが嫌だったからだ。

では、この先はどうすればよいのか。
まずは出来ないを認める。
加齢によってそうなったという面はたしかに否めないが、元々も(それほど)出来ていたわけではない、を認める。
そして許す。
人は誰かに認められ許されたとき、そこに慈悲心を感じ、その先の望みを見出す。それは、自分に向けたとしても、同じことであるはずだ。

出来ない(出来なかった)自分を認めて許す。
ダメな(ダメだった)自分を認めて許す。
出来ない(出来なかった)自分を出来るようにしようとした自分を認め、それでもなお出来ない(出来なかった)自分を許す。
ダメな(ダメだった)自分をダメでないようにしようとした自分を認め、それでもダメな(ダメだった)自分を認めて許す。
だからお願い。
許してちょんまげ。


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ギャップ

2024年12月18日 | ちょっと考えたこと
視力がよい人は老眼になるのが早いという。たしかにぼくにも覚えがある。
四十代の前半から老眼鏡のお世話になるようになったぼくは、視力検査というものに初めて出会ってから数十年間ずっと、両眼ともに2.0の視力をゆずらなかった。
なのでぼくには、世の中が「ぼんやりと視える」という体験がほぼない。したがって、それがふつーだという近視の人たちの感覚がよくわからない。
だからだろうか、白黒はっきりつけたがる性分なのは、とも思うのだが真偽の程は定かではないし、今日の主旨はそこではないので、いずれまた、ということで前へ進む。

思うに、齢を重ね老境に達するということは、出来ていたことが出来なくなったと同義である。
いや、身体機能的にはたしかにそうにはちがいないが、精神の上では、必ずしもそう断言することはできない。亀の甲より年の功。経験を重ね歳をとったからこそ出来なかったことが出来るようになったというのはよくあることだ。
しかし、それはそれとして脇に置いとくと、やはり、加齢もある一定の線を越えてしまうと、どんどんと出来ていたことが出来なくなってしまうのは否定しようがない現実だ。

酒しかり、運動しかり。
外部機能だけではない。
記憶力しかり理解力しかり。
酒が呑めなくなった。筋力や持久力が衰えた。
人の名前や使いたい言葉がすぐ出てこない。
デジタル機器やアプリの操作が理解しにくい。
枚挙にいとまがない。

それが、自分が得意だったことならなおさらだ。
視力がよかったから、記憶力がよかったから。だからより一層、今の自分に幻滅する。
しかし、考えてみればその感覚には、少しばかりの思い違いがあるのかもしれない。
「出来た」が「出来なくなった」は、多くの場合で、過去の自分と今の自分という比較にしかすぎないからだ。
たしかにそれは、悲しいことにはちがいない。
しかしそれが、自分で思うほど悲観するようなことかどうかは、自分比較で一概に判断するべきものではないだろう。

かつてのぼくは視えすぎていた。
かつてのぼくは覚えすぎていた。
それがそうではなくなっただけのことで、世間一般の相場でいえば、それほど劣ったレベルではない。

そんなふうに自分で自分に言い聞かせたらいいのではないかと、ふと思った。
ダメだろうか。ダメだろうなぁ、やっぱり。



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漢字か平仮名か

2024年12月12日 | ちょっと考えたこと
「現地の人のしこうに合わせて」
というそのテロップが画面下に流れたのはNHKの朝のニュース。東南アジアのコーヒー事情に関する報道だった。

いくらなんでも「しこう」はないのではないか。
と感じたぼくは、皆さんご存知のように、「わかりやすく」を標榜し、また花森安治に習い「ひらがな」で書くことを自らに課してきた者だ(近ごろでは宗旨を少しだけ変えたが、それについてはまた後日)。

山本夏彦は、その花森の「実用文十訓」を紹介した『私の岩波物語』でこう書いている。

******
字句を吟味して、耳で聞いてわからぬ言葉は使うまいとした。極力平がなで書いた。平がなばかりだと読みにくくなる。要所要所に漢字がほしい。そのあんばいに苦心した。だから誌面はかな沢山でまっ白でありながら読みやすいのは苦心の存するところで、ぱっと誌面をひろげてながめて感心したことがある。
******

花森に習おうとしたぼくもまた、これにはずいぶん苦心した。その挙げ句、これだ、という法則やルールを確立させるには至らなかったのだから、エラそうなことを言えた義理ではない。
しかし、そのぼくでさえ「しこう」には呆れてものが言えなかった。いや、そのぼくだからこそ、だろうか。

しこう。
思いつくままに列挙しても、思考、志向、指向、嗜好、試行、施行、歯垢、紫香。そこから、何らの予備知識がなく「現地の人のしこうに合わせて」という文面に合わせたものをチョイスすると「思考、志向、指向、嗜好」の4つ。
「歯垢」という字も無理やり合わせられないではない(現地の人の歯垢)が、まさかそれではあるまいから、4つに絞ってさしつかえはないだろう。
現地の人の思考、現地の人の志向、現地の人の指向、現地の人の嗜好。
と、そのような面倒くさい手順を経ずとも、ニュースを見ていたぼくには、それに当てはまる漢字が「嗜好」だということがわかっている。

しつこいようだが繰り返す。
「現地の人のしこうに合わせて」

そこは「嗜好」しかないだろうが。
呆れ返りつつ心のなかでツッコミを入れた。
たしかに、一般的な小学生なら読めないかもしれない。
それが大人ならどうだろうか。ぼくは読めると信じたいが、そうでもないかもしれない。しかし、書く側が、たとえこれは読めないかもしれないと思っても使わなければならない漢字がある。この場合は確実にそれに当てはまる。

たしかにむずかしい問題ではある。キーを叩き、あるいは画面をフリックして出てきた変換候補にもとづいて漢字化するだけなら、何らの困難もともなわないが、少なくとも、伝えようとする側のことを考え、一つひとつを漢字にするか平仮名か、はたまたカタカナで表現するかを思案しながら文章を書くとなると、そのチョイスはかんたんではない(しかも想定するその相手が不特定多数であればなおさらだ)。

しかし、その困難さを身をもって体験してきたからこそ思う。
漢字か平仮名か、はたまたカタカナか。その思案において、「読み書きするのが難しいから」という選択理由は必ずしも正しくはない。たとえ、その字面からは読み取れなかったとしても、前後の文脈から判断すればなんとなくわかる程度なら、漢字を使うべきだ。それが、二字以上の漢字が結合して一語をなすもの、つまり熟語なら、原則として平仮名にするべきではない。

すると、ひるがえってオレはどうなんだ?という自問が浮かんできた。
いやぼくにかぎって決してそれは・・・・ない、と思う・・・・たぶん。
いやいや、ここはけんきょに、もってたざんのいしとすべし。

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あんどぅりどぅ

2024年12月11日 | ちょっと考えたこと
「あゝ元へは戻せないんだよなぁ」

スマートフォンやタブレットを使っていると毎日のように思う。
長いあいだPCを日常的に使うなかで、アンドゥ(元へ戻す)とリドゥ(やり直す)が至極当たり前のこととして脳内に染みついてしまったぼくには、それができないことに対しての違和感がハンパない。
それが紙ならば、はなから期待をしていないので、文字を消したり書き直したりすることに違和感はないのだが、やはりもどかしさは残る。

「あゝ元へ戻すことができたらいいのになぁ」
いやはや困ったものだ。

あえて言うまでもないが、現実世界にはアンドゥもリドゥもない。吐いた言葉は取り消せないし、実行済みの行動はやり直すことはできても、なかったことにすることはできない。

「生きる」ということは不可逆だ。不可逆を連続して生きているのが人間だとも言える。それゆえに選択や判断がむずかしいものとなるのだし、失敗を恐れ不安感も生じる。だからこそ「生きる」というのは辛いが、その一方でおもしろくもある。したがって、すべてが元へ戻せたらよいのになというぼくの夢想が実現したところで、それはつまらないこと甚だしいものにはちがいない。

アンドゥ・リドゥの普及は、パーソナルコンピュータの一般化と軌を一にしている。一般大衆へのPCの普及においてその機能は、かなり重要な位置を占めていたのではないだろうか。
思い起こしてみてほしい。かつて、ぼくを含めた大多数の人にとって初めてのパソコンは大なり小なり不安感の対象であり、その操作は試行錯誤の連続だったはずだ。そんななかで、アンドゥ・リドゥ機能は、入力ミスや誤操作が、やり直し可能で修正できるものだという安心感をユーザーに与えた。そしてそれがパソコンの敷居を下げ、多くの人々を引き込む要因となった。というのが、少々大げさかもしれないがぼくの見立てだ。

それだけなら、便利な機能が仕事効率化に役立つというデジタル化のよい見本だ。しかし、いつしかぼくはそれに依存してしまっていたようだ。
だから毎日のように思う。

「あゝ元へは戻せないんだよなぁ」

ひょっとしたら・・
と少しばかり怖ろしい推測が脳裏に浮かんだ。
それによって、元々がスピード重視のぼくの仕事スタイルは、「元に戻すことができる」というPC上の仕事の影響を受け、いっそう拍車がかかっていったのではないか。たとえばアンドゥがない環境では、まちがいやミスを防ぐための慎重さや、元へ戻せない行動に対する覚悟が必要な場面が多くあるのに、どこかでそれを軽視する行動パターンが身についていたかもしれない。
いやいや、たかだかパソコンの一機能にそれほど多大な責任を負わせるのは、かなり大げさな推論であり、責任逃れも甚だしい。

と、ふたたび現実世界のことを思う。
現実にはアンドゥボタンもリドゥボタンも存在しない。ましてやそのショートカットキーであるCtrl+ZもCtrl+Yなどは、存在する余地もない。元へは戻せない、あるいは、やり直せないことにこそ本質があり、その現実世界の不可逆性があるからこそ、言動の一つひとつに意味が宿る。

あゝそれなのにそれなのに。いちいち事あるごとに「元へは戻せないんだよなぁ」と嘆いているぼくの、なんとだらしのないことよ。
だから言う。自分自身に対して。パソコンは捨てるな。しかし、紙をもて、ペンをとれ。脳はデジタル化へまっしぐらに向かって進んでいようと、いや、だからこそ。せめてこの身と心だけは。目指すは、デジタル化によるトランスフォーメーションならぬ、デジタルとアナログのハイブリッドによるメタモルフォーゼだ。

ということで来る2025年からは、たるんだ己に喝を入れ、身と心とを引き締めるため、およそ8年ぶりに、能率手帳を復活させようと企んでいる。そんな些細なことでは、トランスフォーメーションもメタモルフォーゼも実現しないのだけれど、とりあえず。

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みんな夢のなか

2024年12月10日 | ちょっと考えたこと
夢を見た。
ブログを書いている夢をだ。
いや正しくは、書かなければならないと右往左往しあれこれを思い悩む夢をだ。

ずっと見た。
といっても、ぼくが「ずっと」と感じているだけで、科学的にはそうではないのだろうが、夜中に2度起きて、そのたびにつづきを見たのだから、感覚的には夜通し「ずっと」だ。

どのような夢だったのか。
きのうアレを書いたから今日はそのつづき。他にもコレもあるしソレもあるし、どのような順番でどういった切り口で、どう構成するか。そのことについて悩み、喧々諤々と議論をしている。
しかもそれは、ココについてなのかアッチ(現場情報)のことなのか。ネタや内容がクロスオーバーしていてよくわからない。
そんな夢だ。

その対話の相手は、他ならぬぼく自身だ。
夢を見ている当事者としてのぼくが、夢のなかの登場人物としてのぼくに話しかけている。
そのぼくもこのぼくも、すべてがぼくの脳内にしか存在していない。
ということは、ぼくがぼくのアタマのなかで右往左往しながら思い悩んでいるにすぎない。

といっても、ご多分にもれず、目覚めたあとにはその大半が忘却の彼方へと行ってしまっている。
惜しくはない。どうせ夢なのだもの。
 
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15年後

2024年12月04日 | ちょっと考えたこと
かつて、農業に転身するために会社を去っていった20代後半の若者がいた。
惜別の宴で、
「ここで教わったことを、これから先に活かしていきたい」
と、おじさんを泣かせるようなあいさつをしたソイツが、15年の時を経てまたここで働いてくれるという。

「変わらんなオマエ」
「いや白髪がかなり」

思わず頭頂部に手をやったぼくは
「あるだけマシよ」
と言いかけてやめ

「また頼むわ」
頭を下げた。

別れたあとふと思い立ち
当時の写真を見返してみると
ぼくの頭頂部には既に毛がない。

「なんだオレもさほど変わってないではないか」
アタマをなでた。




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あばたも

2024年11月29日 | ちょっと考えたこと
あばたもえくぼ。
恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見えてしまう。贔屓目に見れば、どんな欠点でも長所に見えてしまうものだということの喩えだ。

といっても、土木施工においてはそうはいかない。
「あばた」は欠陥。しかも施工不良がもとで生じる欠陥のひとつだからだ。こと土木の世界では、どこからどう見ても「えくぼ」に見えることはない。

先日、お城下でひらかれた「よいコンクリート」をつくる施工技術の講習会に行ってきた。斯界の第一人者であるTさんが来ると聞き、自ら志願をしての参加だ。特段あたらしい発見があったわけでもなく、基礎技術を学び直したという形だが、歳を取ると、覚えていたことを次から次へと忘れていくのだから、こうやって再確認するのもわるくない。特にそれが基礎的なことならなおさらだ。

途中、施工不良による不具合の話のなかで、豆板の説明があった。業界で施工に携わるものなら知らないものはないが、ご存知ない一般の方にかんたんに説明すると、豆板とは、型枠に流しこんだコンクリートが隅々まで行きわたらず、砂利などの骨材が表面にあらわれた欠陥のことを指す。岩おこしとか雷おこしを想像してもらうとわかりやすいだろうか。

その豆板、別名をジャンカと呼ぶ。
ところが、「ジャンカという言葉は今は使ってはいけない」とT氏は言う。
同様に、表面気泡をあらわす「あばた」もNGらしい。
初耳だ。
いったいなぜ?
その場で検索してみると、すぐに理由が判明した。内輪でもっとも的確だと思われる文章を引用する。

******
ジャンカはカタカナで記載するので外来語のようですが、これは、あばた(天然痘にかかった後の顔のぶつぶつ)を表現する古い日本語であるじゃんこ(あばた顔のことを「じゃんこ顔」と呼んでいたらしい。)から派生した言葉で、じゃんこのような状態を意味します。実際に現場では「あばた」と呼ぶ職人もいます。
また、痘瘡(あばた)は「かさぶた」を意味するサンスクリット語である「arbuta」の音写である「あ浮陀(あぶだ)」がなまった語であり、かつて病人の治療をもしていた寺の僧侶の間で使われるようになった言葉です。
従って、日本語としては「じゃんこ」がぶつぶつ状態を表す言葉であり、ジャンカは、その派生語である日本語です。
******

ナルホド。さては差別語あつかいなのか?と検討をつけ、さらに探すと、日本コンクリート工学会(JCI)が設けた「コンクリートに関する推奨用語一覧」にたどり着いた。
そこには「ジャンカ」は「豆板」、「あばた」は「表面気泡」と表記することが推奨されている。理由は推して知るべし。たぶん「あばた」という容姿の別名が「ジャンカ」だから、両方揃ってアウトとしたのだろう。といっても、あくまでも一学会の推奨だから、いわゆる禁止用語ではないのかもしれないが、いずれ使われなくなってしまうのだろうと推測される。

そういうぼくだとて、「ジャンカ」や「あばた」といった表現を使うことができないからといって、別になんの不都合もないのだもの、少なくとも公の場においては、そのような理屈に対して異を唱えてまで、あえて使おうとはしないだろう。

以上、余計なお世話かもしれないが知識として。
もちろん、けっしてそれがよいことだとは思っているわけではないが、そのうちに、昨今流行りのアバターという言葉なぞも、NGになったりするかもしれないし。
ん?ないない、ゼッタイない?わからないよぉ。


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不「不惑」

2024年11月23日 | ちょっと考えたこと
どうも勘違いをしていたようだ。
『論語(為政)』に記された孔子の言葉、

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず

における年齢の解釈を、である。
この言葉に対して、ぼくが次のように書いたのはつい一週間ほど前のことだ。

古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。
(中略)
となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自分の人生についての天命や運命がどういうものであったのかがわかる。そして首尾よく80まで生きることができれば耳順、すなわち、他人の意見に反発を感じることなく、素直に耳を傾けられるようになる。

ここでぼくは孔子が引き合いに出した年齢を、寿命、つまり死亡する年齢から逆算した齢だと捉えている。しかし、原典を素直に読んでみれば、それは曲解というものだろう。
孔子は、例えば70歳を例にとると、その齢になって「矩(のり)を踰(こ)えず」、つまり、思ったように振る舞っても道を外れるということがなくなったと言う。それはすなわち、そうなるまでに自分は70年もかかったと述べていると同義だ。そこにおける70歳という数字は、生後何年が経過しているかという絶対値であって、その当時の中国で暮らす人たちの平均的寿命との相対値ではない。どれだけの年月を経たらそうなれるか、あるいはそうなったかについて述べているのであって、世の中の寿命の相場がどうだとか死ぬ年齢から逆算してどうだとか、そういうことを言っているわけではないのである。

ということは、現代における人間の寿命が当時と比べて20年ほど長くなっていようといまいと、たとえば「不惑」における40も「耳順」における60も、2500年孔子が述べた値となんら変わることはない、同じ数字だとして考えなければならない。
といっても、孔子という歴史上に燦然とかがやく巨人がそうだからといって、それをぼくやアナタのような凡夫の身に置き換えることに無理がある。そもそも、誰しもが40歳になれば惑うことがなくなり、50歳となれば天命を知ることなど、できるはずがないではないか。

となれば、凡夫としての正しい在りようはこうだろう。

昔むかし、ロングロング・ずっとずっと・とてつもなく・アゴーの中国に、孔子という偉い人がいてね、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず
なんて言葉を残してるんだけど、みんなも、孔子と同じ歳では無理かもしれないけど、そして、結局のところ全部をクリアできないだろうけど、ひとつの指標として心がけるようにしようね。

と、ここまで書いて腕を組んで考えた。
あれ?
となると、一週間前と結論は変わらないのではないのか?

その結論とはこうだ。

う~ん・・・今さらながらではあるがそれは、齢を積み重ねればそうなるという類のものであるはずがない。それに、ぼくの場合においては、天命よりも耳順よりも不惑、すなわち「惑わず」がもっとも困難で、ほぼ実現不可能なもののような気がしてならない。つまり、いかにその基準となる年齢を変えようと、こうなるわけだ。

40にして惑い
50にして惑い
60にしてなお惑い
70になったらなおいっそう惑い
80になってもまだまだ惑う
思い惑い心惑い
戸惑い暗れ惑い
ふらつき
ぐらつき
ためらって
途方に暮れてオロオロする

サウイウモノニワタシハナリタイわけではないけれど、そうならそうで、一生惑うと思い定め、そこに拠って立つのもわるくないかもしれない。

不「不惑」、いや、わるくないと思うよ。

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ぼくと娘とヒノショーヘイ

2024年11月22日 | ちょっと考えたこと
「火野正平に似ている」
これまでに幾度となくそう言われてきた。
以下は、そんなぼくとぼくの家族のあいだで、かつて繰り広げられた「ひの的エピソード」だ。

******

「宅急便が届いちゅうよ」
「誰から?」
「自分がなんか注文したがじゃない?」
「いやー覚えがないなぁ」

大きなその荷物の送り先を確認しようと持ってみると、やけに軽い。
「これだから、Amazonってやつはイヤなんだ」

これまでに、いく度口にしたか知れない独り言をまたつぶやきつつ、送り先を読もうとして愛用の遠近両用メガネをかけていないことに気づく。まこと年寄りというのは面倒くさい。

メガネをかけて仕切り直すと、その大仰な図体に比して異様に軽い荷物は、予想に反してAmazonではなくZOZOからだ。表書きには、首都圏に住む次女の名前が記されていた。

さては…
「父の日のプレゼントかなー」

勝手に決めつけ急いであけると、贈答用とおぼしき銀色の包みが。
ピンと来た。

「なに?」
妻が訊く。

「ほれ、アレよアレ。この前の父の日の。CMの。動画を。ほれ。見せたやろ。アレ」
「わからん」
「たぶんシャツ」

喜び勇んであけたその中身は、われながらのご名答。バンドカラーのワイシャツだった。

「ほれ、わかるやろ?」
身体に合わせて妻の方を向くと

「あ、ヒノショーヘイか」
気づいたようだ。

そう、さかのぼること3日前の日曜日、父の日のプレゼントだといってメーカーズマークを持ってきてくれた長女が
「こんなんあるで」
と教えてくれたCMのなかで、火野正平が着用していたものと同じバンドカラーのホワイトシャツだ。

たしかにあの日、あの動画を、
「こんなシャツを着てみたくなった父なのであります」
という言葉とともに送ったぼくに次女が返した短い言葉は、
「ええやんか」

そうか…
なんにしても、贈り物、特に思いがけないそれはうれしいものだ。

「着てみて」
妻の口からその言葉が出たそのときにはすでに、着ていたポロシャツを半分ほど脱ぎかけていたわたしが、その贈り物を身につけ、ヒノショーヘイ然とした(つもり)ポーズをとり、写真を撮ってもらうまでにさほどの時間はかからなかった。

もちろん、テーブルの上にはメーカーズマークの瓶と、手にはロックグラス。
ところが、切り撮られた画像に写っているのは、かの稀代のプレイボーイとは似ても似つかぬオジさんだ。

やれやれ…これが現実だ。
気をとりなおして娘たちに画像を送る。

「色気も渋さもナッシング」
自虐的なコメントをつけて。

さっそく返事がやってきた。
長女からだ。

「爆笑」
と一言だけ。

ほどなくして届いた次女からの返信にはこう書かれていた。

「家がおしゃれじゃない」
(ほっといてくれ)
「なんか僧侶感がすごい」
(たしかに)
「日に焼けてみたら?」

すると、また長女から矢継早のLINEだ。

「ちょっと角度とライティングが」
「もう少し遠くから低めに暗く」
「縁側で後ろ姿はどう?」

時は2020年初夏、かくして親父ヒノショーヘイ化プロジェクト粛々と進んでいく。





******

いっとき、娘たちに遊ばれた昔を思い出し、在りし日の火野さんを偲ぶ。
謹んで御冥福を祈り、合掌。
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